2020/12/31

2020年はマヘリア・ジャクソンのDown by the Riverside で終わる

 今年2020年は、2018年の『塩を食う女たち』に続いて、藤本和子の2冊目の聞き書き集『ブルースだってただの唄』が復刊された年として記憶されることになるだろう。アメリカで始まった #BlackLivesMatter 運動が世界中に広まった年としても、しっかり記憶したい。

 アフリカン・アメリカン文化にとって River という語はさまざまな意味を持つキーワードだったのではないか。歌詞の語彙は少ないながら、歌うことでリズムや声の表情によって、複層的な意味合いをこめる、それが彼女・彼らの文化の真髄だったのではないか。表層のことばの意味の背後を想像すること。歌を聞き、その声を聞き、そこにこめられた感情の、思いの、複合的な意味を想像できる「耳」を持ちたいと思う。


 ニーナ・シモン、アレサ・フランクリンなど60年代から70年代にかけて音楽シーンで活躍したアメリカの黒人女性たちは、いってみれば、トニ・モリスンやアリス・ウォーカーの姉妹だった。

 藤本和子は、ややもすれば文学とか美術とか音楽とか、細かくジャンル分けしがちな商業的視野に、彼女たちはひとつの独自の文化から出てきた姉妹だったと述べることで「アフリカン・アメリカン文化」の最重要な性質を伝えてくれた。その文化の力で生き延びてきたものたちの存在を可視化させたのだ。

 このブログでも何度かシェアしてきたけれど、今年はそんなシスターたちの「大地」のようなゴスペルを歌い続けたマヘリア・ジャクソン(Mahalia Jackson 1911-72)のDown by the Riversideを聴きながら終わろうと思う。

みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。

2020/12/11

訳者あとがきってノイズ?──『ブルースだってただの唄』復刊を祝って


 この本(傍点)はあとがきを書くために翻訳した──と冗談まじりに口にしたのは、忘年会には少し早い、楽しい酒席でのことだった。するとテーブルの端から「訳者あとがき」について原稿依頼が飛んできた。締め切りまで間があったので、それは頭の引き出しにしまい込まれた。ところが、冬だというのになにやら薄暗がりでつぶつぶが芽を出して、光を放ちはじめた。あれはひょっとしたら、口から出まかせではなくて本当だったんじゃないか、本当にあとがきを書くために翻訳したんじゃないのか、とつぶつぶが問いつづけるのだ。

「この本」とは昨秋、新訳したJ・M・クッツェーの初作『ダスクランズ』(人文書院刊)のことだ。そういえば翻訳作業のスケジュールでは、あとがきを書く時間を二カ月と最初から見積もっていたんだ。約四十枚と編集担当者にも伝えてあったじゃないか──増えたけど。仕上がった訳をそばに寝かせて、あとがきを書いた。取り憑かれたように、二十四時間そればかり。あそこはやっぱりこうかもしれない、ふと浮かんだことばを書きつけるため、真夜中にがばっと起きあがってキーボードに向かう、そんな日がつづいて「J・M・クッツェーと終わりなき自問」がぼんやりと形になっていった。


 二〇一七年三月下旬にクッツェー研究の第一人者デイヴィッド・アトウェル氏が来日して事実関係をあれこれ確認できて、あとがきはとてもすっきりしてきた。だが、それにも増して自分でもはっきりさせたかったのは、一度日本語になった作品をあらたに訳し直す理由である。この作家は一九七四年に『ダスクランズ』を出してから現在までどんな作品を書き継いできたか、その作品群を一望にするとなにが見えてくるか、それは書いてみなければ分からなかった。クッツェーという作家を日本に紹介することになった拙訳『マイケル・K』の出版からでさえ、ほぼ三十年が過ぎている。作家を見る視点を日本の読者、世界の読者がどのように変化させてきたかも探りたかった。寝ても覚めてもとはこのことか、と思いながら遅い春の日々を送った。さて。


 翻訳はね、コンテキストが生命よ!──と藤本和子さんはいった。八〇年代初めにわたしが翻訳をやろうと思ったときのことだ。きっかけは、これまでにも何度か書いてきたが、「女たちの同時代 北米黒人女性作家選 全七巻」との出会いだった。その編集翻訳をやってのけたのが藤本さんと、朝日新聞社図書編集室の故・渾大防三恵さんだ。一九三九年生まれの藤本さんは、この仕事を三十代後半から四十代にかけてやったことになる(驚嘆!)が、そのとき『塩を食う女たち』という黒人女性の聞き書き集も出している(岩波現代文庫に入ったのは本当に嬉しい)。


 選集には「女たちの同時代」とあるように、同時代を生きる黒い女たちの圧倒的な声があった。その力強さと存在感に打ちのめされて、貪るように読んだ。知らないうちに自分は「衰弱」していたのではないかと気づいたのだ。気づけばあとは回復をめざすのみで、そのパワーをもっぱらアフリカン・アメリカンの女性たちの作品群からもらったのだ。

