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J・M・クッツェー『続・世界文学論集』(田尻芳樹訳・みすず書房刊)がとどいた。
🎉🎉🎉🎉🎉
‼️
「モラルの物語を紡いできた作家は最高の読み手でもある」という帯のことばがいい。
とにかくクッツェー歴30年の身としては、クッツェーの本が日本語で出ることが嬉しい。おまけにこれはより抜きのエッセイ・アンソロジーだから、クッツェーという作家が小説の書き手であるだけではなく「読み」の名手であることも堪能できる。
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これまでのクッツェーが書いた文学論、書評は『ダブリング・ザ・ポイント』を入れると、Stranger
Shores、Inner Workings、Late Essays と4冊あって、今回出たのは後半の2冊から選ばれたものだ。
なかでも文人とはまったくいいがたいヘンドリック・ヴィットボーイが書いた「ヴィットボーイの日記」が入っているのが嬉しい。
去年のいまごろこのブログでも3回に分けて論じたけれど、『ダスクランズ』で作家デビューしたクッツェーが晩年のエッセイ集にこの文章を入れた理由は、作家クッツェーの仕事を考える上で不可欠だ。
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先日もメキシコ自治大学で述べたように、植民地主義の歴史的な暴力とそれによる後遺症が、いまも世界のあちこちで血を流している現実と、作家クッツェーは書くことで向き合おうとしてきたことがわかる。ヨーロッパ人はそのguilty とどう向き合うか、精神分析医、アラベラ・カーツとの往復書簡集でも扱ったが、と語っていた。
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そして、つい最近第3巻『イエスの死』が出て完結した三部作について、作品についてあれこれ述べるのはひかえて本自体に語らせようと思うとしながらも、第1巻をタイトルなしで出して読者が最後のページを読み終わったあとにJesus という語が目に入るようにしたかったこと、若いころからマタイの福音書をもとに映画化されたパゾリーニの「奇跡の丘」をくりかえし観てきたこと、キリスト教徒としてではなくワイルドなイエスという若者に興味があると述べた。暴力と暴力の連鎖を断ち切るために必要なのは、self-sacrifice と関連があるとも。
とにもかくにも、非常に幅広く、深く「思考してきた人」ならではの文章が、正・続ならぶと壮観です。
追記:ここまで書いて、ラグビーのワールドカップで南アフリカが3度目の優勝をしたことを知った。🎉🎉🎉 ひさしぶりに「コシシケレリ・アフリカ」を聞いた。😂