2025/06/10

梔子の花が咲いた

2025.6.10 開花

今シーズン初めての梔子が咲いた。花は小さいけれど、いい香りだ。

 昨年のちょうどいまごろ、ベランダに小さな梔子の鉢がやってきた。花が終わったころに大きめの鉢に植え替えて、西陽を当てないように水を遣りつづけ、冬を越した。

 鉢は2つあって、最初に咲いたのは、なぜか小さいほうの鉢だった。

 梔子=クチナシ。

 なにも見ずには書けない漢字だけれど、文字を見ていると矢川澄子が論じていた野溝七生子の『梔子』を思い出さずにはいられない。

 明治30年(1897年)に兵庫で軍人の家に生まれ、作家になった才人で、文学批評も書いた。女は結婚して子供を産んで、というのが定番だった時代に抗い、ひたすら本を読みたいと思った先人である。文学的才覚は比類なかった、と矢川澄子から直に聞いた記憶がある。1980年代半ばのことだ。新橋第一ホテルに長期滞在して、いわゆる「家」を持たなかった人。

 調べてみると『梔子』が、ちくま文庫(2023)から復刊されていた。野溝七生子の初作品、自伝的作品といわれている。先駆的な女性の作家の作品が正当に評価されて、続々と復刊されていくのは嬉しいかぎりだ。

(敬称略)

 

2025/06/05

翻訳ハイキング

                               くぼたのぞみ

だれも行ったことのない場所まで行けるだろうか
ことばの骨灰で

そんなことが可能だろうか

記憶の底で揺れる音たち

母の叱咤 教師の脅し 悔しまぎれの捨てぜりふ

積みあげられた書物や辞書にあらがう

身をよじる青い芽が

すぱっと切られて宙を飛ぶ

時間にじっとりと疲れた意味が

長いほうき星の尾を引いて

霧雨のなかに浮かび

優しげな衣をまとって

きみをゆすり

身体の芯に刺さる声となって咽喉からこぼれ 

ぼやけた桜色の汁したたらせる

すべて/どこかで/だれかが/使っている/から

つなぎ/合わせれば/おぼろに/意図は/伝わり 

塵埃の布となって生者を包む

翻訳の烈火で焼かれた骨灰を

袋に入れて

だれも行ったことのない場所まで行けるだろうか

父語母語の外で暮らしたことのない者は

疑う 

強く疑う

ぬめる灰土で滑らないように

踏みしめる爪先に力がこもり

探り

だれも行ったことのない場所へ行きたいと思う

だれも行ったことがない

そこからだれも帰らない



***

「現代詩手帖」2017年5月号に掲載された詩です。


備忘のためにここにポストしておきます。あれから8年か、と感慨深い。見渡せば、
クッツェーはもとより翻訳界はあっちもこっちも「翻訳」と「言語」と「母語、父語」のオンパレードになっている。

2025/05/12

J・M・クッツェーとマリアナ・ディモプロスの共著

 

今回もまた、まず最初に出版されたのはスペイン語版だ(写真右)。タイトルは Don de Lenguas(言語の贈り物)。

 最近、JMクッツェーは英語より4ヶ月ほど先にスペイン語訳を出版する。表紙にはクッツェーとディモプロス、そしてそのあいだにこちらに背を向けた男性が写っている。でも、よくみるとこれは彫像。おそらくプラド美術館で撮影されたもだろう。

 共著者のMariana Dimópulos はクッツェーの最新長編小説『ポーランドの人』を翻訳したアルゼンチンの人で、スペイン語版 Don de Lenguas の翻訳者としては Esther Coross の名前が記されている。つまりクッツェーとディモプロスのやりとりは英語だったことがわかる。

 数日前に出版されたばかりの英語版 Speaking in Tongues (米国版)が届いた(写真左の赤い表紙の本)。そこで2冊ならんでいただいて、写真におさめた。2冊をぱらぱらめくってみると英語版にはエピローグがある。これはスペイン語版にはない。