 怒涛の六〇年代末から七〇年代初めにかけてたまたま学生時代を送り、四苦八苦しながら子育てのトンネルに入り、出口に光が見えたのはこの選集と『塩を食う女たち』を読んだときで、あれはわたしにとって生き延びるための文学だった、といまも思う。だから翻訳紹介をするときは呪文を唱えるように、コンテキスト、コンテキストとつぶやいてしまう。藤本さんからは、ただの紹介屋にはならないで、とも言われた記憶がある。わたしがそう受け止めただけかもしれない。ところが。


「あとがきはノイズだ」と言う人がいると聞いた。唖然とした。

 アフリカから出てくる文学や、アフリカにオリジンをもつ作家を紹介するとき、その背景を解説するだけでかなりの分量になる。たとえ詳細に書いても、受け手の網の目が粗いときは思うように伝わらない。そんなもどかしさを体験してきた者に「あとがきはノイズ」とはびっくりするような主張だった。そこからは、あとがきなどなしに読者は作品とじかに接する方がいいと言う「正論」が響いてくる。作品の真価は作品のみで理解されるべきだと言い切れる強さがにじみ出てくる。だが、その強さはどこからくるのだろう。

 目を凝らし、耳をそばだてて観察すると、おぼろげに見えてくるものがある。「あとがきノイズ論」を支えているのは、かりにそこにあっても、目に見えるものだけが存在して見えないものは無、と断言できるマジョリティゆえの強さではないのか。ラルフ・エリソンの小説『見えない人間』を思い出す。人間以下のものとして無視されてきた存在が書くことで可視化され、書かれることで存在を主張しはじめる、そのことをこのタイトルは示している。


 敗戦後、日本に入ってくる情報は圧倒的にアメリカから、となった。それを世界の情報をめぐる「非対称性」と言ってみる。わかったようで実感の伴わない表現だ。でもほら、バドワイザーに訳註はいらないけど、チブクビールはどう? ワシントンといえばすぐに当たりがつくけど、アブジャと言っても「?」となるでしょ。かく言う筆者もメルカトール図法の歪みから頭を解放するため、就職したての娘に地球儀を買ってもらったのは何歳の誕生日だったか。それを見て、おお、イスラム世界のなんと広いことか、とため息をついたのだった。そして世界を、地球上の人間の営みの全体像を、地球儀に乗って爪先立ちするつもりで想像してみるのだ。眼球の表面にごしごしと、懐疑というブラシをかけて。


 アフリカ大陸南端で生まれた作家の作品を三十年前に翻訳しはじめたわたしは、「アフリカに文学あるの?」という問いに出くわすたびに絶句してきた。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのTEDトーク「シングル・ストーリーの危険性」が世界を駆けめぐったころから、さすがにそんな、あからさまに差別的な質問を面と向かって言う人は少なくなったけれど。アフリカ大陸は、面積だけでも日本が約八十個すっぽり入る広さで、国の数はゆうに五十を超えるのだ。どれほど多種多様な人たちが多種多様な文化をいとなんできたか、いるか。「暗黒大陸」として学んだ者(わたし)が蒙を啓かれることに遅すぎはしないのだと、今日も地球儀を引き寄せる。


 なにをわたしは言いたいのだろう? 文学作品を日本語に訳して出版するプロセスで、あとがきがノイズだと言えることが、どれほど特権的かということだ。もちろん場合にもよるが、そこにはいちいち説明しなくても、読者がすでに作品の背景や文化をある程度知っている、あるいは知らなくていい、という前提が暗黙の了解としてある。それがいかに特権的なことか。イギリスの文化、フランスの文化、と言い換えてもこれはある程度あてはまるだろう。日本とアメリカとヨーロッパだけが「世界」の中心ではないのだと陳腐なことをまた言わなければならないのだろうか。でも「欧米」とひとくくりにする乱暴な物言いが「あとがきノイズ論」では生き生きとよみがえるのだ。


 一歩踏み込んで、もう少し奥行きをもって見てみると、そのアメリカでさえ、たとえば黒人文学と呼ばれるものは、ある程度の歴史的、社会的背景を浮上させる解説がなければ伝わりにくいことがわかるだろう。その事実と早い時期から向き合ったのが先述した「北米黒人女性作家選」だった。全七巻の各巻に、丁寧な解説と日本で書くことを仕事とする女性たちの「応答」の文章が添えられていた。ントザキ・シャンゲの『死ぬことを考えた黒い女たちのために』の巻末には、先日他界した石牟礼道子さんがエッセイを寄せている。つまり、読者の社会内部の「見えない存在」を照らし出す網が、国境や言語を越えるつながりとして準備されていたのだ。


