Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2009/09/19

J・M・クッツェーの小説が発禁にならなかったわけ──南アフリカの検閲制度(1)

面白い本が出た。

 南アフリカのアパルトヘイト体制下で実施されていた検閲制度が、作家、出版社、編集者にどのようなことを強いたのか? その時代、作家たちは書きたいことを書くため、自分の作品を出版するため、発禁にならないようにするため、どのような戦略をもちいたか? その過程で、内面にどのような葛藤を抱え込んだか?
 あるいは、編集者とどんな手紙のやりとりをしたか? 発禁になったために出版社はどれだけの損害をこうむったか? 検閲制度の具体的な実態と、制度を支えていた思想について、さらにはそれがもたらした結果について、秘密裏に保管されていた膨大な資料を用いながら緻密に分析した本が出たのだ。

 本のタイトルは『The Literature Police/文芸警察』(Oxford Univ. Press, 2009)。著者は、ピーター・D・マクドナルド、1964年ケープタウン生まれの気鋭の学者だ。

 全体が二部構成になっている。第一部には、検閲制度、出版社、作家について述べた3つの章がおさめられ、第二部を構成する6つの章では、多くの著作を発禁処分にされたナディン・ゴーディマ、エスキア・ムパシェーレ、ブライテン・ブライテンバッハとルルー、黒人詩人たち、さらには発禁をまぬがれたJMクッツェー、最後に反体制文化活動の中心的雑誌だった「スタッフライダー」、についてそれぞれ論じられている。

 図版も豊富だ。80年代後半から90年にかけて私も入手した雑誌や書籍の写真がたくさん掲載されている。それを見ていると、ある感慨に襲われる。
 年譜(1910年〜96年)も充実している。1931年に作られた検閲法を実施するための委員会は、ネルソン・マンデラが解放された1990年に実質的に機能停止になった。しかし法律自体が完全に廃止されたのは1996年、新たな出版法ができたときだった。

 クッツェーをめぐる第8章は本当に面白かった。彼の著作のなかで検閲委員会が対象にしたのは3冊だけだというのも興味深いが、いずれも「望ましくない」となることはなく、発禁にはならなかった。その理由は、マクドナルドが引用する、検閲者の報告書からおよそのことが推察できる。いま読むと、現実を知らない部外者には滑稽に思えるほど。だが、当時の南アフリカで生きる「常識的」人間の考え方をありありと伝えていて、現代および外部世界との落差/僅差(?)に愕然とする。
『IN THE HEART OF THE COUNTRY/(邦題:石の女)』のレイプ場面に対する感想など、当然のことながら、男女で意見がまったくちがう。クッツェーのポストモダン的作風は、旧態然とした「リアリズム」をもとにして考えようとする検閲者の目を、みごとにすり抜けたことが確認できるのだ。

 昨年5月にニュージーランドのオークランドで開かれた「作家と読者のフェスティヴァル」に招かれたクッツェーは、その場で、彼の小説を検閲した報告書が出てきたこと(その事実は2007年にマクドナルドから知らされたそうだ)について、たとえば、ケープタウン大学の同僚の一人が検閲官だったこと、彼自身は検閲の報告書はとうにスクラップされたと思っていたことなどについて語ったという。(つづく)