Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2022/12/06

「すばる 1月号」にブローティガン下北沢泥酔激怒事件など、など、など


斎藤真理子さんとの往復書簡「曇る眼鏡を拭きながら」も11回目を迎えました。毎月かわるがわる1年の予定で書いてきた手紙も6通目、わたしの最後の手紙になります。

 「すばる1月号」は今日発売です。

 最終回なので、思い切り、あちこち話は飛びまくり──ということはなくて、小さなジャンプはあっても話の軸はいつも「藤本和子」で、その仕事を中心にブローティガン、森崎和江などグルグルとまわりました。藤本和子は「塩食い会」の主軸ですから。
 前回、真理子さんが書いた「ブローティガン下北沢泥酔激怒事件」に刺激されて、カチッと火の点いたある記憶について書きました。1975年に『アメリカの鱒釣り』の日本語訳が出版されたころ、ブローティガンがどんな感じで語られていたか、どう受け入れられていたか、わたしの身近なところで起きていたことを書きました。

 それ以後ブームのようになったブローティガン紹介の流れと、四半世紀後に翻訳者である藤本和子が書いた『リチャード・ブローティガン』について、これはもう壮大な「訳者あとがき」ですね。とりわけ『愛のゆくえ』なる日本語タイトルで紹介された作品を、一歳違いのルシア・ベルリンの短篇「虎に噛まれて」(岸本佐知子さんの訳『すべての月、すべての年』所収)とちょっと比較してみました。さて、共通のテーマは?

 藤本和子は森崎和江から大きな影響を受けたと明言していますが、その森崎が今年95歳で他界して、『現代思想』が特集を組んだ。その号に「えっ!?」と驚く文章があって、、、、森崎の『慶州は母の呼び声』に書かれていた一文をめぐって、自分の記憶を洗いなおさなければいけないと感じたのです。この本が出た1984年ってどんな時代だったのか、と調べ、考え、確認して、そんな道行きになりました。

 締めくくりは「世界文学」と「古典」と「翻訳」です。沼野充義さんの「世界文学」をめぐる比喩表現や、J・M・クッツェーの有名な講演「古典とは何か?」から引用しながら着地!

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 思えば昨年のいまごろ、第一回目の手紙を「雪の恋しい季節です」と書きはじめたのでした。また寒くなり、ふたたび冬がめぐってきて、ああ一年が過ぎたなあ、と冷たい空気のなかで深呼吸をしています。2022年はウクライナ/ロシアの戦争(まだ過去になっていない!)、安倍元首相の銃殺事件、円安ドル高による物価高騰(これも現在進行形)、いろんなことが怒涛のように襲ってきた年でした。個人的にも大きな試練の荒波にもまれ、そのただなかで嬉しい受賞があって、まさに悲喜こもごもの年でした。

 さてさて、来年初めに予定される斎藤真理子さんの最終回はどうなる? それで2人の往復書簡は締めくくられます。とても楽しみ!