 そこには、六〇年代南部アメリカの公民権運動、都市部の貧困対策として子供たちに給食を提供することから始まったブラックパンサーの運動、それらをくぐり抜けて滋味豊かな果実として生み出された黒人女性作家たちの作品と、その全体像を伝えたいと腐心する編者たちの熱意があった。通信手段は郵便、電話、テレックス等に限られ、インターネットはおろかファクスさえない時代だ。作品を日本語に移し替えて読者に手渡すときの立体化、コンテキストの可視化への努力がそこからはひしひしと伝わってくる。アフリカン・アメリカンのアート作品を全巻にあしらった美しい平野甲賀氏の装丁によるこの選集は、出版文化賞にあたいするきわめて先駆的な仕事だった。当時のアカデミズムには逆立ちしてもなし得ない性質の仕業だったのではないか。しかし、時代はバブル期へ向かい、その後の流れはアメリカ発のミニマリズムへと舵を切り、他者と関わらないことを強く決意する端正な文体の小説が読まれる時代へと向かった。


 いま、顔を黒塗りするミンストレルショーに差別のニュアンスがあることが指摘される時代を迎えて、ようやく奴隷制をめぐる歴史は過去のものではないと認識されるようになったのだろうか。だとすれば、これまで翻訳文化が「主に」追いかけてきたアメリカは「白い」アメリカだったと知るべきだろう。それが認識の地図を激しくゆがめてきたことも。


「訳者あとがき」はノイズなどではない。とはいえ、どれほど調べて書いても、それに代価が支払われるわけではなく、やればやるほどボランティア性が高くなる作業だ。それでも、訳者あとがきは、そばにあるのに見えなかった世界を示す広角レンズになる。広い視野から世界を見渡すパースペクティヴ装置にもなる。「コンテキストがすべて」とは、そのことを言っているのだろう。それは日本語文学に風通しのよさを吹き込む「同時代性」をも指差している。

 それで『ダスクランズ』の新訳とあとがきはどうなったかといえば、視界は良好、クッツェーの現在地を伝える最新作『モラルの話』を、なんと英語のオリジナルより先に出すため翻訳中(二〇一八年五月刊行)、とお伝えしておく。


(岩波書店「図書」2018年5月号掲載)

2020/11/12

アディーチェ『半分のぼった黄色い太陽』が女性小説賞のベストに!

 twitter や facebook にアップした記事や情報は、後から探すのがなかなか大変なので、備忘録のためにこちらにも

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『半分のぼった黄色い太陽』が、女性小説賞のウィナー・オブ・ウィナーズに選ばれました。元記事はこちら

 1995年からオレンジ賞、ベイリーズ賞と名前を変えながら25年間続いているこの賞は、英語圏文学で過去1年間に女性作家が書いた小説が対象で、これまでに、日本でも何冊も訳されているゼイディ・スミス、アリ・スミスなどが受賞しています。
 いまはラゴスにいるアディーチェ、12月の6日のオンライン受賞イベントに登場するようです。
 今回ベストに選ばれた『半分のぼった黄色い太陽』は、1960年に英国から独立したナイジェリア国内で起きたビアフラ戦争(1967-70)を舞台に、2組の男女のラブストーリーとして展開されます。語り手がウグウという田舎生まれのハウスボーイで、彼が物語の流れや、戦争に巻き込まれていく人たちの姿を伝える役割をしています。
 ふたつの恋の行方がどうなっていくのか、ハラハラ、ドキドキしているうちにいつの間にか戦争へ。まだまだ大丈夫だと思っていた戦火がすぐ足元に迫って、もう後戻りできないところへ人を追い込んでいく、その様子がとてもリアルに、しかも歴史的な視点をしっかりおさえて重層的に描かれています。

 日本語訳は、単行本は品切れですが、電子書籍ならいつでも!

*****
2020.12.9──12月4日にガーディアンにこんな記事'I am a pessimistic optimist' Chimamanda Ngozi Adichie answers authors' question)が載ったので備忘のために。

2020/11/11

藤本和子の名著『ブルースだってただの唄』ついに復刊!

 藤本和子の聞き書き第2弾『ブルースだってただの唄』が、ちくま文庫で復刊した。初版は1986年(朝日選書)だったから、かれこれ34年ぶりによみがえったことになる。

 解説が、べらぼうにいい。読んでいると、黒人女性たちのことばに耳を澄まして、ダイナミックに日本語にしていく藤本和子の姿がくっきりと浮かびあがるのだ。藤本和子は「聞き書き」という方法で、翻訳を含みこみながら独自の文体を作りあげていく作家だ。そんな独特のスタイルをもつ作家の魅力を、その方法論や思想の核心までさかのぼって明らかにしようとする姿勢が、この解説には感じられる。

 この聞き書き集がリアルにかいま見せてくれるのは、アメリカ社会内部の黒人女性の仕事や生活だけではない。戦後、海の向こうから押し寄せて極度に肥大化した「アメリカ」像の見えなかった部分(見ようとしなかった部分?)がクリアに迫ってくるのだ。「ブラック・ライヴズ・マター運動」が報道され、先の大統領選の余韻も冷めやらぬ2020年11月に、この本が復刊されたことには大きな意味があるだろう。それはまた読む者自身を照らし出し、その内部に日本社会を照らし出すことばを準備するかもしれない。そんな刺激的な藤本ワールドの特質を、解説はみごとに描きだしていく。

