2025/03/25

弥生3月、木々に花が咲く

 東京は桜の開花宣言がでた。そして3月も残るところ、あと一週間に。

 今年は投稿数が極端に少なくなって、なぜだ?自分?と思いながらも、ブログを書くきっかけを見つけられないまま、1年のほぼ4分の1が過ぎてしまった。😭

 
 数年来の難題が少しずつ解決して、 いろいろホッとしている。「平常心」という表現もあったなあ、と。

 だから、今年はコロナ以来、極端に引きこもりがちになった暮らしから抜け出すこと、それを課題としたい。どんどん外へ出ること、それをまず心がけよう。決めた。

 そうはいっても、花粉がたくさん飛ぶこの季節は、本当に苦手だ。全身の皮膚という皮膚が軽く炎症を起こしている。散歩のために外へ出て、緑地づたいに新芽をつけた木々の枝を眺めて、気もそぞろになりながら家に帰る。すぐに手洗い、洗顔、目薬をさす──これが欠かせないけど、でも外で出会う花たちはかくべつ!

 勝手ながら使わせていただいた花の写真は、いつも素晴らしい写真をtwitterにアップされている越川道夫(muttnik)さんの撮影です。上の写真はこぶし。花びらが大きく開いているので、よくわかる。下の写真はたぶん白木蓮。咲き切っていないので、ちょっと見分けがつきにくいけど。(ちなみにAIに画像確認してもらったら、どちらも「こぶし」という答えだった、なんだよ🤭 (°_°)!)

 それまで暗い色だった世界を、一瞬、忘れさせてくれる花々たち。ポッと心が温かくなる。

2025/02/09

お誕生日おめでとう! ジョン・クッツェーさんは今日で85歳


お誕生日おめでとう、ジョン!



暦の上では立春が過ぎたけれど、風の冷たい冬の東京では室内でシクラメンが花盛りです。真夏の南半球アデレードへの花便り!


***

 窓から見る空は今日も青く、木々は茶色の枝枝に、きっと葉芽をふくらませている。いずれかならず緑の芽を吹く。樹木は偉い。

 一ヶ月以上もブログをほったらかしにしてしまって、すみません!

2025/01/01

あけましておめでとうございます

 今年はゆっくり(自社比)歩いていこうと思います。よろしくお願いします。

 昨年11月に日経新聞のコラム「こころの玉手箱」に書かせていただきました。有料記事ですが、ここにリンクを貼っておきます。
 タイトルは「クッツェーと格闘した36年」となりました。おもに、J・M・クッツェーの『マイケル・K』に出会ってからほぼ36年にわたる翻訳作業について書いたからでしょう。


・初回は、1988年に高田馬場の洋書店ビブロスで買った『マイケル・K』の原書と作家のポスターについて。

・次は、1974年に大学最後の冬休みに初めて国際線の飛行機に乗ってパリ、ロンドン、南仏へ行ったときの、大失敗。

 ・そして、クッツェーからもらったフルーツケーキの入った赤い箱がブレスレットボックスだったこと。

・ケープタウン空港でビーズ細工のチョーカーとブレスレットを買った土産物店の名前に、カレン・ブリクセンの有名な作品名が使われていたこと。

・最後が、10歳のとき母から手渡されたL・モンゴメリの分厚い一冊『赤毛のアン・続赤毛のアン』、文庫化された最終巻『アンの娘リラ』まで夢中で読んだ中学生時代。そこから始まった北米、ヨーロッパ、アフリカ大陸を経る「学びほどき、学び直す/アンラーン」の旅の帰還が、認識地図のなかで明らかになった──わたしが学んだ日本の歴史教育が教えなかった──北海道が旧植民地だったこと。

 2024年はクッツェーが30代に書いた『その国の奥で』の新訳、22年前の訳書マリーズ・コンデの『心は泣いたり笑ったり』の復刊、そして『マイケル・K 』からのクッツェー翻訳を振り返るコラム連載で、大きな一区切りになりました。

 2022年2月に始まったウクライナ・ロシアの戦争は先が見えず、2023年10月からのイスラエルによるパレスチナのジェノサイドを世界は止めることができず、想像を絶するスーダンやチャドの死者数は滅多に伝えられることがない。

 今年はどんな年になるのやら、ですが、とにもかくにも、この世界にあるかぎり──ハン・ガンが言うように──人の心と心をつなぐ糸を紡ぎ、わずかでも暗雲を払うような仕事をしたいものです。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。