続きです!
J・M・クッツェー『その国の奥で』(河出書房新社)が、あるハプニングで予定より5時間ほど遅れて、昨日の午後に篠突く雨のなか届いた。
カバーの映像が出てから実物を手にするまでの待ち遠しさは、何冊訳しても馴れることがない。ネット環境のなかった頃より、待ち遠しさはむしろ加速されたんじゃないかとさえ思える(いや、気が短くなっただけか──🐐?? 今日は晴れたので屋外で撮ったら、なんと、空が写り込んでしまった、、、左の写真の左側)
とはいえ2000年までは──とつい昔語りになるけれど──編集者とじかに会って「みほん」を手渡されるとき、初めてカバーの絵を目にすることが多かった。実物を目にするまでは、ファクスで送られてきたぼやけた画像から想像をたくましくするばかりで、ひたすら待つしかなかった。筑摩書房から出た初めての訳本『マイケル・K』を受け取ったのは、1989年の初秋だったか。国立のロージナ茶房で、何冊か入った袋がどさりとテーブルに置かれたときの感動は忘れない。
でも思えばあのころは、待つ時間はいまよりずっとゆるやかに、おだやかに流れていたような気がする。編集者ともじかに顔を合わせて、ゲラの引き渡しをしながら、細かな疑問をその場で解決するといった感じで作業は進んだ。人と人がじかに会ってことばをかわし、いろんなことを決めていた時代。ネット時代になって、それが簡略化されて、宅急便や郵便でやりとりすることが多くなった。いろんなことが省かれて、とにかく早い。連絡事項や決定事項が記録として文字として残るので、これは非常に確実。疑問などもすべてメールで即座に解決することが多い。備忘のためにも、齟齬をきたさないためにも、便利は便利。でも……。
カバーデザインをPDF で前もって目にするようになって、それから実物が出来上がってくるまでの短からぬ時間は、まだかな、まだかな、と焦燥の念に駆られるようになったんじゃないかとやっぱり思うのだ。なんでも早くできる時代に、待つことに不慣れになり、ちょっと疲れて、頭のなかで少し横に置いたころ、どさりと届く──という感じになった。
『その国の奥で』を訳していて思った──J・M・クッツェーの作品を翻訳するのは、これで何冊目だろう。共訳を含めると軽く10作品は超えるかも知れない(数えてみると12作か)。南アフリカを舞台にした作品を、クッツェーは長短篇をすべて含めて9作書いているが、そのうち8作を訳したことになる。作品の背景や時代のコンテキストを重視する訳者として、南アフリカの事情を、はしょらず、正確に、ニュアンスを細部まで伝える努力をしてきたつもりだけれど、責務は果たせただろうか。
とりわけジョン・クッツェーの生きた時代とぴたりと重なるアパルトヘイト時代の政治制度の内実や、人種による微妙な人間関係の心理をめぐる細部は、どんどん大雑把にまとめられて歴史の彼方へ葬り去られていくようだ。翻訳者も解説者も編集者も校閲者も、勘違いや見落としを最初から疑って、歴史的事実を正確に伝えるよう努力しなければいけない時代になった。
(たとえば、南アフリカで国民党が政権を奪取したのは1948年、1960年代ではない。1948年は時代の分岐点で、アパルトヘイト制度という人種差別制度が公然と開始されたのはこの年だ。この年は少年ジョンがケープタウンから内陸のヴスターへ引っ越した年でもあった。)
『マイケル・K』はそのアパルトヘイト末期を舞台に描かれた小説だ。1983年に発表されて、この年のブッカー賞を受賞した。1989年の初訳が出たころは、日本ではバブル経済で南ア産のプラチナを若い女性が買い漁った時代でもあった。
現在入手可能なバージョンである岩波文庫『マイケル・K』が7月27日(7月25日に早まりました!)、電子書籍化される。単行本が出たのは35年前だ。2006年にちくま文庫に入り、2015年に岩波文庫になり、9年ごとの「変身」を重ねて、ついに電子書籍になる。カフカの『断食芸人』『審判』とも響き合うこの作品が、カフカ没後100年に、またまた変身して新世代の読者に届くのは訳者冥利に尽きる。
J・M・クッツェー作品が初訳から一周、二周して、新しい読者と出会ってほしいものだ。
🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