時間がゆっくり過ぎていくのか、あまりにも早く過ぎていくのか、ちょっとわからない日々が続く。寒風が吹きすさんでいたと思ったら、数日前から夏日だ。まだ4月だというのに。
戸外では鶯が澄んだ声で鳴いている。うっとりする、といっても過言ではない。年明けにはヒーヨ、ヒョロと鳴いていたのに、どんどん上達して、いまでは美しくメロディアスな声を響かせているのだ。遠く近く鳴きかわす2つの声の二重唱。
窓からは緑地の木々が見える。冬はすっかり葉を落としていた樹木も、さあ我々の季節がやってきたと言わんばかりにどんどん青葉を茂らせていく。青い空を背景に梢を揺らす木は、この季節、本当に美しい。芝生のへりではレッドロビンが赤い衣を染めていき。
苗を買ってきた。紫蘇の育苗ポットを2つ。土はすでに整備済み。枯れた去年の朝顔の蔓と根を取り除いて、再生用の土を混ぜて、新しい腐葉土も足して。
たっぷり土の入ったプランターの隅っこに、買ってきた紫蘇の苗を植える。タネも一袋買ってきたので、これは芽紫蘇を楽しむために浅いトレーに撒く。目の細かい篩を使って表土を薄くかける。紫蘇は発芽に光が必要だから、ひなたに置く。 朝顔のタネがさんざんこぼれているので、混ぜ合わせた土には、もちろん、朝顔の黒いタネがたっぷり含まれている。水を遣れば、昨年のようにどんどん芽を出すだろう。今年も朝顔のすだれを作ろう。
おや、ポットに入れた土に先週水をやっておいたら、もう朝顔が二つ顔を出している。苗を買ってきたパセリも元気だ。
今年はオクラのタネも買ってきた。まず水に浸して柔らかくする。
いま訳しているエッセイにオクラが出てくる。オクラはアフリカ大陸が原産で、エチオピアあたりじゃないかと言われているけど、西アフリカの料理にも使われる。
あのネバネバが大西洋を渡り、カリブ海地域へ、そして南北アメリカスの大陸へ運ばれた。そしてオクラはアフリカン・アメリカンの人たちにとって、欠かせない、大切な食材となった。80年代初めに、ヌトザキ・シャンゲの作品にオクラが出てきたので、そうか、オクラは彼女たちのオリジンにまっすぐ繋がっているんだなと思った。
From Okra to Greens: A Difference Love Story Ntozake Shange
わたしは東京に出てくるまで、オクラを食べたことがなかった。この世にオクラなる植物があることさえ知らなかった。ベランダで鮮やかに花咲くオクラを夢見つつ、水中でタネが小さな芽を出すのを待つ。
そして、狭いベランダの小さな「庭」に、メイ・サートンのように、夢見つつ深く埋めよう。