 But that which is native to us needs to be learned just as well as that which is foreign.  ──Friedrich Hölderlin                                              

 ヘルダーリンだ!なるほど!わたしもまた東京に出てからニホンゴを学びなおしたんだったなあ。いまだに学習の途上にいる。

2025.5.10
本の内容は:

1.The Mother Tongue

2.Gender

3.Translating "The Pole"

4.Words


そうそう、今年の2月に85歳になったジョン・クッツェー、まだまだ元気に活躍しているようだ。先日も「フランクフルター・アルゲマイネ」というドイツ語の新聞に記事が載っていた。ウィーンにあるジークムント・フロイトのミュージアムを訪れて講演をしたクッツェー、めずらしくネクタイをしめたフォーマルな出立ちで。

 フロイトはクッツェーが若いころから読み込んで、引用も多い心理学と精神分析の、超がつく有名な学者・医師だけれど、クッツェーの講演ではそのフロイトが自分のことを語っていないと述べたらしい。「らしい」というのはドイツ語の記事をグーグル翻訳にかけてざっくり読んだだけなので、そんな表現をせざるを得ないのだけれど。これはなかなか興味深い。 

2025/04/29

山室静の「焼跡にて」という詩

 PC内の資料を整理していて、発見したものがある。「山室静」というフォルダだ。

 学生時代から山室静の名前は知っていた。教養文庫というのがあって、そこで山室静が、聖書やギリシア古典を簡略にリライトして、物語として読ませる本を何冊も書いていた。その日本語がわたしにはピッタリきた。変に学者ぶらず、小難しい衒学的な用語で読者を煙に巻くこともない。しなやかな、開かれた文章だった。

2025.4.29
 それから20年近くすぎたころ、図書館でふと山室静のエッセイ集を手に取って読んだ。抜群に面白かったのか、何冊か立て続けに読んだと記憶している。

 どんな生い立ちで、どんな活動をした人かは、調べるとすぐに出てくるので、ここでは詳しく書かないけれど、苦労して学び、信州と東北に住まい、堀辰雄らと季刊誌「高原」を創刊し、1946年には本多秋五、埴谷雄高らと共に「近代文学」の創刊に加わったとある。その後は日本女子大学で教えた。無類の酒好きだったらしい。

 山があっても登らなかった、海があっても泳がなかった、人生あともう少し──というようなことをエッセイ集のあとがきに書いていた。30代のわたしは思わず笑ってしまったけれど、妙に印象に残った。

 そんな面白さに惹かれて、たぶん詩も読んだのだろう。書き写して作ったファイルを2005年にPCに入れたところを見ると、よほど気に入っていたらしい。


***** 

   焼跡にて


昼はひねもす無用の書を読み

夜は夜もすがら埒もなき夢を見て--------


こんな詩句を書いてからでも

もう十年あまりたち

いつのまにか七十五歳を越えた

目が霞んできて本を読むのもさすがに物倦く

酒もめっきり弱くなって

酔うとやたらに転んでばかりいる

そんなところへ突然火を失して

書斎と半生をかけて蒐めた本を焼いた


それでも命のあるかぎりはうろたえずに

さりげなく生きて行かなければならぬ

昨日は牡丹を植え

今日はフシグロセンノウの種をまき

筍を二本掘り取った

あとは昨日も今日も焼け残った黒焦げの本の整理-----

ただページを開くとばらばら落ちる黒い灰や砂に

とても読む気力は出ない

そこで早目に寝床について

うまくもない酒をチビリチビリやりながら

睡りと埒もない夢が訪れるのを待つ


裏山でフクロウがホーホー鳴いている

                   山室静『詩と回想 ひっそりと生きて』

                   (皆美社 一九八六年七月三十日発行)

