Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/10/20

複数のアフリカ(前)──クッツェーの『ニートフェルローレン』

立命館大学の生存学研究センターで行われた、「目の前のアフリカ 第4回──アフリカ文学の彩り/White, Black and Others」、無事に終わりほっとしています。

 質疑応答の時間につぎつぎと出た質問の中身がすばらしく濃くて、京都という土地の知的探求の独特の深さを実感しました。まことに得がたい、充実した時間でした。招待してくださった西成彦さん、お世話になったセンターの方々、聞きにきてくださった方々(遠くから駆けつけてくださった方もいて感激!)、本当にありがとうございました。

 その場でもお知らせしましたが、雑誌「神奈川大学評論 76号──特集:アフリカの光と影(11月末発売予定)に「複数のアフリカ、あるいはアフリカ"出身"の作家たち」という文章を書き、つぎの三つの短編とエッセイを紹介します。

 1)J・M・クッツェーの短編「ニートフェルローレン/Nietverloren」
 2)ビニャヴァンガ・ワイナイナのエッセイ「アフリカのことをどう書くか/How to Write About Africa」
 3)ノヴァイオレット・ブラワヨの短編「ブダペストやっつけに/Hitting Budapest」

 以下に、その予告編を少し。


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 じつは、J・M・クッツェーという作家は「ニートフェルローレン/Nietverloren」という短編を書いている。アフリカーンス語で「Not Lost/失われない」という意味だ。南アフリカの地図を調べると、実際にモッセル湾のそばに、ニートフェルローレンという名の古いワイナリーが出てくるが、作品内ではカルーのどまんなかに、古くからある農場の名として使われている。

 アメリカからやってきた古い友人カップルといっしょに車で、ケープタウンからジョハネスバーグへ向かう旅の途中、リッチモンドから国道1号線を15キロほど入ったところにあるとされるその農場を、ガソリンスタンドにあったちらしを見て、ランチがてらに訪ねてみる。すると農場で採れた食材を使った料理が出てくる。往事の台所や、羊毛刈りを手作業でやった時代の道具等が、お金を払えばそっくり見学できるという。そう、そこは観光客向けのテーマパーク農場だったのだ。

 この短編『ニートフェルローレン』をクッツェーは、2006年9月の初来日直前にトリノで朗読した。当時ネット上はイタリア語の翻訳バージョンしか発見できなかったが、少なくともそれ以前に書かれた作品であることは確かだ。(Nietverloren って何? とわたしは思いつづけていた。)
 今回、調べてみて発見したのだけれど、2010年6月にツールーズの「南アフリカ作家フェス」で、クッツェー自身が英語で、コメディーフランセーズの女優が仏語で、この作品を交互に朗読している写真もあった(上)。
 
 物語は、ジョンがまだ幼い子供だったころの思い出から始まる。父親がまだ従軍していたころとあるので、1944年前後だろうか。父方の農場へ母親と弟と3人で身を寄せたとき、広大な農場をあちこち歩きまわって発見した、不思議な土地があった。

「円形の剝き出しの平らな地面で、直径が歩いて十歩ほど、円周に石でしるしがつけられ、内部は草一本生えていない土地」、あれはいったいなんだろう、フェアリーリングだろうか、母親にきくと、そうだろうと母親はいう。しかしこんな暑熱の南アフリカに妖精がいるのか?

 ずっと後になって、それがなんの跡だったか、一枚の写真を見ているとき、みるみる謎が解けていく。その円形の土地は、じつは、小麦の脱穀がまだ人の手や馬力を使ってやっていた時代の脱穀所だったのだ。その脱穀という農作業をクッツェーは細かく、細かく描いていく。失われた自給自足農業の手作業プロセスとして。bladder を竿につけた農具、とあるのは、具体的には牛や羊の嚢、とくに膀胱を干して使ったのだろうか?
 
 そんな話のあと、友人たちとの南アフリカ横断(縦断?)の旅の途中に立ち寄ったニートフェルローレンをめぐり、南アフリカの農業事情や、解放後の南アフリカに対するクッツェーの思いが展開される。それがこの短編の、いってみれば筋立てだ。そこには、この地球上の暮らしの変化、歴史などに対する彼の考えが、短いながらしっかりと書き込まれている。

***つづく***