 朝鮮半島で生を受けて、敗戦後内地へ引き揚げてきた森崎和江から、藤本和子が受けた影響がどのようなものか、それを指摘する鋭い歴史感覚にも目をみはる。藤本和子を動かしてきたそんな歴史の力をひたひたと感じさせる解説を書いたのは、斎藤真理子さんだ。まるで藤本和子が斎藤真理子に憑依したかのような、深い響きをもつ解説である。

 そしてまた、帯が痺れるのだ。切れ味よく、濃密なことばを、これほどさらりとならべられる人もちょっといない! 岸本佐知子さん。


卓越した翻訳者である藤本和子さんは、耳をすますことの達人でもある。何度この本を開いて、そして撃ち抜かれたことだろう。 黒人の女たちの、生きのびるための英知の言葉に。そしてそれを引き出し聞き取る、すばらしい耳の仕事に。  

 

 わたしもページを開いて、撃ち抜かれた一人です! とつい叫んでしまった。おまけに今回は「特別付録」もついている。初版にはなかった「13のとき、帽子だけ持って家を出たMの話」は、かつて藤本さんが編集委員をしていた「水牛通信」に載ったもので、それを長いあいだ温めてきたのはその「水牛」を主宰する編集者、八巻美恵さんだ。これがとっても面白い。黒人女性Mの語りによって、藤本和子自身とその家族や友人たちの姿が活写されていて、とってもクール!

 みんなで知恵を出し合って、この本は復刊された。だから、感無量だ。復刊に関わった塩食いの仲間たちが、みんな口々に「感無量」といっているのがまた感無量なのだ。

 聞き書き集の第一弾『塩を食う女たち』が岩波現代文庫に入ったのが、ほぼ2年前の2018年12月だった。それについてはこの年ナイジェリアでアディーチェが開いたイベントに絡めて、ここで報告した。それから2年。こうして着々と藤本和子の仕事の全容が、若い読者に届けられていく。文章はちっとも古びていない。それどころか、彼女の先駆的な仕事が多くの人から歓迎されるようになって、ようやく時代が藤本和子の仕事に追いついたというべきかもしれない。「藤本和子ルネサンス」の時代がやってきたのだ!

 この世界の「この狂気を」生き延びるために、奴隷制が負の遺産として社会のすみずみに残る社会で「文字通り」生き延びてきた女たちのことばを、藤本和子は全身で受けとめて日本語にした。コロナで痛めつけられているこの社会で、この世界で、それでも生きていかざるをえない者たちを支えることばとして、多くの人に届いてほしいと思う。

 この本は、まぎれもない「生き延びるための文学」なのだから。



2020/11/08

明朝、アデレードから、J・M・クッツェーの朗読がライブで聴ける!

アデレード大学で、J・M・クッツェーが80歳の誕生日を迎えたお祝いに、ライブで朗読を放映するようです。11月9日午前10時半(現地時間)から、南半球はいま夏時間なので、時差が1.5時間ある日本時間では、午前9時スタートになります。

YOUTUBEにすでに予告が載っています。


The University of Adelaide is proud to host a formal event in Elder Hall with music performances, tributes and readings to honour and celebrate John M Coetzee in his 80th year, followed by book signing in Elder Hall Foyer.

とあります。予約もできるみたい。ぜひ!

****

2020.11.9afternoon──めずらしく目覚まし時計をかけて寝て、今朝はしっかり起きて聞きました。いろんな人が出てきた。クッツェーについて、クッツェー作品について、あれこれ述べていて、傑作だったのはジョンのお友達らしいピーター・ゴールズワーシーというオーストラリアの作家の話。『サマータイム』に倣って、作家の死後世界で作家とやりとりするというSFみたいな小噺を読んで、80歳の誕生祝いとしてはなかなか渋い笑いをとってました。

 他にも、アボリジニにオリジンを持つ女性が彼女の言語でサラサラっとメッセージを述べたこと。姓が「ナカマラ」と聞こえる部分を含んでいたことなど。

 Videoによる参加で、パースに住む南アフリカ出身のシソンケ・ムシマンがText Publishing版のWaiting for the Barbarians に書いた自分の文章から読んでいたこと。これが滅法、面白かった。Barbarian の娘に対する読みが「南アフリカ」をベースにしているのだ。当然だよなあ、と。この作品が発表された1980年にまだ彼女は7歳だった。それ以後のクッツェー作品への彼女自身の理解の変遷がざっと述べられていて、これもまた面白かった。

 場所はアデレード大学のエルダー・ホール。2014年11月にシンポジウムが開かれたとき、ここでクッツェーは『鉄の時代』の冒頭を朗読を朗読したのだった。


米副大統領にカマラ・ハリスが

  ここ数日、メディアを独占してきた感のあるアメリカの大統領選挙も、どうやら結果が見えて、民主党のジョー・バイデンが次期大統領になることが確実になりました。なかでも副大統領がカマラ・ハリスという「黒人女性」であることは非情に重要です。お父さんがジャマイカ系移民の経済学者、お母さんがインド系(タミル系)移民の乳がん研究者です。母方のお祖父さんが外交官だそうです。


