2017/07/15

プチ夏休み:読書の愉楽

まだ梅雨はあけないみたいだけれど、東京はまるで真夏の暑さだ。このところ、5月に種を蒔いた朝顔がほぼ毎日のように花を咲かせている。

 昨日、40枚ほどの短編を訳了! クッツェーの『ダスクランズ』の再校ゲラがとどくまでに、まだ少しあるので、数日プチ夏休みということにした。
 昨日はまず、洗濯を朝から二回に分けて、がらがらと。風があるので、あっという間に乾いた。で、午後からは読書の愉楽にひたった。夢中になって本を読むという時間はひさしぶりだ。時間がかぎられていない「夏休み」ならではだ。読まねば、という義務感もないし、読んだら書評を書かなければという縛りもなく、ひたすらページをめくるという、遠いむかしの「夏休み」の感覚を取り戻す。ときのたつのを忘れて読みふける。

 今年のささやかなプチ夏休みの読書は、これ!
 谷崎由依著『囚われの島』(河出書房新社刊)。
 
 無駄のない端正な日本語と、ことばのリズムに乗せられて読み進む心地よい読書、ひさしぶりだな、この快楽は。たとえばこんな細部が光るのだ。

「蓮花がちいさな花びらの先を赤く燃やして咲くときに、その年の蚕飼いははじまりました」

 高校時代まで住み暮らした北の外地に「蓮花」はなかった。教科書に引用された俳句のなかに出てくる花の名前として記憶された「蓮花」を、内地にきてから目にして「ああ、これが蓮花の花か」と思ったことは覚えていても、それがどこでいつだったか記憶は定かではない。
 蓮花はマメ科の植物だから、根に根粒バクテリアとの共生によって窒素を固定する。だから休閑地や、耕す前の田んぼに蓮花を植えて、それを土地にすき込む、と学んだのは生物の授業でだったか。

 高校時代の夏休みは家の前の植え込みのかげにデッキチェアを広げて、そこに寝転んでよく本を読んだ。あの当時、夢中になって読んだフランス小説に出てくる「ヴァカンス」なるものを真似てみたかったのかもしれない。それはダントツに涼しい北の国で、ささやかな演出をかねた「夏休みの読書」だったのだけれど、いかんせん、気温が27度くらいまでしか上がらなかった60年代半ばのこと、強い風に吹かれて本を読んでいるうちに、手足が冷えて、芯まで冷たくなってしまう。ぶるぶる震えながら、家のなかからシーツを持ち出して全身をおおい、シーツから手だけ出して文庫本を読んだ記憶がある。いま思うと笑える。