2010/03/11

喜望峰をまわる ── クッツェー・トリビア

Doubling the Point/ダブリング・ザ・ポイント』というのは、J・M・クッツェーの2冊目のエッセイ集のタイトルだ。1992年にハーヴァード大学出版から出ている。彼が若いときから50歳ころまでに書いた論文やエッセイがおさめられていて、さらに各章に、デイヴィッド・アトウェルとの対話がついている。クッツェー研究をする人にとっては欠かせない情報が、もりだくさんに入っている本だ。

 でもこのタイトル、なんとも日本語になりにくい。意味としては「点をダブらせる」とか「ポイントをずらす」とか、モダニズム的手法論を暗示するニュアンスが多層的に見え隠れする。日本語にしてしまうと、その重層的な意味合いが消えてしまうので、私はもっぱら「ダブリング・ザ・ポイント」という芸のないタイトルを使ってきた。

 ところが、デイヴィッド・アトウェルが最近発表したある論文のなかに、おお、そうだったのか、と思わせる、さらなる意味合いを発見した(私が知らなかっただけかもしれないが・・・)。それによると「the Point」というのは「Cape of Good Hope」つまり「喜望峰」のことで、「Doubling the Point」とは船が「喜望峰をまわる」ことだそうだ。調べてみると、たしかに「double」には航海用語で「sail round(a headland)」という意味がある。南アフリカという土地に生まれ育った人には、このタイトル、船が「喜望峰という岬をまわること」をさすのはごく自然なことなのだろう。う〜ん。
 そういう「歴史的、地理的な」意味も含まれていたのか・・・。そういえば、ケープタウンには海岸近くに「グリーンポイント」とか「シーポイント」といった地名があって、『マイケル・K』の母親が住み込みで勤めていたお屋敷はこの近くだった。

 表立ってはいないものの、この「ポイント」という語の背後には、細く強靭な糸がついていて、知らずに触れたものをぐいっと引き寄せる力がある。だが考えてみると、それこそクッツェー文学の最大の特徴で、こんなタイトルの意味合いにもそれが隠されていたのかもしれない。ご用心、ご用心!

 そこで思い出されるのが、クッツェーが第一エッセイ集『White Writing』で論じた、ヨーロッパ的価値観から書いてきた南部アフリカ文学者たちのオブセッション、「アダマスター」だ。これは喜望峰をまわるヴァスコ・ダ・ガマの船団に出没した霊のことで、16世紀のポルトガルの詩人、ルイス・ヴァス・デ・カモンイスの詩にも出てくるとか。

 それにしても、クッツェーのエッセイ集、書評集のタイトルには、「〜ing」が、なんとたくさんでてくることか。『White Writing』をはじめとして、この『Doubling the Point』や『Inner Workings』、『Giving Offense』など、動作や動き、ある種の揺れがこめられたタイトルが多い。ここにはなにかあるな、とかねがね思ってはいるのだが。そうそう、小説にも「〜ing」がひとつある。『Waiting for the Barbarians/夷狄を待ちながら』だ。