 アメリカの悪名高い「血の一滴」理論では「黒人」に分類されるわけですが、ハリスはすでに司法界で長い実績を持ち、2016年からは上院議員でもある。バイデンが今月20日で78歳になるのにたいして、1964年生まれで56歳になったばかりのハリスは、まだまだこれから活躍できる人ですから、ひょっとすると4年後に82歳になるバイデンから途中でバトンを渡されるかもしれない。となると米の政治史上初の、黒人の、アジア系の、女性の大統領の誕生です。

 もっぱら、そんなことを考えながら秋の日を過ごしています。


***

もう一つ備忘のために書いておきたいのは、ジョー・バイデンのパートナーであるドクター・ジル・バイデンはこれからもずっと教師としての仕事を続けると明言していることです。69歳の彼女、オバマ政権時代に夫が副大統領だった期間も、教職を続けてきたというのです。ワーキングウーマンがファーストレディになる、これもまた米国の大きな変化の一面でしょう。詳しくは:https://www.vogue.com/article/dr-jill-biden-first-lady-history-working-women

米国の白人エリートたちが見えなかったこと、それをトランプという人が大統領になったことで暴露されたことの重要性もまた、ゆっくり考えたいところです。ひるがえって、この8年間に暴露されたこの国の「真相」をどこまで見定めていけるのか、われわれは試されていると思います。


2020/10/30

スペイン語で紹介するJMクッツェー

JMクッツェーが、オーストラリアの作家ゲイル・ジョーンズの小説がスペイン語に翻訳されたことを紹介するビデオです。スペイン語で紹介してます。映像の感じがZoomっぽいです(笑)。ゲイル・ジョーンズはニコラス・ジョーズとともに第1回「南の文学」に参加した作家で、ちょうど5年前でした! 5周年か。

2020/10/29

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが短篇「ズィコラ/Zikora」を発表

今年の夏はアサガオがたくさん咲いて、その花を見ながら翻訳する作業を「アサガオ翻訳」などと言ったりしていましたが、訳しているのはチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの初作『パープル・ハイビスカス』です。

2003年に出た長篇で、2004年のハーストン・ライト遺産賞、2005年のコモンウェルス作家賞の初小説賞を「アフリカ」と「世界」の両方で受賞した作品です。2004年のブッカー賞のロングリストにも残り、同年オレンジ賞の最終候補にもなった作品です。

 さらに、この作品をドイツ語に翻訳した訳者ジュディス・シュヴァーブがカルプ市ヘルマン・ヘッセ賞を受賞しています。賞金がなんと1万5000ユーロ!

 そして昨日はアディーチェが短篇作品を発表、というニュースが飛び込んできました。7年ぶりだと報じられて、さっそく読みました。Zikora/ズィコラ。アマゾンのキンドルのみの発売です。

 

Zikoraズィコラとは、ナイジェリア人女性の名前です。シングルマザーとして赤ちゃんを産む緊張感にあふれる場面から始まる物語ですが、いつものようにぐんぐん読ませます。どうしてシングルマザーとして赤ちゃんを産むことになったか、赤ん坊の父親とはすごくうまくいっていたのに、妊娠した、と告げた途端に、彼は去っていくのですが、それが何故なのかズィコラにはわからない。

 それまでは、すごくうまくいっていたと思っていたのに。2人は弁護士なんです。ズィコラはナイジェリア人、相手の男性は父がガーナ人、母がアフリカン・アメリカンという説明があるだけで、どのような家庭で育ったかといった詳細はあまりわかりませんが、ズィコラ自身の母や父とのなかなか面倒な関係は物語を読むにつれて、だんだん見えてきます。

 全体で100枚ほど。アディーチェの新境地です!

   

2020/10/17

ベランダの植物たち

今日は朝から冷たい雨。金木犀の香りで始まった10月も、気温が大きく上がったり下がったりしながら半ばをすぎた。
 ブログの仕様が変わって、写真などをうまくアップできないままほぼひと月たった。そろそろ挽回しなくちゃな、というわけで、まずはこのひと月のあいだにベランダの朝顔がどうなったかを記録しておこう。


 花をつけているのが9月20日。すっかり枯れているのが今日のものだ。




  今年は蔓をぐんぐん伸ばして、花もじつによくつけた朝顔たちは、9月を境に寒さもあって月末から少しずつ枯れていった。ありがとう、朝顔、本当によく咲いてくれた。花のあとには種子がたくさんできている。茶色の皮に包まれた黒い種子。もう少したったら、枯れきったころに集めて来年にそなえようかな。

2020/10/01

金木犀の香りがして10月

窓を開けるとふわり。あまい匂いが流れこむ。金木犀の匂いだ。そうか、10月になったんだね。写真は後でアップします。 

今日から新しいマシンで仕事を再開。


****

2020.10.17──結局、アップするための金木犀の写真は撮れずじまい。😂

2020/09/29

新しいマシンの設定完了!

