昨日でおしまい──だろうか? 9月に入って少し暑さが遠のいた感じもしたけれど、昨日まではまた酷暑と同じ気温。35度とか36度とか。天気予報によれば、これからもまだ日中30度超えの日がちらほらありそうだから、ほんとに終わるのは月末か──去年はどうだったかな? と記録を引っ張り出してみると、9月23日まで熱帯夜が続いていた!とあるので、今年は数日だけ早く涼しくなったわけだ。
去り行く夏、はなかなか去らなかったなあ、という実感で迎える9月中旬。
歩いてみたい波打ち際 |
グアダルーペ・ネッテルの短編集『赤い魚の夫婦』宇野和美訳も現代書館から出版されたのだった。もう4年にもなるのか! あれは鮮烈な作品だった。それに続く『花びらとその他の不穏の物語』も。
そして昨日は、待望のマーガレット・アトウッド『ダンシング・ガールズ』(白水社)が届いた。言わずと知れた岸本佐知子訳の1989年初訳の新装改訳版だ。この作品が私が読んだ最初のアトウッドで、日常のなかになんとなく不穏な空気が漂っていて、とにかく面白かった。そしてその感覚と記憶があとあとまで尾を引いた。
鳥は踊ってる? |
ずいぶん前になるけれど、シャルル・ボードレールとドストエフスキーの生年がおなじ1821年だね、というと、それがどういう関係があるんですか? とほぼ同年代の優秀な編集者から真顔で言われたことがある。その時わたしは絶句状態だったけれど、当時の歴史や文化の交流を視野に入れると、今なら、絶大な関係があるでしょ、と返せるだろう。フランスやロシアの文学史に疎い私にだっておぼろに見えるものがある。文化は一国内ではおさまらない。横のつながりを想像しなくちゃ。(自分を含め近代的な「国民文学」で作品を見てきた後遺症からの解放ね。)
19世紀ロシアの貴族たちがフランス文化に憧れたことは超がつくほど有名で、高校時代に読んだトルストイの『アンナ・カレーニナ』の日本語訳には、登場人物たちの会話にフランス語のカタカナルビがふってあった。これはトルストイが生きた時代、ロシア貴族たちはフランス語で会話をしていたということを示しているわけで、それほどフランス文化への憧れは強かったのだろう。であれば、フランス文学にロシア文学者が憧れないわけはない。ドストだって作家になる前、バルザックの作品をフランス語からロシア語へ翻訳しているそうだし。
同時代作家たちを横のつながりで眼差す視点は、とても大事なんじゃないか、(作家同士の交流が直接はないとしても)とアトウッドとクッツェーの生年を確認して、あらためて思ふのだ。
他にもいただいた御本があるんだった。ありがとうございました。