藤本和子の聞き書き第2弾『ブルースだってただの唄』が、ちくま文庫で復刊した。初版は1986年(朝日選書)だったから、かれこれ34年ぶりによみがえったことになる。
解説が、べらぼうにいい。読んでいると、黒人女性たちのことばに耳を澄まして、ダイナミックに日本語にしていく藤本和子の姿がくっきりと浮かびあがるのだ。藤本和子は「聞き書き」という方法で、翻訳を含みこみながら独自の文体を作りあげていく作家だ。そんな独特のスタイルをもつ作家の魅力を、その方法論や思想の核心までさかのぼって明らかにしようとする姿勢が、この解説には感じられる。卓越した翻訳者である藤本和子さんは、耳をすますことの達人でもある。何度この本を開いて、そして撃ち抜かれたことだろう。 黒人の女たちの、生きのびるための英知の言葉に。そしてそれを引き出し聞き取る、すばらしい耳の仕事に。
わたしもページを開いて、撃ち抜かれた一人です! とつい叫んでしまった。おまけに今回は「特別付録」もついている。初版にはなかった「13のとき、帽子だけ持って家を出たMの話」は、かつて藤本さんが編集委員をしていた「水牛通信」に載ったもので、それを長いあいだ温めてきたのはその「水牛」を主宰する編集者、八巻美恵さんだ。これがとっても面白い。黒人女性Mの語りによって、藤本和子自身とその家族や友人たちの姿が活写されていて、とってもクール!
みんなで知恵を出し合って、この本は復刊された。だから、感無量だ。復刊に関わった塩食いの仲間たちが、みんな口々に「感無量」といっているのがまた感無量なのだ。
聞き書き集の第一弾『塩を食う女たち』が岩波現代文庫に入ったのが、ほぼ2年前の2018年12月だった。それについてはこの年ナイジェリアでアディーチェが開いたイベントに絡めて、ここで報告した。それから2年。こうして着々と藤本和子の仕事の全容が、若い読者に届けられていく。文章はちっとも古びていない。それどころか、彼女の先駆的な仕事が多くの人から歓迎されるようになって、ようやく時代が藤本和子の仕事に追いついたというべきかもしれない。「藤本和子ルネサンス」の時代がやってきたのだ!
この世界の「この狂気を」生き延びるために、奴隷制が負の遺産として社会のすみずみに残る社会で「文字通り」生き延びてきた女たちのことばを、藤本和子は全身で受けとめて日本語にした。コロナで痛めつけられているこの社会で、この世界で、それでも生きていかざるをえない者たちを支えることばとして、多くの人に届いてほしいと思う。
この本は、まぎれもない「生き延びるための文学」なのだから。