Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2022/12/02

1983年『マイケル・K』がブッカー賞を受賞したときのジョン・クッツェー

 めずらしい動画がアップされていました。1983年、J・M・クッツェーが『マイケル・K』で最初のブッカー賞を受賞したときのようすです。全体で50分あまり。クッツェーはロンドンで行われた授賞パーティには出席していませんが、撮影クルーがケープタウンまで行って録画しておいた動画が流されています。

 ラフなシャツ姿の43歳のジョン・クッツェーが──おそらくケープタウン大学の研究室でインタビューを受けたのでしょう──声も若々しく、自作について語っています。

 最初は『マイケル・K』の作品紹介があって、作品からクッツェー自身の朗読や短いインタビューなどが映像にかぶさります。『マイケル・K』という作品の背景になった南アフリカの状況を、クッツェーが具体的に語っています。作品内には主人公が白人か黒人かということは直接書いていないし、時代設定は'80年代末だけれど、列車に乗るにも、移動するにも、結婚するにも、その度に、公的機関からあなたの人種は何かと問われる……と。


 いま、こうして極東の日本という土地でこの1983年の映像を見ると感慨深いものがあります。本邦初訳のクッツェー作品として『マイケル・K』が出版された1989年、この作品を「マジック・リアリズム」だと評する文が雑誌に掲載されました(何度か書いてきましたが)。いま読めば「リアリズム」そのものなんですが。でも、当時の日本の文芸ジャーナリズムは、おそらく、その意見を疑うことさえなかったのではないか。それほど南アフリカの社会的状況の内実は伝わっていなかったし、バブルにわく日本社会は南ア産のダイヤやプラチナを買い漁る人たちがいる時代だった。「見る目が曇っていた」のではないかと思います。むしろ「マジックリアリズム」なのだとレッテルを貼ることで「わかった」ような気になる状況だった。

 南アフリカといえば人種差別制度=アパルトヘイトの国だ、ということだけは伝わっていたけれど、その具体的な内実は分からなかった時代、それが1980年代末の日本だった。でも、この状況は変わったかな? 南アについては情報は入るようになったけれど、レッテル貼りで理解したつもりになることは加速度的に進んじゃったのではないかなあ(愚痴です)。

 さて、上の動画は、さらに他の作家の作品について紹介があって、審査委員長(フェイ・ウェルダン)によって受賞作が発表されます──彼女はしっかり「クッツェー」と後半部の長音「エー」にアクセントを置いて発音してますねっ! (ただしThe Life and Times of Michael Kと The がついてしまってるけど💦)

 代理の人が賞金(多分小切手)を受け取り、司会者がクッツェーのことを「シャイというより self-effaceing(表に出たがらない)人なのだ」と述べて、後半のインタビューが始まります。およそ48分からです。

 どうぞお楽しみください!

 ちなみに、1983年にはまだ「ブッカー・マコンネル賞」という名前だったんですよ〜〜。舞台背景に明示されていますが。