Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2017/06/02

6月の夕暮れ

 今日は風の強い1日だった。朝方の、もう梅雨かと思わせる強い湿気が強風に吹き払われて、昼すぎには空気も軽くなってほっと息をつく。夕方、いつもの散歩にでかけると、6月の陽はまだ高く、雑木林に斜めに差し込む西陽が足元の路上に揺れる葉波模様を描いている。樹木から振り払われた小枝を踏む。靴底がぱりぱりと音をたてる。
オパールの原石:璃葉
 夕陽をあびながらいつもの道をたどる。古い保育園の前で立ち話をする母親たちのまわりを、幼い子供が走りまわる。一瞬、走ってくる小さな娘たちを思い切り抱きあげた遠い記憶がよみがえる。そして、長いあいだ住み暮らした土地を離れなければならなくなった人たちのことを考える。戦争で。原発事故で。津波で。過疎で。残って土の世話をしつづける者のことを考える。廃屋に住みつづける者。野生化寸前の山羊と。牛と。緑なす原野のことを考える。

 今日は風の強い1日だった。いまもまだ風は吹いている。余計な湿気も、妄想の霧も吹き払ってくれそうな6月の、もう初夏とはいえない、夏の風だ。

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絵は「水牛のように 6月号」に掲載された、璃葉さんの文と絵「オパール石」から拝借しました。