Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2017/01/01

賀正── J・M・クッツェーへ、ふたたびの旅

 あけましておめでとうございます! 今年もどうぞよろしくお願いします!

現在のペンギン版
 昨年からクッツェーのデビュー作『Dusklands/ダスクランズ』(1974)の新訳作業を進めている。初訳は1994年にスリーエーネットワークから『ダスクランド』としてすでに出ていて、そこには充実した解説もついていた。だが、あれから20余年がすぎて、その後クッツェーの新たな作品がいくつも日本語に翻訳され、彼の作家活動と作品群を照らし合わせる伝記や文学論も数多く出版された。1940年生まれの、まさにわれわれの同時代作家であるクッツェーの全体像を考えるためにも、この作品の含みもつ意味合いを再評価するためにも、新訳が出てもいい時期だ。それで気づいたことがある。

 二つのノベラから構成される『ダスクランズ』の第一部「ヴェトナム計画」は、クッツェーの自伝的三部作の二作目『青年時代』にかぎりなく接近するところがあるのだ。それは『青年時代』を訳したあとで『ダスクランズ』をあらためて読み直したことで発見した事実だった。

 「ヴェトナム計画」にこんな文章がある。
南アRavan社版の表紙

──図書館のぼくの閲覧ブースは灰色で、灰色の書見台と書類を入れる灰色の小さな抽き出しがついている。ケネディ研究所の職場も灰色だ。灰色の机に蛍光灯、一九五〇年代の機能主義だ。不満を述べることをちらりと考えてはみたが、反撃に身をさらさずにすむ方法が思いつかない。硬材の机は管理職用なのだ。そこでぼくは歯をくいしばって耐える。灰色の平面と影をつくらない緑色の照明、その下を気絶した青白い深海魚のようにぼくは浮遊する。それが記憶のもっとも灰色の部分に染み込んで、かつてのぼく自身に対する愛憎入り交じる白昼夢にとっぷりと浸らせる。二十三歳、二十四歳、二十五歳の炎を使いはたしたあの歳月、データマチック社のぎらつく蛍光灯の下で、おぼろげに西方の国の訪れを約束する午後五時を、ぼくは瀕死の時間のなかで待ちわびたのだ。──『ダスクランズ』第1部「ヴェトナム計画」1974

 場所はカリフォルニア、時代は1970年代のヴェトナム戦争のまっただなか、主人公ユージン・ドーンは軍部から請け負った心理戦のプランを練っている。神話による先住民を制圧する方法論だ。
 彼はいわゆるバックルーム・ボーイズの1人だ。これはMITなどの卒業生がシンクタンクに勤めて、米軍から発注された心理作戦を構想する男たちを呼ぶチョムスキーのことばだが、ここでユージン・ドーンが述べる「かつてのぼく自身に対する愛憎入り交じる白昼夢」とは『青年時代』に出てくるジョン・クッツェーのロンドン暮らしと限りなく重なり、「23歳、24歳、25歳」の炎を使いはたした、というのもクッツェーがロンドンに滞在した1962年から65年までと時期が重なるだけでなく、データマチック社という架空名はIBMやインターナショナル・コンビューターズで働いたクッツェーのプログラマー時代を彷彿とさせる。「ヴェトナム計画」が発表されたときは、もちろん『青年時代』はまだ書かれていない。

 そのクッツェーの自伝作品『青年時代』(2002)には、こんな箇所がある。

ハードカバー版
──第三週目の終わりに最終筆記試験を受けて、ぱっとしない成績でパスし、研修終了となってニューマン通りへ進み、そこで机をあてがわれて九人の若いプログラマーと同室になる。オフィス内の家具はすべて灰色だ。机の抽き出しには紙と定規、鉛筆、鉛筆削り、そして黒いビニールカバーの小さなスケジュール表が入っている。カバーにはがっちりした大文字で「THINK」という語が書かれている。メインオフィスのはずれに上司のブースがあり、その机に「THINK」と書いた立札がある。「THINK」がIBMのモットーだ。IBMの特色は、考えることに情け容赦なく専心することだと思い知らされる。四六時中考えるかどうか、つまりはIBMの創設者トマス・J・ワトスンの理念に従って行動するかどうか、それは従業員次第だ。考えない従業員はIBMにいる資格はない、IBMは事務機器世界の貴族なのだ。ニューヨークのホワイト・プレーンズにあるIBM本社には実験室がいくつかあり、そこでは最先端のコンピュータ・サイエンスの研究が進み、これは全世界の大学を合わせたものよりはるか先を行っている。ホワイト・プレーンズの科学者たちは大学教授よりも高給で、欲しいと思うものはなんでもあたえられる。その見返りに要求されるのが考えることなのだ。──『青年時代』2002


 灰色のオフィス内の家具に対する印象は、クッツェーが自作内でディテールとして自分の具体的な体験を使う一例だが、ロンドン時代の経験が約10年後に書かれたデビュー作からすでに使われていたことを、今回訳していて発見した。これは面白い。

 すでに「晩年のスタイル」に入ったクッツェーという作家のデビュー作を新訳する作業は、「自伝はすべてストーリーテリングであり、書くということはすべて自伝である」という彼の作風、小説哲学を再確認することにもなりそうだ。また、第二部「ヤコブス・クッツェーの物語」はオランダ語からの英訳ということになっているが、彼の原点ともいうべきこのノベラには、クッツェーが作家として出発するときの最重要ポイントが秘められていることにも気づいた。作品自体が「翻訳」なのだ。これについてはまた別に。

PS:*ちなみに、右上にあげたヨハネスブルグのレイバン社の表紙は、いかにもレトロな開拓時代の南部アフリカの風景画で、クッツェーは気に入らなかったらしい。
 **新訳『ダスクランズ』は秋ごろ出る予定ですが、版元は京都のかの老舗出版社、人文書院です。