チママンダ(わたしの神は倒れない)というすてきな名前の人は、濃い青のフレンチスリーブのトップに黒っぽいパンツ姿で、荷物をのせたカートを押しながらゲートから出てきた。一瞬、思ったより小柄だと感じたのは錯覚で、その姿は『半分のぼった黄色い太陽』の原著カバーを高くかかげる出迎え陣のほうへ近づくにつれて、ぐんぐん大きくなった。初めまして、ようこそ、笑顔、そして笑顔。たがいにことばを交わしながらハグするころには、みんな、以前から知りあいのような気分になっていた。
国際ペン東京大会の「文学フォーラム」に招待されて初来日したナイジェリア出身の作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェはこの9月に33歳になったばかり。コンパクトにぎゅっと詰まったスケジュールをこなし、さらに日帰りで京都の旅を楽しんで、無事帰国した。
「文学フォーラム」2日目の9月24日は俳優の松たか子が美しい音楽をバックにアディーチェの短篇を朗読し、満席の会場を魅了。朗読したのは2007年、世界にさきがけて出た日本オリジナル短編集『アメリカにいる、きみ』に入った同名の短篇だ。2009年の英語版短編集ではタイトルが「なにかが首のまわりに」と変わり、内容にもかなり手が入っていた。ラゴスからアメリカへ渡った「きみ」と渡米先で仲良くなったボーイフレンドの立ち位置の差が、よりくっきりと書き込まれていたのだ。急遽、改訳して来日にそなえたが、新バージョンへの加筆内容には、ここ数年の作家アディーチェの微妙な変化を読み取ることができる。
朗読が終わり、スピーチのためにステージにあがったアディーチェは、やや低めの落ち着いた声で自分の生い立ちや渡米体験をまじえて、アフリカに対する北側社会のステロタイプなものの見方について語った。準備はあまりしないそうで、ときおりメモに目をやりながら、即興で、途切れることなくことばを紡いでいく。まさにストーリーテラーだ。
語られたエピソードのなかでもとりわけ印象的だったのは、獄中のネルソン・マンデラがチヌア・アチェベの作品を読んで長い刑期を耐えたという話だ。アディーチェは「アフリカ文学の父」アチェベに最大級の讃辞を惜しまない。英米人の書いた本ばかり読んで育った幼いころは、本に出てくるのは白人しかいないものと思い込んでいたが、アチェベの作品を読んで初めて、黒人も、つまり自分のような人間も本のなかに登場していいんだ、と知ったのだという。この体験を彼女は来日中、くり返し語ることになった。
1930年生まれのチヌア・アチェベはナイジェリア出身の、アディーチェとおなじイボ民族の作家で、代表作『崩れゆく絆(Things Fall Apart)』は英語文学の必読書として世界中で広く読まれている。そんな作家へのオマージュとしてアディーチェは初長編小説『パープル・ハイビスカス』の出だしを、先の作品タイトルで書き出している。
スピーチのなかで語られたもうひとつのエピソードは、獄中で『半分のぼった黄色い太陽』を読み、心の支えとしたある女性政治囚のことだった。ペルーの刑務所に収監されていたその女性が解放後に語ったインタビューで、アディーチェの小説をあげていたのだ。
二つのエピソードは「文学はなんの役に立つか」という問いが、北側社会ではいささか古びたように思えても、視点を変えると、じつはまったく古びていないことにあらためて気づかせてくれるものだ。その問いに真っ向から答えようとする作家が、チャーミングな笑顔を見せながら目前にいた。日本ではアチェベの作品は翻訳が少なく、いまではほとんど入手困難と伝えると、おお、それじゃ、わたしのスピーチ内容がちゃんと伝わらなかったのじゃないか、と残念がっていた。
26日に早稲田大学で開かれたワークショップでは、直木賞作家、中島京子や学生4人とともにステージにのぼり、自分がその影のなかで育ったビアフラ戦争について書くこと、あるいは、書くことそのものについて、しなやかに、真摯に応答していた。
翌27日は朝から夕方までインタビューがぎっしり詰まっていたが、これも大好きなチョコレートケーキを食べて元気を補給しながら最後までこなした。ときにアディーチェにとっては、わあ、ステロタイプ、と感じられたであろう質問にも(質問者の側にしてみれば、それが一般的な日本人読者のアフリカに対する見方なのだから、きいておかねばと思うのも無理はなく)、茶目っ気たっぷりの目をくりくりさせながら忍耐強く、すばらしく機転のきいた受け答えと細やかな気遣いを見せた。
彼女が何度も強調したのは、長いあいだ欧米人がアフリカのことを書いたものが読まれてきたが、それはアフリカを外側から見て書いたもので私たちの物語ではなかった。いまはアフリカ人が等身大のアフリカを内側から書き、それがアフリカの物語として読まれるときだと思う、ということだ。
こうしてチママンダ旋風が残した肥沃なことばの土壌に、これからなにを実らせるか、それがことばを手渡された者の楽しい宿題となった。
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付記:「群像」12月号に掲載されたエッセイです。