9月22日にとどいた新しいMacBook Proの設定に1週間かかった。もともと得意じゃないマシンの扱いはいつになっても慣れない。

 それでも2000年のお正月に始めたPC生活も20年あまりになった。1999年12月暮れに秋葉原まで出かけて、あれこれ指導を受けながら買い込んだ中古のMacは、OSが8.5だった。それでも23万くらいしたのだ。すぐにOS8.6に切り替えて数年使った。当時はまだコントロールパネルから色々設定しなければいけないタイプで、本当に苦労したものだ。

 OS10になったあたりから操作方法が大きく変わってWindowsに近づいた。2台目の中古はこのタイプだった。2005年1月に初めてピカピカの新品を買った。これはずいぶん使った。4台目、5台目と進んで、この間にはケープタウンとアデレードへの旅行用にMacBook Airも2台買って、今回のは8台目だけれど、家人のための初めてのレティナ型を入れると通算9台目になるかな。

 今年は7月の長雨、8月の猛暑、そして9月に入ったら一気に気温が下がって、すっかり秋で、移りゆくあわいを楽しむなどという悠長な気分にはなれない。そのあいだに朝顔は毎日、毎日、たっぷりと花をつけて、まだ咲くの? まだ咲くの? と毎朝ながめやったものだけれど、さすがに今日は最後の一輪。葉っぱもかなり黄ばんで落ちた。

 写真をきれいにアップする方法がまだわからないけれど、現在のPCのデスクトップに使うことにした写真を貼り付けておく。2011年11月にケープタウンへ行ったときに撮った「希望峰」の写真だ。カリフォルニアのサンタカタリナ島のごつい岩肌よりもこっちがいいなと。右手が大西洋、左手がインド洋。絶壁に打ち寄せて砕ける白い波と、南極に向かって遠く霞む水平線の上に、ふわふわと漂う雲が好き。

2020/09/07

まだまだ咲く朝顔、20輪

今朝も咲いていた。黄ばんだ葉をつけ、種子の袋をふくらませながら、それでも新しい花をどんどんつける朝顔。
 今日はなんと、20輪も咲いていたのだ。嵐のベランダで。この持続力は驚異的、いや、感動的ですらある。

一気に開く花たち

天井近くで風に揺れる蔓

陽光とは逆方向に咲く2輪    
 
台風10号は九州地方に大きな被害をおよぼして北へ抜けたようだ。

2020/09/06

DVD『去年マリエンバードで』を見る──ロマン派について考えて、好き放題書いてみることにした(3)

垂れ込めた雲が空をおおい、ときどき雷が鳴り、ザザーッと雨が降ったと思うと、いつのまにか陽の光が差している──今日はそんな変わりやすい天気。台風のせいだ。気圧のせいか、どうも頭がすっきりしない。気分もすっきりしない。こんなときは、と思い立って、買ってあったDVDで古い映画を見ることにした。

『去年マリエンバードで』監督アラン・レネ、脚本アラン・ロブ=グリエ。1961年の映画だ。日本で公開されたのは1964年。黒澤明監督の『羅生門』(1951)にヒントを得た映画だそうだけれど、黒澤の『羅生門』って芥川龍之介の『羅生門』と『藪の中』を合体させたような映画だったよね。
 
 なぜ『去年マリエンバードで』なんか、いまごろ見てるかというと、この映画にヒントを得てJ・M・クッツェーが第二作目の小説『その国の奥で/In the Heart of the Country』(1977)を書いているからだ。クッツェーの小説はタイトル内の「Heart/奥」で、ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥/Heart of Darkness』を響かせながら、映画のモンタージュ技法(アッサンブラージュ技法)を小説という形式に果敢に採用したポストモダン小説といわれている。各章に、1から266まで番号をふって、南アの農場に幽閉されているような主人公マグダの空想、妄想が「父殺し」をめぐって時間的に、場面的に、シャッフルされる構成なのだ。

『去年マリエンバードで』はマリエンバードというチェコ西部の温泉のある保養地を舞台に、きらびやかなブルジョワ趣味の男女たちが不自然ともいえるスチールときわめて限られたムーヴによって撮影されたシーンがシャッフルされて、記憶のあいまいさを追い詰めていく構成になっている。
 今回見て確認したのだけれど、この映画はいってみれば当時のヨーロッパにおけるブルジョワ男の人妻との不倫をめぐるストーカー的な妄想内でくりひろげられる物語だった。2020年になってみると、まあ、美しくも謎めいたオブジェとしての既婚女性とその心理が、じつに表層的なあつかいを受けて描かれていると思わざるをえない。あの当時はこんな感じだったんだよなあ、としか言いようがないけど。

 日本で封切られたのは1964年だが、60年代後半から70年代にかけて新宿3丁目にあったATGでヌーヴェルヴァーグ映画のリバイバル上映をやっていたころ、わたしはジャン・ジャック・ゴダールの『気狂いピエロ』やアラン・レネの『夜と霧』は見たけど、この映画は予告だけ見てスルーした。その理由も今回あらためて納得した。つまらなそうだったのだ。衣装も音楽もこてこてにブルジョワ趣味すぎたし。1960年代後半の東京のデパートはこのこてこて趣味をひたすら追いかけていたんだよね。ココ・シャネル! 
 
