この写真はいったいなにを撮ったのか分からない……と装幀家に言われた写真がある。J・M・クッツェーの自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの<自伝>』のカバーになった写真だ。装幀家とは間村俊一さんのことで、その発言を訳者に伝えてくれたのは編集者のMさんだった。
忘れないうちに書いておこうと思う。
写真は2011年11月にケープタウンへ出かけたときの1枚。内陸の町ヴスターをめざした日に、国道1号線を車で走っていたとき撮ったものだ。
道の両側は見わたすかぎりのフェルト(平地というアフリカーンス語)、遠く低い山なみが続いていた。石ころだらけの渇いた赤土に、背の低いブッシュがまばらに生えている。それを見て、ああ、これがマイケル・K が旅した土地かと思った。J・M・クッツェーの『マイケル・K』の主人公は、ケープタウンからプリンスアルバートまで徒歩で行く。途中で母親が死に、軍に捕まって強制労働に駆り出されてからは、検問所のある幹線道路を避けて、ひたすら荒野を歩く。
なぜ翻訳者がこの写真をクッツェーの三部作カバーに使おうと思ったか、装幀家が首をかしげるのも無理はない。ご覧のとおり、がらんとして、中心になる「被写体」のようなものがないのだ。だから、なにを撮ろうとしたのか分からない、というのはその通り……でも、じつは、その「なにもないこと」が使った理由だったのだ。「がらんとした空漠=エンプティネス」に見えること、そこがポイントだった。ヨーロッパ植民者が「無主の地」と呼んだ理由もそこから透かし見えるかもしれない。
奥まりに「そのこと」が透かし見える、そんなカバーにしたかったのだといまは明言できる。二代、三代さかのぼれば、鬱蒼たる「原始林」で「無主の地」とされて「開拓」が進んだ北海道との類比を訳者が見ていたことは否定できない。
この本を担当してくれた装幀家も編集者も、列島のなかではおだやかな地形といえる近畿地方の生まれで、訳者にとっては異郷に近い「京都」で青春を送った人たち、そのこともいまになってみると興味深い。がらんとして「なにもないこと=エンプティネス」にほっとする北国の田舎育ちの感覚と、それとはまったく異なる細やかな配慮の文化内で育った人たち。
若いころのジョン・クッツェーは、カルーと呼ばれる内陸にある父方の農場フューエルフォンテインを頻繁に訪ねている。早朝に屋敷を抜け出し、フェンスをいくつもくぐり抜けて、お昼ご飯の時間までフェルトを歩きまわっていたと、クッツェーのおじさんにあたる人の証言も残っている。この三部作のなかには、その農場のあるカルーへの作家の愛があふれているのだ。
そしてできあがった三部作のカバーは、その「なにもない」写真のまんなかに白抜きの横長の箱を入れ込み、そこにタイトルと著訳者をはめ込んだすばらしい装幀になっていた。その「なにもないこと」のみごとな利用作法に脱帽した。
こうして今年もまた、クッツェーで明ける。
忘れないうちに書いておこうと思う。
写真は2011年11月にケープタウンへ出かけたときの1枚。内陸の町ヴスターをめざした日に、国道1号線を車で走っていたとき撮ったものだ。
道の両側は見わたすかぎりのフェルト(平地というアフリカーンス語)、遠く低い山なみが続いていた。石ころだらけの渇いた赤土に、背の低いブッシュがまばらに生えている。それを見て、ああ、これがマイケル・K が旅した土地かと思った。J・M・クッツェーの『マイケル・K』の主人公は、ケープタウンからプリンスアルバートまで徒歩で行く。途中で母親が死に、軍に捕まって強制労働に駆り出されてからは、検問所のある幹線道路を避けて、ひたすら荒野を歩く。
textpublishing 版『マイケル・K』 |
だが、先住の人たちにとっては、クッツェーが『White Writing』で書いていたように、見方はまったく異なっただろう。多種多様な植物の利用法、この土地に生息するさまざまな生き物。これはつい最近読んだトニ・モリスンの『他者の起源』でも指摘されていたことだ──「ジョゼフ・コンラッド、イサク・ディネセン、ソウル・ベロウ、アーネスト・ヘミングウェイの作品のなかで、未開のアフリカという型通りの西欧的視点に染まっていようが、それに抗い奮闘していようが、主人公たちは世界第二の巨大な大陸をからっぽと見なした」と。
奥まりに「そのこと」が透かし見える、そんなカバーにしたかったのだといまは明言できる。二代、三代さかのぼれば、鬱蒼たる「原始林」で「無主の地」とされて「開拓」が進んだ北海道との類比を訳者が見ていたことは否定できない。
この本を担当してくれた装幀家も編集者も、列島のなかではおだやかな地形といえる近畿地方の生まれで、訳者にとっては異郷に近い「京都」で青春を送った人たち、そのこともいまになってみると興味深い。がらんとして「なにもないこと=エンプティネス」にほっとする北国の田舎育ちの感覚と、それとはまったく異なる細やかな配慮の文化内で育った人たち。
若いころのジョン・クッツェーは、カルーと呼ばれる内陸にある父方の農場フューエルフォンテインを頻繁に訪ねている。早朝に屋敷を抜け出し、フェンスをいくつもくぐり抜けて、お昼ご飯の時間までフェルトを歩きまわっていたと、クッツェーのおじさんにあたる人の証言も残っている。この三部作のなかには、その農場のあるカルーへの作家の愛があふれているのだ。
そしてできあがった三部作のカバーは、その「なにもない」写真のまんなかに白抜きの横長の箱を入れ込み、そこにタイトルと著訳者をはめ込んだすばらしい装幀になっていた。その「なにもないこと」のみごとな利用作法に脱帽した。
こうして今年もまた、クッツェーで明ける。