Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2009/11/01

荷物運ぶ「キックスケーター」── アフリカは遠いか?(その3)

「アフリカは遠いか? ─ その3」

宝物のように取っておいた切り抜きがあります。8年以上も前の記事ですが、いつか、どこかで、必ず書こうと思っていました。

 まず、記事を読んでください。キャプション入りの写真も見てください。(写真をクリックすると拡大します。)

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★世界発2001★「自前 こだわりの装備/ルワンダ」──世界のくらし

ルワンダ西部の山間地で「キックスケーター」がはやっていた。日本でブレークしたあのキックスケーターと、構造に違いはない。人が乗る板、ハンドル、前後に小さな車輪がつく。進む時に地面を足でけるのも同じだ。
 遊ぶためや街中をおしゃれに駆け抜ける道具ではない。少年たちが買い物や給水などに使う。「イキジュクトゥ」という武骨な名前がある。現地のことばで「荷物を運ぶ木製のもの」を意味するという。
 手作りで木製。廃品タイヤを切って車輪を覆ってある。後輪の泥よけのようなゴムの覆いはブレーキらしい。自転車のベルを付けたり、板とハンドルをつなぐ部分に金属製のバネを使ったり。こだわりが装備に表れる。
 下り坂はゴロゴロと音を立てて調子がいい。上りでは、降りて重い車体を押さなくてはならない。ファッション性も、輸送手段としてもいまいちだが、数十キロはあろうかと思われる大きな荷物と、こだわりを載せて坂道を行く。(ギセニ<ルワンダ西部>=江木慎吾)

<写真キャプション>
大きな荷物を積んだルワンダ版「キックスケーター」。この荷物、丘を越えて運ぶと800ルワンダフラン(約200円)=ギセニで、江木写す。
(2001年5月5日付朝日新聞より)
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 前回紹介した『ルポ 資源大陸アフリカ』は、紛争や暴力といった烈しいテーマでなければなかなか新聞などでは取り上げられない現状を逆手に取って、あえて紛争地域に乗り込んだ記者が、海外支局に勤務する者でなければ書けないものをまとめた貴重なルポでした。
 でも、書評を書きながら「もうひとつのアフリカ」の話がなければ、これもまたシングルス・トーリーになってしまうなあ、と思い続けていました。その、もうひとつの物語の例として、ここに短い記事を紹介しました。

 ルワンダといえば多くの人が連想するのは、やはり「ツチ系」と「フツ系」ということばと共に思い出される1994年の内戦のことでしょうか。映画になったり、ノンフィクションが何冊も翻訳されたり。
 でも、この記事は、ふつうの人たちの、ごくふつうの暮らしの断面をみごとに切り取っています。写真のなかのハンドルを握る男の人の表情もいいし、子どもの姿勢がまた、なんとも可笑しくて、面白い。

 こういう記事は残念ながら、日々の新聞にはめったに掲載されません。おそらく、記者が本社へ送っても没になることが多いのでしょう。ニュース価値として低い、と考えられているからなのかもしれません。
 でも、アメリカ(中米や南米はもちろん含まない)やヨーロッパ(イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、それにせいぜいオランダ、ベルギー、ポルトガルくらい)の場合は、文化欄や海外事情コーナーなどで、そういった情報が頻繁に記事になる。こんなふうに、大きな情報格差が当たり前のようになっていることに私はとても違和感をおぼえます。それがアフリカを遠くして、シングル・ストーリーの色眼鏡を作ってしまう、そんな気がするからです。