2008/06/22

エデンの園──イナ・ルソー

  エデンのどこかで、この時代のあとになお、
  まだ立っているだろうか、廃墟の都市のように、
  打ち捨てられ、不気味な釘で封印された、
  幸運に見放された園が?

  そこでは、うだる暑さの昼のあとに
  うだる暑さの夕暮れと、うだる暑さの夜がきて、
  黄ばんだ紫色の木々の枝から
  朽ちかけた果実が垂れているだろうか?

  その地下世界には、いまもなお、
  岩々のあいまに広がるレースのように
  縞瑪瑙や黄金の
  未発掘の鉱脈が伸びているだろうか?

  青々としげる葉群れのなかを
  遠く水音をこだまさせて
  この世に生きる者は飲まない、川面なめらかな、
  四本の小川がまだ流れているだろうか?

  エデンのどこかで、この時代のあとになお、
  まだ立っているだろうか、廃墟のなかの都市のように、
  見捨てられて、ゆっくりと朽ちる運命を背負った、
  誤りであると知れた園が?

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 この詩のオリジナルはアフリカーンス語。1954年に発表されたイナ・ルソー(1923〜2005)の第一詩集『見捨てられた園/Die verlate tuin』におさめられています。今回は、J.M.クッツェーの英訳からの重訳です。訳者ノートにはこうあります。

「1954年という年は、白人のアフリカーナー民族主義者たちが波にのって、その頂点に登りつめた時代だ。国内的には、彼らが建設しつつあったアパルトヘイト国家に反対する者を徹底的に鎮圧する途上にあり、国外的には、その執拗な反共産主義が西側諸国からの支持ないし黙認を、なんとか取りつけたところだった。彼らがその信奉者に約束した未来は、繁栄と安全である。したがって、この時点であらわれた「エデンの園」は驚きに満ちた、心おだやかならぬテキストであり、しかも、政治的に多岐にわたるどの視界にも入ってこない、若いアフリカーナー詩人の手によるものである。
 形式やイメージは伝統的手法を用いているが、「エデンの園」はあいまいな詩だ。内容的には南アフリカをあらわす形跡はまったく見あたらない──作品が書かれた言語をのぞいて皆無だ。だが、ひとたび「南アフリカ」というキーフレーズが息づくとき、この詩は花のように開いてくる。最初のヨーロッパ人入植者がアフリカの最南端に入植したのは、オランダ人商人が東インドを含むアジア東南部地域へ航行させる船に、新鮮な果物と野菜を供給するためだった。彼らが設計した庭園──いまもモダンな、ケープタウンの中心にある、いわゆるカンパニー・ガーデン──は、ルソーによって、ユダヤ・キリスト教神話の天国の楽園と関連づけられ、ゆえに、堕落のない国家への回帰という、新たな出発の約束に結びつけられている。これはヨーロッパ人によるアメリカスの植民地化に、きわめて強い影響をあたえた約束でもあった。
「mislukte tuin」 つまり、誤りであると知れた庭、あるいは、誤りであると知れた植民地を、見捨てらたものとしてだけでなく、過去の霧のなかに遠くかすんでしまったものとして、ある不特定の未来の日から逆に見つめる、この詩の深いペシミスティックな視点は、ルソーのまわりで未来永劫の彼方まで続くと吹聴されていた、白人キリスト教徒の南アフリカのヴィジョンとは真っ向から対立する」

 1954年という時点で、このような詩を書いていたイナ・ルソーという詩人の作品は、とても気にかかります。

(左の写真は1965年ころのカンパニー・ガーデン)