E. Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2007/11/08

『バーガーの娘 上/下』by ナディン・ゴーディマ


1991年のノーベル文学賞を受賞した南アフリカの女性作家、ナディン・ゴーディマの代表作。
 この作家は、悪名高いアパルトヘイト(人種隔離)政策との関係で、日本でも名前だけはずいぶん早くから有名になってしまったけれど、本格的な長編作品が邦訳されたのはこの『バーガーの娘』(福島富士男訳/みすず書房 1996年)が最初でした。それまでにも短編集は何冊か出ていましたが、1994年に中編『ブルジョワ世界の終わりに』が出て、1996年にこの『バーガーの娘』が邦訳されました。
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 物語は1960年代初頭、12歳か13歳の少女ローザ・バーガーが、拘禁された母親に差し入れをする場面からはじまる。父も母も、結婚した当初から、反体制活動のために逮捕され、拘禁される生活をくりかえしてきた。たったひとりの弟は、幼くして溺死。やがて母は病死し、父も獄死する。
 南アフリカのオランダ系白人、アフリカーナーの名門に生まれながら、そのアフリカーナー集団とは真っ向から対立する活動をつづけてきた父(ネルソン・マンデラの弁護をしたブラム・フィッシャーがモデル)と母をもって生まれたローザは、それまでよりどころとしてきた家族を失い、27歳のときに、逃げるようにヨーロッパへと旅立つ。
(それは当時、白人にしか許されない「自立のための旅」ではあったのだけれど。)
 ニースに住む、父の前妻、カーチャのもとへ身をよせたローザは、そこでめぐり逢ったフランス人と恋に落ちる。バカンスが終わり、ロンドンで落ち合うはずだった恋人の代わりに、彼女が出会ったのは……。
 全体にピーンと張りつめた緊張感。ひとかけらの幻想も許さないことば遣い。語りの相手を交替させながら、自在に会話を組み込んでいく独特な文体。心理の裏の裏を読む、屈折した光によって描き出される、さまざまな人物像。
 一歩まちがえると絶望の奈落の底へ蹴落とされるような状況で、踏みとどまり、生き延びるための、その精神のありようを描ききろうとする姿勢に、ゴーディマとはこんな作家だったのか、とあらためて思った。
 マンデラが終身刑をいいわたわされたリボニア裁判(1963-4年)あたりから、ローザが帰国して投獄される1976年のソウェト蜂起直後までの、南アフリカの現代史を小説というかたちに結晶させた作品である。南アでは発禁処分を受けたこともある。
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付記:その後おなじ訳者で1998年には『この道を行く人なしに』が出ています。アパルトヘイトから解放されたこの作家の、じつにのびやかな筆の運びが楽しめる傑作です。その書評はこのサイトへ