2024/07/26

朝顔すだれの透かし模様

 このところあまりの暑さに、仕事も何もする気が起きなかったけれど、ある限界を超えると、かえってむくむくとその気が湧いてくるから不思議だ。すでに仕上げてあった原稿を2度ほど通読して、メールで送った。

 今年はベランダで朝顔が咲き乱れている。文字どおり次から次へと咲くのだ。どんどん蔓がのびて、物干し竿に絡み付き、ベランダの天井まで伸びて、ふたたび下向きになって横に伸びて、、、、。


 暑いので、とにかく朝夕たっぷり水を遣る。早く咲いて散った鉢はすでに種を作って枯れてしまった。ひと月ずつ時期をずらして水を遣ったので、いまを盛りに咲いているのは、最後の6月初めまで水を遣らなかったプランターのものだ。写真はその茂りに茂っている朝顔。やっぱりプランターのようにたっぷり土があるほうがいいのだね。


 窓から見ると、朝顔のすだれのようだ。こんもり茂った葉っぱが光を通して、透かし模様を作って、とても涼しげ。

 今夜はとりわけ蒸し暑い。午後10時に近いのに、室温はようやく30度を切ったところ。今年は「地獄のような夏」とメールをくれたのは若い編集者だ。そうか、地獄か、行ったことないけど。


 夜は朝顔も眠っている。だからまた明日の朝に、この朝顔すだれの透かし模様を見て、涼しさをもらうことにしよう。おやすみ、朝顔、また明日!

 

2024/07/13

『その国の奥で』が空を写して、『マイケル・K』が電子書籍になる

続きです!

 J・M・クッツェー『その国の奥で』(河出書房新社)が、あるハプニングで予定より5時間ほど遅れて、昨日の午後に篠突く雨のなか届いた。 

 カバーの映像が出てから実物を手にするまでの待ち遠しさは、何冊訳しても馴れることがない。ネット環境のなかった頃より、待ち遠しさはむしろ加速されたんじゃないかとさえ思える(いや、気が短くなっただけか──🐐?? 今日は晴れたので屋外で撮ったら、なんと、空が写り込んでしまった、、、左の写真の左側)

 とはいえ2000年までは──とつい昔語りになるけれど──編集者とじかに会って「みほん」を手渡されるとき、初めてカバーの絵を目にすることが多かった。実物を目にするまでは、ファクスで送られてきたぼやけた画像から想像をたくましくするばかりで、ひたすら待つしかなかった。筑摩書房から出た初めての訳本『マイケル・K』を受け取ったのは、1989年の初秋だったか。国立のロージナ茶房で、何冊か入った袋がどさりとテーブルに置かれたときの感動は忘れない。 

 でも思えばあのころは、待つ時間はいまよりずっとゆるやかに、おだやかに流れていたような気がする。編集者ともじかに顔を合わせて、ゲラの引き渡しをしながら、細かな疑問をその場で解決するといった感じで作業は進んだ。人と人がじかに会ってことばをかわし、いろんなことを決めていた時代。ネット時代になって、それが簡略化されて、宅急便や郵便でやりとりすることが多くなった。いろんなことが省かれて、とにかく早い。連絡事項や決定事項が記録として文字として残るので、これは非常に確実。疑問などもすべてメールで即座に解決することが多い。備忘のためにも、齟齬をきたさないためにも、便利は便利。でも……。

 カバーデザインをPDF で前もって目にするようになって、それから実物が出来上がってくるまでの短からぬ時間は、まだかな、まだかな、と焦燥の念に駆られるようになったんじゃないかとやっぱり思うのだ。なんでも早くできる時代に、待つことに不慣れになり、ちょっと疲れて、頭のなかで少し横に置いたころ、どさりと届く──という感じになった。

『その国の奥で』を訳していて思った──J・M・クッツェーの作品を翻訳するのは、これで何冊目だろう。共訳を含めると軽く10作品は超えるかも知れない(数えてみると12作か)。南アフリカを舞台にした作品を、クッツェーは長短篇をすべて含めて9作書いているが、そのうち8作を訳したことになる。作品の背景や時代のコンテキストを重視する訳者として、南アフリカの事情を、はしょらず、正確に、ニュアンスを細部まで伝える努力をしてきたつもりだけれど、責務は果たせただろうか。

 とりわけジョン・クッツェーの生きた時代とぴたりと重なるアパルトヘイト時代の政治制度の内実や、人種による微妙な人間関係の心理をめぐる細部は、どんどん大雑把にまとめられて歴史の彼方へ葬り去られていくようだ。翻訳者も解説者も編集者も校閲者も、勘違いや見落としを最初から疑って、歴史的事実を正確に伝えるよう努力しなければいけない時代になった。
(たとえば、南アフリカで国民党が政権を奪取したのは1948年、1960年代ではない。1948年は時代の分岐点で、アパルトヘイト制度という人種差別制度が公然と開始されたのはこの年だこの年は少年ジョンがケープタウンから内陸のヴスターへ引っ越した年でもあった。)

