Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/02/11

クッツェーがブリンクについて書く

同僚であり共編者、アンドレ・ブリンク──J.M.クッツェー
ぼくが初めてアンドレ・ブリンクの名前を耳にしたのは1960年代、合州国に住んで学んでいたときだった。故郷から伝えられる噂では、アフリカーンス語文学の保護者が変わり、アンドレやヤン・ラビ、エティエンヌ・ルルーがリードする新しい世代が台頭してきたということだった。ヤン・ラビ(アイス・クリッジの友人で「オンラス」サークルの一人だったと思う)のことは聞いていたが、ほかの二人は知らなかった。探してみると、ブリンクの著書だけが入手できた。英訳版の Die Abassadeur だ。

1971年に南アフリカへ帰国して、ぼくは南アの新聞をまた読めるようになった。日曜版「ラポート」紙で偶然、アンドレ名義の長い文学評論をいくつも読んだ。それは他の文学ジャーナリズムのなかでも抜きん出ていた。新しい詩やフィクションについて評するその文章は、ぼくには分野全体を完璧に把握しているように思えたが、ごく普通の教育を受けた読者なら思わず誘い込まれるうまい書き方でもあった。書き手がヨーロッパやアメリカの同時代文学で起きていることに精通しているのは明らかだった。

実際にぼくがアンドレと接するようになったのは1980年代のことで、コース・ヒューマンの働きかけによって彼とぼくが新しい南アフリカ文学のアンソロジーを共同編集することになったときだ。このアンソロジーは、イギリスではフェイバー社から、アメリカではヴァイキング社から出版されることになったが、南アフリカの作家たちの、英語で書く作家とアフリカーンス語で書く作家の作品を(翻訳で)一冊の本に収める企画だった。ぼくは英語作家を、アンドレはアフリカーンス語作家を受け持った。選集にはあたうるかぎり最新の情報を盛り込むことにした。

スーパースターとして、そしてアフリカーンス語文学界の「アンファン・テリーブル」としてのアンドレの噂は知っていたので、ぼくはさぞかし苦労の多い時間になると覚悟した。たとえば、かんしゃくを破裂させたり、最後通牒を出したり、締め切りを守らなかったり。ところが、彼は共同作業者としてはじつに完璧、素早く、無駄なく、文句をいうこともなく、第一級の仕事をしたのだ。われわれの共編書『引き裂かれた土地:同時代南アフリカ読本』(1986)はいまでも、この種の本としてはなかなかの出来に思える。それは、より広い世界に対して、南アフリカの歴史上の危機的時代における文学を、スナップショットとして伝えている。

その後、彼がローズ大学を去ってケープタウン大学へくるまで、アンドレとぼくは持続的な連絡をとることはなかった。ローズ大学では比較文学の教授というのが彼の持ち味を生かす地位だったが、UCTには比較文学の学部がないため、彼の所属は英文学部となった。そこに彼はすっかり馴染んた。英文学も米文学も、彼の新しい同僚とおなじように、ときにはそれ以上に熟知していたのだ。彼はロマンス語の学部でだって十分教えられたのではないかと思う。

アンドレはUCTでは大学院生をおもに教えた。英文学や他の文学研究の修士課程で学ぶ者、あるいはクリエイティヴ・ライティングの修士の院生である。補助教師としてぼくは彼の修士の授業にいくつか参加した。彼が教える院生は途方もなく恵まれていると秘かにぼくは思った。クリエイティヴ・ライティングの院生が自分の書いたものについて指導を受けるとき、その指導はまっすぐ問題の核心を突きながら、じつに思いやりのある、じつに理解ある態度で表現されていたからだ。文学を志す学生は本物の文人が仕事をするようすを目の当たりにする機会に恵まれたわけだ。彼の守備範囲はときに世界文学全体にまでおよび、哲学的にも洗練され、現代批評の最新の流れにも通じていたのだから。

20世紀後半の南アフリカの歴史に対する概観が定まろうとしているいま、われわれは、Sestigers つまり、1960年代に花開いたアフリカーンス語作家および知識人の世代のなかで、アンドレが果たした歴史的役割がなんであったかを理解することができる時期にいる。作品を通して彼はアフリカーンス語小説に、ヨーロッパやアメリカのモダニズムの方法と関心を持ち込んだ。と同時に、彼がおおやけの知識人(ひどく酷使された用語だが、彼の場合は偶然ながらぴったり適合する)として、そしてかなりの程度まで政治的知識人として生きた人生を通して、彼は1948年以降体制の独断的、文化的麻痺状態から、危険ながら刺激的なポストコロニアル世界へとアフリカーナーを引きずり出すことに大きな役割をはたした。彼の活動に対する罰として、彼は長年にわたって国家機関から嫌がらせを受け、執拗に悩まされた。彼は迫害する者に対して立ち向かい──勇敢に、とぼくには思えた──受けた分に等しく返しもした。やはり、人が誇りをもって振り返るキャリアかもしれない。☆

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付記:これは先日、他界した南アフリカのアフリカーンス語作家、アンドレ・ブリンクのことを多くの人に知ってもらうために訳しました。ぜひ、彼の作品を実際に手に取ってみてください。日本語ならこちら。あるいは、この本も(いま、サイトをのぞいてみると、どこも売り切れですが、近いうちにきっと増刷されるはずですから、そのときはぜひ!)おすすめです。