****

2025.5.2
 この詩が収められた『詩と回想 ひっそりと生きて』が発行されたのは1987年で、1906年生まれの山室は80歳を超えている。詩を書いたのは、いまの自分とおなじ年齢かといささか驚く。住んでいる家が火事になるって想像できないけれど。それでも、あれから40年近くが過ぎて、詩の一行一行が、その余白が、しみじみと腑に落ちる。

PS: 多くの人はアンデルセンとかムーミンとか児童文学の翻訳者として記憶しているんだろうな。わたしももちろん読んだけれど、結局、93歳で老衰で他界したんだよね、このかた。


2025/04/21

夢見つつ浅く、深く、埋める

 時間がゆっくり過ぎていくのか、あまりにも早く過ぎていくのか、ちょっとわからない日々が続く。寒風が吹きすさんでいたと思ったら、数日前から夏日だ。まだ4月だというのに。

 戸外では鶯が澄んだ声で鳴いている。うっとりする、といっても過言ではない。年明けにはヒーヨ、ヒョロと鳴いていたのに、どんどん上達して、いまでは美しくメロディアスな声を響かせているのだ。遠く近く鳴きかわす2つの声の二重唱。

 窓からは緑地の木々が見える。冬はすっかり葉を落としていた樹木も、さあ我々の季節がやってきたと言わんばかりにどんどん青葉を茂らせていく。青い空を背景に梢を揺らす木は、この季節、本当に美しい。芝生のへりではレッドロビンが赤い衣を染めていき。

 苗を買ってきた。紫蘇の育苗ポットを2つ。土はすでに整備済み。枯れた去年の朝顔の蔓と根を取り除いて、再生用の土を混ぜて、新しい腐葉土も足して。

 たっぷり土の入ったプランターの隅っこに、買ってきた紫蘇の苗を植える。タネも一袋買ってきたので、これは芽紫蘇を楽しむために浅いトレーに撒く。目の細かい篩を使って表土を薄くかける。紫蘇は発芽に光が必要だから、ひなたに置く。

 朝顔のタネがさんざんこぼれているので、混ぜ合わせた土には、もちろん、朝顔の黒いタネがたっぷり含まれている。水を遣れば、昨年のようにどんどん芽を出すだろう。今年も朝顔のすだれを作ろう。

 おや、ポットに入れた土に先週水をやっておいたら、もう朝顔が二つ顔を出している。苗を買ってきたパセリも元気だ。

 今年はオクラのタネも買ってきた。まず水に浸して柔らかくする。

 いま訳しているエッセイにオクラが出てくる。オクラはアフリカ大陸が原産で、エチオピアあたりじゃないかと言われているけど、西アフリカの料理にも使われる。

 あのネバネバが大西洋を渡り、カリブ海地域へ、そして南北アメリカスの大陸へ運ばれた。そしてオクラはアフリカン・アメリカンの人たちにとって、欠かせない、大切な食材となった。80年代初めに、ヌトザキ・シャンゲの作品にオクラが出てきたので、そうか、オクラは彼女たちのオリジンにまっすぐ繋がっているんだなと思った。


 From Okra to Greens: A Difference Love Story  Ntozake Shange

 わたしは東京に出てくるまで、オクラを食べたことがなかった。この世にオクラなる植物があることさえ知らなかった。ベランダで鮮やかに花咲くオクラを夢見つつ、水中でタネが小さな芽を出すのを待つ。

 そして、狭いベランダの小さな「庭」に、メイ・サートンのように、夢見つつ深く埋めよう。

2025/03/25

弥生3月、木々に花が咲く

 東京は桜の開花宣言がでた。そして3月も残るところ、あと一週間に。

 今年は投稿数が極端に少なくなって、なぜだ?自分?と思いながらも、ブログを書くきっかけを見つけられないまま、1年のほぼ4分の1が過ぎてしまった。😭

 
 数年来の難題が少しずつ解決して、 いろいろホッとしている。「平常心」という表現もあったなあ、と。

 だから、今年はコロナ以来、極端に引きこもりがちになった暮らしから抜け出すこと、それを課題としたい。どんどん外へ出ること、それをまず心がけよう。決めた。

 そうはいっても、花粉がたくさん飛ぶこの季節は、本当に苦手だ。全身の皮膚という皮膚が軽く炎症を起こしている。散歩のために外へ出て、緑地づたいに新芽をつけた木々の枝を眺めて、気もそぞろになりながら家に帰る。すぐに手洗い、洗顔、目薬をさす──これが欠かせないけど、でも外で出会う花たちはかくべつ!

