褐色の肌に誤ってぽとりと落ちたような碧眼のデイヴィッド。表向きは学校教師だが、じつは非合法の解放組織ANCの闘士である。あるときミッションを託されてスコットランドのグラスゴーへ行き、訪れた歴史博物館ピープルズパレスで一枚の絵を見る。18〜19世紀のグラスゴーの経済的繁栄を示す展示のなかに、西インド諸島のプランテーションから煙草や砂糖を船で運んで大金持ちになった男の一族を描いた絵画があった。暗色の画布に目を凝らすうちに、左上になにかを感じて目をやると、召使いの服を着た黒人男がこちらをじっと見据えているではないか。だが、男の顔はやがて眼差しといっしょに、ゆらゆら揺れて水に解けるように消えていく。1980年代のことだった。
それから随分ときがたち、いまは1991年。アパルトヘイトからの解放も間近だ。思い立って自分のルーツ探しに訪れた町コックスタッドのホテルで、デイヴィッドは奇妙な体験をする。ウェイターの眼差しにどこか見覚えがある、だが、どこで見たのか思い出せない。なにか不穏な記憶と結びつく視線で、心が落ち着かない。やがてそれは、この絵のなかで見た奴隷の眼差しだったことに気づいて‥‥。
1767年にアーチボルド・マクラフリンという画家によって描かれた、当時グラスゴーで指折りの「煙草王」、ジョン・グラスフォード(1715〜83年)一家の絵だ。見ての通り、奴隷男の顔はない。しかし銘板に「左手に黒人奴隷が描かれていたが、その後、塗りつぶされた」とあった。デイヴィッドはまず絵を見て、その次に銘板を読んだのだが‥‥。この絵はいまも実際にグラスゴーのピープルズパレスに架かっているという。
ドロシー・ドライヴァーの「あとがき」によれば、トバイアス・スモーレットの小説『ハンフリー・クリンカー』(1771年)には、グラスフォードという男が外洋航海中の25隻の船舶を所有し、その貿易額は年に50万スターリング以上にのぼったとある。彼はグラスゴーの大貿易商、銀行家であり、「ヨーロッパでもっとも偉大な商人のひとり」だった。
この一族の新たな富はとりわけ、グラスゴーの煙草王たちが着用した赤いマントを思わせる赤い衣類とドレープとして表象され、さらに、この絵には奴隷の姿が描かれていた。奴隷は当時の挿絵図版にとって、大儲けできる植民地との結びつきを示すお決まりのシニフィアンだったのだ。しかし、ユマニストたちの擡頭によって、奴隷制廃止論が高まるや、この絵に手が加えられて、奴隷の顔が塗りつぶされた。
銘板のコメントを見ないうちに、なぜデイヴィッドにその奴隷の顔が見えたのか? 幻視のように。やがてその記憶が、解放組織内の、忘れてしまいたいある記憶へと結びついていく。いまだに全容が解明されていない、アンゴラ北部にあったANCの拘禁キャンプでの記憶である。小説はそのとき、南アフリカにおける奴隷制の歴史と、ひとりの個人の記憶をめぐる謎解きの様相を帯びて緊迫する。
絵画から塗りつぶされた奴隷の顔が浮かびあがる。これはなにを意味するのか?
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