Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2014/05/19

ニンゲンは行儀よくしなければ、地上では動物たちの客なんだから/クッツェー

facebook を毎日のようにのぞいていて、ほとんどアディクトめいたようすになってきたことに、われながら驚く。そのせいか、ブログを書く回数が減ってきたような気がする。これはまずい。

facebook はすぐに誰かの反応があるので面白い反面、そこに書き込んだことがどんどん下の方に落ちていき、またたくまに視界から消える。自分のタイムラインにシェアしても、数カ月もたつと取り出すのさえ面倒になる。情報の断片を、これは前に読んだことと関連していると思って、以前の情報を検索しようとしてもうまく辿り着けない。つまり、情報は「その場限り」のはかない生命となりやすいのだ。

 時間をかけてじっくりやる仕事や作業にはまったくもって向いていない。ただの「反応」の山であって「応答」にはなりにくい。情報発信には役立ち、相互作用も組み込まれているから「広場」的な役割もはたしているが、それが発信者のほとんど独りよがりともいえる書き込みや、つぶやきが中心になってしまうとつまらない。

 池の水面に落とされた小石の波紋。その波紋をゆっくり読み取る作業はあまり重要視されない。これは「文学」とは対極の流れ方かもしれない、facebook に流されないために、いま一度、ブログに戻ろうと思う。


先日はこんな書き込みを facebook にした。再度ここにペーストしておく。

When a journalist ・・・asked why he should want to help animals, he gave sharp, humorous reply:  "They were here on earth before we were.  We are their guest.  I'd like to persuade human beings to behave like good guests." ──J.M. Coetzee: A life in Writing by J. C. Kannemeyer p591

あるジャーナリストがクッツェーに、なぜ動物を助けたいと思うのか、と訊ねると、彼はきっぱりと、ユーモラスにこう答えた。「動物たちは地球上にわれわれが来る前からいた。われわれは動物の客なんだ。わたしは人間に行儀の良い客として振る舞えと説得したい」──J. C. カンネメイヤーの『伝記』より

けだし名言である。

さて、クッツェー自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの自伝』(インスクリプト近刊)の作業も、98%が終った。あと一息だ。