 勝手ながら使わせていただいた花の写真は、いつも素晴らしい写真をtwitterにアップされている越川道夫(muttnik)さんの撮影です。上の写真はこぶし。花びらが大きく開いているので、よくわかる。下の写真はたぶん白木蓮。咲き切っていないので、ちょっと見分けがつきにくいけど。(ちなみにAIに画像確認してもらったら、どちらも「こぶし」という答えだった、なんだよ🤭 (°_°)!)

 それまで暗い色だった世界を、一瞬、忘れさせてくれる花々たち。ポッと心が温かくなる。

2025/02/09

お誕生日おめでとう! ジョン・クッツェーさんは今日で85歳


お誕生日おめでとう、ジョン!



暦の上では立春が過ぎたけれど、風の冷たい冬の東京では室内でシクラメンが花盛りです。真夏の南半球アデレードへの花便り!


***

 窓から見る空は今日も青く、木々は茶色の枝枝に、きっと葉芽をふくらませている。いずれかならず緑の芽を吹く。樹木は偉い。

 一ヶ月以上もブログをほったらかしにしてしまって、すみません!

2025/01/01

あけましておめでとうございます

 今年はゆっくり(自社比)歩いていこうと思います。よろしくお願いします。

 昨年11月に日経新聞のコラム「こころの玉手箱」に書かせていただきました。有料記事ですが、ここにリンクを貼っておきます。
 タイトルは「クッツェーと格闘した36年」となりました。おもに、J・M・クッツェーの『マイケル・K』に出会ってからほぼ36年にわたる翻訳作業について書いたからでしょう。


・初回は、1988年に高田馬場の洋書店ビブロスで買った『マイケル・K』の原書と作家のポスターについて。

・次は、1974年に大学最後の冬休みに初めて国際線の飛行機に乗ってパリ、ロンドン、南仏へ行ったときの、大失敗。

 ・そして、クッツェーからもらったフルーツケーキの入った赤い箱がブレスレットボックスだったこと。

・ケープタウン空港でビーズ細工のチョーカーとブレスレットを買った土産物店の名前に、カレン・ブリクセンの有名な作品名が使われていたこと。

・最後が、10歳のとき母から手渡されたL・モンゴメリの分厚い一冊『赤毛のアン・続赤毛のアン』、文庫化された最終巻『アンの娘リラ』まで夢中で読んだ中学生時代。そこから始まった北米、ヨーロッパ、アフリカ大陸を経る「学びほどき、学び直す/アンラーン」の旅の帰還が、認識地図のなかで明らかになった──わたしが学んだ日本の歴史教育が教えなかった──北海道が旧植民地だったこと。

 2024年はクッツェーが30代に書いた『その国の奥で』の新訳、22年前の訳書マリーズ・コンデの『心は泣いたり笑ったり』の復刊、そして『マイケル・K 』からのクッツェー翻訳を振り返るコラム連載で、大きな一区切りになりました。

 2022年2月に始まったウクライナ・ロシアの戦争は先が見えず、2023年10月からのイスラエルによるパレスチナのジェノサイドを世界は止めることができず、想像を絶するスーダンやチャドの死者数は滅多に伝えられることがない。

 今年はどんな年になるのやら、ですが、とにもかくにも、この世界にあるかぎり──ハン・ガンが言うように──人の心と心をつなぐ糸を紡ぎ、わずかでも暗雲を払うような仕事をしたいものです。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。