Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2007/11/30

鏡のなかのボードレール(2)

「自分が見せ物として貸し出されるとか、所有者である男から動物の調教師に売られたり、科学者に賃貸しされるなんて想像つきますか?」

 そんなショッキングなことばで始る記事が南アフリカの新聞に掲載されたことを、ある新聞のコラムに書いたのは1999年3月のことでした。それは、ゾラ・マセコ監督の「サラ・バートマンの生涯」というドキュメンタリー・フィルムが、南ア国内で放映された記事にまつわるものでした。ここではまず、その後日譚を。

 サラ・バートマンは18世紀末にグリクワ民族として生まれた女性です。グリクワというのは南アフリカの先住民族のひとつで、ヨーロッパ人入植者たちが「ホッテントット」という蔑称で呼んだグループに入れられてきた人たちです(2012.6.13付記:『デイヴィッドの物語』を書いたゾーイ・ウィカムによると、バートマンがグリクワだったという説には異論もありそうです。また現在グリクワとして生きる人たちは「コイサン諸民族」のひとつであるとされ、長いあいだ、コイコイ=ホッテントット、サン=ブッシュマン、とされてきた区別そのものにも疑問を呈する研究が出ています。このブログを書いたのは『デイヴィッドの物語』を訳す前だったせいか、記述がやや不正確な箇所があります。ごめんなさい。正確な詳しい情報はぜひ、もうすぐ出版される拙訳『デイヴィッドの物語』本文やドロシー・ドライヴァーさんの緻密な解説を読んで確認してください)。

この投稿は、拙著『鏡のなかのボードレール』におさめられることになりました。


つづく