今年はゆっくり(自社比)歩いていこうと思います。よろしくお願いします。
昨年11月に日経新聞のコラム「こころの玉手箱」に書かせていただきました。有料記事ですが、ここにリンクを貼っておきます。
タイトルは「クッツェーと格闘した36年」となりました。おもに、J・M・クッツェーの『マイケル・K』に出会ってからほぼ36年にわたる翻訳作業について書いたからでしょう。
タイトルは「クッツェーと格闘した36年」となりました。おもに、J・M・クッツェーの『マイケル・K』に出会ってからほぼ36年にわたる翻訳作業について書いたからでしょう。
・初回は、1988年に高田馬場の洋書店ビブロスで買った『マイケル・K』の原書と作家のポスターについて。
・次は、1974年に大学最後の冬休みに初めて国際線の飛行機に乗ってパリ、ロンドン、南仏へ行ったときの、大失敗。
・ケープタウン空港でビーズ細工のチョーカーとブレスレットを買った土産物店の名前に、カレン・ブリクセンの有名な作品名が使われていたこと。
・最後が、10歳のとき母から手渡されたL・モンゴメリの分厚い一冊『赤毛のアン・続赤毛のアン』、文庫化された最終巻『アンの娘リラ』まで夢中で読んだ中学生時代。そこから始まった北米、ヨーロッパ、アフリカ大陸を経る「学びほどき、学び直す/アンラーン」の旅の帰還が、認識地図のなかで明らかになった──わたしが学んだ日本の歴史教育が教えなかった──旧植民地だった北海道だったこと。
2024年はクッツェーが30代に書いた『その国の奥で』の新訳、22年前の訳書マリーズ・コンデの『心は泣いたり笑ったり』の復刊、そして『マイケル・K 』からのクッツェー翻訳を振り返るコラム連載で、大きな一区切りになりました。2022年2月に始まったウクライナ・ロシアの戦争は先が見えず、2023年10月からのイスラエルによるパレスチナのジェノサイドを世界は止めることができず、想像を絶するスーダンやチャドの死者数は滅多に伝えられることがない。
今年はどんな年になるのやら、ですが、とにもかくにも、この世界にあるかぎり──ハン・ガンが言うように──人の心と心をつなぐ糸を紡ぎ、わずかでも暗雲を払うような仕事をしたいものです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。