Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2017/05/18

トレヴァー・ノアとチママンダ・アディーチェが語ります!

すごい組み合わせです。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェとドレヴァー・ノア、そしてランダムハウスの編集者P・ジャクソン。PEN ワールド・ヴォイスが開催した「表現の自由」のためのプログラム。5月3日の録画です。



 ナイジェリアで子供時代を送ったアディーチェは、軍事独裁政権下で生きることがどういうことかを身をもって体験している。自分はアメリカへ移民したわけではない、自分はナイジェリア人で、ナイジェリアとアメリカの両方に半々に住んでいるのだと明言するのが印象的。アメリカの楽観主義の危険性を指摘する。

また、アディーチェがパン・アフリカニズムについて質問されて、アメリカスの奴隷制はアメリカで始まったわけではなく、アフリカから始まったといって、ブラジルのバイーアやアフロ・コロンビアにも言及するところが興味深い。

南アフリカで1984年に生まれたドレヴァー・ノアが、初めてアメリカにやってきてやったショーのエピソードがまた、めっちゃ面白い、というか、考えさせられるんだけど、アメリカという国の内実がぼろぼろ出てくる感じ。笑い、というのは誰と何を共有するかというのが、とっても微妙なものだから。これは深い。フィクションよりもっと深いかも。

 話のなかで一箇所だけ、アディーチェの口からジャパンという語が出てくる。ユニヴァーサルの話に絡めて。ここは耳をしっかり傾けたいところ。あなたの本はユニヴァーサルだ、といわれることはアディーチェにとっては決して褒めことばではないのだ。なぜか。来日したときも明言していた。それ以前からも語っていた。『アメリカにいる、きみ』の「あとがき」にも書いたんだけど。
 チママンダがドレヴァーのお母さんについて最後の方で語る内容が、すごく心にしみる。とにかく、南アフリカ出身の作家とナイジェリア出身のコメディアンの絡み、これを見逃す手はない。