 でもおそらく60年代初めのロンドンでこの映画を見たクッツェーは、のちに自作にアッサンブラージュ技法を取り入れた。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』を見て、モニカ・ヴィッティにぞっこんになる20代前半の青年がこの映画から刺激を受けるのは、十分すぎるほどわかる。7年ほど前にここにも書いたけど

 字幕を見ていて笑ってしまったことがある。「ベット」という語だ。映画はフランス・イタリア合作でフランス語が使われている。これは lit の翻訳なんだけど、当時の日本語は「ベッド」ではなく「ベット」だったのだ。いつからだろう、「ベッド」と濁音になったのは? そういえば「ハンドバッグ」も最初は「ハンドバック」だったなあ、と思い出す「昭和」のわたしです😆。

台詞がまたとてもよくわかるフランス語で、アテネフランセなどでもくりかえし上映されていたかもしれない。なつかしい、というのは抵抗があるけど、あのころのティーポットや灰皿、グラス、ファッション、ヘアスタイル、大ぶりのパールをたっぷり使った宝飾類を確認できるのは面白い。たとえば、ハイヒールの踵のめっちゃ細いこと! とか、この重たそうなイアリングはまだピアスじゃないよな、なんて。93分。ランチ前に見終わった。
(つづく)

 

2020/09/03

嵐の夜のあとに朝顔の花綱


9月の朝顔、今朝はなんと17輪も咲いていた。黄ばんだ葉っぱもまじり、すでに種を包んだ茶色の鞠のような袋もたくさんつけて。嵐の夜のあとに、咲き急ぐ朝顔たちは、天井から蔓が垂れて、泳いで、いまや花綱のよう。
 今年の夏は朝顔の話ばかりで、またまた朝顔なんだけれど、あまりにすごい光景だったのでやっぱり写真を撮ってしまった。1日につけた花の数がダントツに多かった記念に。


2020/08/22

カナディアン・ロッキーの風景

今年もまたバンクーバー沖のソルトスプリング島に住む友人、ブライアン・スモールショーさんの涼しい、涼しい風景写真を!
 カナディアン・ロッキーのトンキンヴァレーを登攀中のブライアンさんのすばらしい写真。途轍もなく雄大で厳しい自然の風景。雪が吹き付ける真冬並みの山です。すごい。8日前の報告ですが、数日のあいだに冬と夏の両方を経験したとか。さあ、一気に猛暑の東京へと拝借です。山、湖、森の風景です。動物たちもいますね。











2020/08/04

リンゴ酢のオンザロックと朝顔

 8月に入り、ついに梅雨があけて青空がのぞく。風がさわやかになって、ようやく夏がきた。こんなに幸せな感じの夏もめずらしい。こんなに待たれた夏もめずらしい。
 梅雨明け宣言が出てから3日ほどして、ようやく万物が吸い込んだ過剰な湿気がとれていく。生き物たちもすっきり、ほどよく乾いていく。わたしもまた。

 その日に咲く朝顔の数を数える。このところ花の数は更新の毎日。昨日はついに8つの花がいっぺんに咲いた。

 最初に蔓をのばしてどんどん花をつけていた株が一段落して、2番手、3番手の株から伸びた蔓が追いかけ競うように咲く。細い蔓は最初ちいさな葉っぱをつける。それが日に日に大きくなって、ダーツのような蕾をつけていく。その蕾の横から新しい芽が伸びる。
 竿にというか、いまや綱の先のフックにからみついた蔓は、さらに伸びて、伸びて、きまじめに先達のあとを追いかけていく。花もまた高い位置が好きらしい。数日前に撮った写真をアップしておく。

 ***
 3日ほど前から「酢」に目覚めている。毎日リンゴ酢を飲んでいるのだ。たまたま隣町へ出かけたついでに買ったリンゴ酢、とろりとした飴色の液は水や炭酸で倍にうすめて飲むようにできていて、とても濃い。少し甘すぎるので、料理に使っている米酢を足してみた。うん、これならイケル。それをちいさなグラスに入れた氷片にトクトクと注いでオンザロックにして、日に3回ほどちびりちびりと飲む。