 『マイケル・K』はそのアパルトヘイト末期を舞台に描かれた小説だ。1983年に発表されて、この年のブッカー賞を受賞した。1989年の初訳が出たころは、日本ではバブル経済で南ア産のプラチナを若い女性が買い漁った時代でもあった。

 現在入手可能なバージョンである岩波文庫『マイケル・K』が7月27日(7月25日に早まりました!)、電子書籍化される。単行本が出たのは35年前だ。2006年にちくま文庫に入り、2015年に岩波文庫になり、9年ごとの「変身」を重ねて、ついに電子書籍になる。カフカの『断食芸人』『審判』とも響き合うこの作品が、カフカ没後100年に、またまた変身して新世代の読者に届くのは訳者冥利に尽きる。

 J・M・クッツェー作品が初訳から一周、二周して、新しい読者と出会ってほしいものだ。

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2024/07/12

J・M・クッツェー『その国の奥で』のみほんが届いた

 J・M・クッツェー『その国の奥で』(くぼたのぞみ訳、河出書房新社)

 J・M・クッツェーの二作目に当たる『その国の奥で In the Heart of the Country』は、20世紀めの南アフリカ奥地で、外部世界から孤絶した農場を舞台に展開される。非常に実験的な作風は初作『ダスクランズ』を凌ぐほど。1~266の断章から構成される、孤独な、マグダという女性の暗い情念と観念と幻想の物語だ。

 1977年にまずアメリカで(タイトルを一語変えて)、次いでイギリスで出版され、翌1978年に南アフリカで、会話の部分がアフリカーンス語の二言語バージョンとして出版された。じつはこの作品が、アメリカ、イギリスなど北半球の英語圏での実質的デビュー作だったのだ。その経緯についてはここに詳しく書いた

 新訳『その国の奥で』のカバーは、版元サイトにも、ネット書店にも既に出ていて、このブログの右上にも少し前からアップされている。でもカバーの色が黒ではなく、青みがかったダークな色だと知ったのは今日みほんが届いたときだ。そのインクを混ぜたような黒色空間(たんなる平面には見えない)に浮かびあがる、もの言いたげな薄紫の花と花びら、その濃淡がかもしだす幻想世界、キリッとした白い文字。

 アメリカ移住がかなわず、1971年、無念を断ち切り船に乗って南アフリカへ帰国したジョン・クッツェーが、このまま「地方」に埋もれてなるものかという意気込みで『ダスクランズ』(1974)を発表し、その次に発表したのが、この『その国の奥へ』(1977)だった。さらに広い読者層を獲得したいという野心と、実験精神にあふれた若き作家の熱いエネルギーが行間からほとばしる作品なのだ。訳しながら時々くらくらっとなった。詳細は本書「訳者あとがき──J・M・クッツェーのノワールなファンタジー」を!



帯の文句がまた比類ない。きっちりと内容を伝える表の帯。

植民地支配の歴史を生きたものたちの、人種と性をめぐる抑圧と懊悩を、ノーベル賞作家が鮮烈に描いた、濃密な、狂気の物語。語りと思考のリズムを生かした新訳決定版!!!

 帯裏にはマグダの独白が具体的に引かれている。

「父さん、許して、そんなつもりじゃなかった、愛してる、だからやったの」
              

 装画は熊谷亜莉沙さんの作品。送られてきた最初のラフを見たときの、戦慄にも似た深い感覚は忘れられない。作品と挿画の、火花を散らすような、比類なく幸運な出会いだと思う。


 バックカバーの裏の折り返しにも注目してほしい。「その国の奥で」という文字といっしょにさりげなく、掘り抜き井戸の写真が使われているのだ。訳者のたっての希望で、最後の最後に入れていただいた。南ア奥地の半砂漠地帯カルーで農園を営むためには絶対に欠かせない掘り抜き井戸。風車の力を使って水を汲みあげ、貯水池に貯める。その水で農場の生き物たちは生を営む。空の部分をぼかした見事なアレンジだ。ブックデザインの大倉真一郎さん、ありがとうございました。


(思えば掘り抜き井戸は『マイケル・K』にも頻出するが、物語の最終場面にも象徴的なかたちで使われていた。)

 そして終盤、あまりにノワールで妄想的な物語世界に半分持っていかれそうになった訳者に、最後まで根気よく伴走してくれた編集の島田和俊さんに深くお礼をもうしあげる。


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(この続きと、『マイケル・K』の電子書籍化については次回に!)