昨日、たまたま観たNHKのテレビ番組「海外ネット──W杯準備は万全?」で、アパルトヘイトについて触れた箇所がありました。アパルトヘイトが完全になくなった年を1994年として、画面の右下に大きな太い文字で「1994」と出していたのが強く印象に残りました。
「それぞれの民族の分離発展」を名目としてうたい、権利を奪われた人たちを搾取しつづける制度を合法化し、政策を正当化し、「人間への犯罪」とまでいわれた南アフリカのアパルトヘイトでしたが、当時のデクラーク大統領が国会で法律そのものの廃止を宣言したのが1991年(追記2010.6.13/4つのアパルトヘイト根幹法のうち最後まで残っていた法律を廃止すると宣言、まだ関連法はいくつも残っていた)、それから解放組織への政権委譲のための交渉委員会が設けられ、この間、さまざまな政治勢力の衝突、虐殺、暗殺などの時期を経て、ようやく全人種参加の総選挙が実施されたのが1994年の4月でした。
したがって、南アフリカの人たちは「1994年」を「解放の年」と認識しています。映画「ツォツィ」でも「ホテル・ルワンダ」でも、登場人物たちが「1994年の南ア解放」と言っていました。(字幕にはならなかったかな?)
ところが、日本ではどういうわけか、1991年をもって「アパルトヘイト撤廃の年」とする人たちが少なからずいたのです。本当になぜでしょうねえ? それでも、昨日の番組を見るかぎり、「1994年」がようやく定着してきたように思えます。
まあ「撤廃」といっても、現実には、貧富の差が開いた、といわれていますし、南アに何度も足を運んできた人のなかには、現状を見て、「まだアパルトヘイトからの解放はない」と言い切る人さえいますから、この辺のことは実情を細かく見ないかぎり、どっちがどうだ、と言っていても始まらない部分も残りますが、やはり、それはそれ、これはこれ、です。
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<2009.6.28追加情報>
映画「Disgrace」の予告編がここで見ることができます。ご興味のある方はどうぞ。