東京新聞の「月刊掌篇小説」のページに『憧れの火ともる昭和』が掲載されました。短い「手のひら」サイズの小説です。フィクションの衣をつけてさらりと揚げましたが、素材の鮮度は保証します。掲載は7月25日夕刊ですが、一部の地域では翌26日の朝刊。書いた時期は今年5月から6月にかけてです。
なんだか、2021年秋に出版されたメモワール『山羊と水葬』(書肆侃侃房)の続編というか、番外編というか、そんな感じになりました。書き出しは昭和30年代半ばの北の田舎。テレビが初めてやってきたころです。
「懐かしの昭和」がここにきて大流行りですが、懐かしがってばかりもいられないのが昭和の中身でした。「その子」にとって「憧れ」の狼煙のあがったのが、白黒テレビが一家に一台入ってきた昭和30年代、憧れを機動力にして北の大きな島から海を渡って東京へ出たものの、気分は大海原の漂流者(ここはちょっと駆け足で進んで)、、、、ようやく翻訳など始めてから、世界が少しずつクリアに見えるようになって。やがて「翻訳の世界」は、言語も、国境も、民族も超え、ジェンダーさえ超えうるのだと気づいていきます。まさにトランスローカルな世界観。
そしていまは2025年、母や父が生きてくぐり抜けたあの戦争に負けてから80年の歳月が過ぎました。空を見あげて、100年前のアンダルシアへふわふわと飛びながら、また憧れかよ、それでどうなるの? これからどうするっていうの? と自分にツッコミを入れたくなる。そんな掌編です。
挿絵に仔山羊と鶏がいるんだよ〜〜泣ける😭!と「その子」は思っています。じつはとってもセンチメンタルだから──💦💦 可愛い仔山羊の挿画を描いてくれた小河奈緒子さん、ありがとうございました。
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世代交代で「海外文学の森へ」からは抜けましたが、このところあちこちで翻訳が出るようになった「アフリカン文学」について、どんどん紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。