Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2017/08/26

10月にはロンドン大学でクッツェー研究会が

昨日、猛暑のなかを『ダスクランズ』のゲラをめぐって、編集担当のAさんとメールで最後のやりとりをして、ついに校了!

クッツェー自伝的三部作の原書
そんななか、10月5日と6日にはロンドン大学で「クッツェーとアーカイヴ会議/Coetzee & Archive Conference」なる催しが迫っているというニュースが飛び込んできた。

 ここへきて、ますます盛んになっていくJMクッツェー研究。テキサスのランサム・センターに彼のペーパー類が収められたのが2011年だったから、それ以後、クッツェー研究はこのペーパー類の調査抜きにはありえない状況になっているようだ。これまでのポストモダン的に斬新な「見立て」によって作品を読み解く方法から、作家と作品の複雑で一筋縄ではないかない関係に光をあてる方法へと、クッツェー研究は大転換した。自伝とフィクションの境界をなくしたい、と考えるクッツェーだから、これはもう当然といえば当然の状況だろう。作品とそれを創作した人、そしてその歴史的文脈にもっとも興味がある者としては大歓迎! さまざまな偽装を凝らした作品を書いてきたクッツェー、その偽装をはがしてくれといっているようなものだから。

リトアニア語のThe Schooldays of Jesus
クッツェーさん、ロンドン大学での催しでも、やはり「朗読」をするようだ。何を読むのだろう?

 つい最近、The Schooldays of Jesus がリトアニア語に翻訳されたというニュースに接した。リトアニアとはバルト3国のいちばん南の小さな国だが、リトアニア語の話者はなんと370万人だとか。この370万人を対象としてクッツェーを翻訳し、それを出版する人がいるというそのことに感激する。それに対して日本語の話者は少なくみても1億2千万人、クッツェーという作家が現代の文学世界においてどれほど重要な作家か、もう一度考えなおしてみたいと思った。