ピーヨピーヨと緋寒桜でひよどりが啼いて、3月が過ぎていきました。ピーヨピーヨと啼きながら、ひよどりは桜の花芽も、わたしの気鬱もつんつんとついばんでくれたようです。「水牛のように」に詩を書きました。
緋寒桜のひよどり
ここ東京郊外の丘の上でひよどりの声を聞きながら思うのは、遠い北の土地で起きたいくつもの出来事。そして揺れる緋寒桜を見ながら想像するのは、浅い歴史のなかで生起した家族の物語。
それにしてもここ数ヶ月、胃痛やらなにやら木の芽どきに特有の体調不良に悩まされてきたけれど、4月の声を聞いたとたんにすっきりして、みんなどこかへ行ってしまったような気がする。
気がするだけかもしれないよ──と身体の奥から微かなさささやき声が聞こえてくる。そうか、ひょっとしたら騙されているのかな? だって今日はエイプリールフールだもの。
窓の外の緋寒桜の花も盛りを過ぎて、黄色い葉芽がちらほら出てきた。遠くに見えるユキヤナギの純白の花は、いまが盛りと、流れるような花枝を伸ばしている。春がやってきた。
数年前に撮ったユキヤナギ |
気がするだけかもしれないよ──と身体の奥から微かなさささやき声が聞こえてくる。そうか、ひょっとしたら騙されているのかな? だって今日はエイプリールフールだもの。
窓の外の緋寒桜の花も盛りを過ぎて、黄色い葉芽がちらほら出てきた。遠くに見えるユキヤナギの純白の花は、いまが盛りと、流れるような花枝を伸ばしている。春がやってきた。