 するとどう! 身体中の「むくみ」がどんどんとれていくのだ。これは発見! 快適! 梅雨もあけて、黒酢入りのリンゴ酢がおいしい。


2020/07/29

クッツェー『青年時代』とブローティガン『愛のゆくえ』

J・M・クッツェーの自伝的小説に『青年時代』ってのがある。三部作の第2巻だ。

 そのなかに、ケープタウン大学の学生だったとき女子学生を妊娠させてしまい、非合法の中絶のために彼女を車で郊外の堕胎師の家へ送ってくシーンがある。たまたま留守番をしていた知人宅に彼女を泊まらせて、お茶を淹れたり、タオルをオーブンで温めたりするんだけど、最初から自分で調べてプランを立てる女性に対して、無計画で不甲斐ない男性の側の心理描写がなかなか優れている。なにしろ1960年前後のことだから。
 逃げ出したいと思う自分の無責任さと、中絶された生命に対してあとからジョンがあれこれ考えるところが読みどころで、のちに『動物のいのち』や『モラルの話』へつながっていく芽のようなものが感じられて面白い。でも、とにかく男が20歳のころの自分のやった失敗を振り返ってここまで赤裸々に分析して書く姿勢というのは貴重だなと。

 自伝的三部作の出版イベントでそのことを問題提起したんだけど、対談相手の男性たちも会場にいる人たちも「沈黙」しちゃったなあ。あれは6年前だ。#MeTooを経たいまならどうなんだろう。作品のその部分について自分の意見をきちんと言語化することができる若い人が育っていることを心から期待したいところです。

 ちなみに女性を妊娠させて中絶(1966年設定の話だから、これまたアメリカでも非合法!)の手助けをする小説は、ブローティガンの『愛のゆくえ』くらいしか知らないけど、ブローティガンは女にとっては試練となる体験を男の成長物語として利用してる、といったことを藤本和子さんが著書『リチャード・ブローティガン』で指摘していて、そうそう! と膝を叩いたものだった。
 だから、この作品だけは好きになれなかった。図書館員の男が国境を越えて女性といっしょにメキシコに中絶を受けに行く話だったように思う。現タイトルが『The Abortion: An Historical Romance 1966』なのに、日本語訳が『愛のゆくえ』という意味不明のタイトルになっているのは(ロマンスだから愛なのか??)、はたして、時代のせい、といいきれるのかどうか。


2020/07/28

今日もまた朝顔と「アサガオ翻訳」なのだ!

早朝に起き出して撮影
このところ毎日、朝顔が3つか4つ花を咲かせる。
 朝の5時ころ一度カーテンを開けてみるようになった。なぜかその時刻に目がさめるのだ。当然ながらもう一度寝る。ちゃんと起きたときは、もう花は縁のほうから少し変色しはじめている。立派な姿は早朝にしか見せてもらえないのだ。

 でも、ずっと雨がつづいているため、寝坊をして起きだしても花はしおれずに咲いている。風がある日はダメ。あっというまにしおれてしまう。

 どんどん高くまで蔓をのばしていった朝顔は、いま、紫の花をつける位置がベランダの天井近くになっている。近づいて見あげると、蔓がもうすぐ天井にとどきそうだ。

 今日は7月28日。今月も残り3-4日しかない。新しい翻訳仕事をはじめて、ようやく全体の2割強。夏は休み休み進むのがいい。結局そのほうが確実にしあがるのだから。何を訳しているかは、5割ほど終わったときに発表しようかな。ヒントをひとつ。花の名前がついた作品。アサガオではありませんが。

 というわけで、夏季は「アサガオ翻訳」がしばらくつづく。

2020/07/23

朝顔の大輪がいっぺんに

梅雨入りしたのはいつだったのか? と日記をぱらぱらめくってみると、6月11日に「梅雨入り」と赤字で書いてある。

 それから一月半ほどすぎたけれど、まだ明けない梅雨。昨夜から今日にかけて強い雨が降ったりやんだり。雨音の強弱に耳を澄まして眠ったり、ふと目がさめたり。

 今朝は強い雨音がして、起き出してみるとベランダで朝顔の大輪が、なんと、6つも咲いていた。

そんなに一気に咲かなくてもいいのに──きれいとか、見事といった感想の前に、ゆっくり一輪か二輪ほどで咲いてほしいのに──と勝手につぶやいてしまう。

 バスや電車に乗って遠出することはもちろん、友人と飲み会さえできない生活のなかに閉じ込められて、いまでは目を楽しませてくれるものといえばベランダの朝顔くらいしかないのか、と気がつく。だから、いっときに6輪も咲いて午後にはしぼんでしまう花に、勝手な注文をつけたくなる。


春先に植木鉢に新しい土を入れたせいか、今年の朝顔は葉っぱ一枚一枚がとても大ぶりで、花もまた大きい。蔓の勢いもすごくて、脇からつぎつぎと新芽が出て、どんどん蔓を伸ばしていく。ベランダの天井にぶつかった蔓は朝の光の指す方向へ向かって伸びるので、隣家のベランダまで侵入していく。少し引き戻したところ、だらりと下に垂れてから、また上に向かって竿のまわりでぐるぐると蔓を巻いていく。このやりとりが、おもしろいったらない。

 雨が降っても鳥は啼く。でも、いつのまにか鶯のペアの声が聞こえなくなった。いまは、にぎやかなガビチョウの声。数種類のセミの声も、ちらりほらりと。