2018/09/29

『モラルの話』──ル・モンドに載った書評


9月7日付の「ル・モンド」に Obscure clarté de la finitude というタイトルでJ.M.クッツェーの『モラルの話』(L'Abattoir de verre)の書評が載りました。「作家とその分身」を主眼にしてクッツェー作品を論じる、なかなか読ませる内容です。評者はCamille Laurens カミーユ・ロランス。

 ネット上にPDFとしてアップされていました。リンク先でクリアに読めます!


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付記:フランス語の記事には、今回もそうですが、必ずといっていいほど、南アフリカの作家JMクッツェー、という表現が出てきます。どこにもオーストラリア在住とは書いていません。この辺がスペイン語の記事とちょっと違いますね。
 そうはいっても、80年代から90年代まで、つまり、クッツェーがノーベル賞を受賞するまで、フランス語の訳者の一人はJMのMをマイケルと勘違いしていたようですから、あまり確かなことは言えませんが。「彼ら(註・フランスのジャーナリストたち)はジャン・マリー・クッツェーとまで言ったんです」と初対面のとき、ジョン・クッツェーは語気を強めて言ったことさえありました。急に思い出してしまった。

2018/09/28

日経プロムナード第13回 真冬の水葬

9月最終回の金曜日。日経プロムナードに、むかし家で飼われていた山羊の話を書きました。

   真冬の水葬

 真冬にネズミ捕りの毒団子を食べてしまった山羊。猛吹雪のなか、死んだ山羊を馬橇にのせて、石狩川にかかった橋まで行く短い旅が、記憶のなかで長い尾をひく。


2018/09/25

サンティアゴでJ・M・クッツェーがスピーチ

9月24日、チリのサンティアゴでJ・M・クッツェーの名前を冠した短編賞の授賞式が行われた。 「都市とことば」がテーマで、応募資格は18歳まで。そのためか、会場は若い聴衆でぎっしりだ。

 授賞式のようす

 最終受賞者はフェルナンド・シルバ、18歳だけれど、その発表の前に次点、佳作などなど、何人もの応募者の名前をあげて奨励しているところが、とても印象的だ。

 クッツェーのスピーチは「小さな汽車」という作文で7歳のときに初めてもらった賞のこと、ノーベル文学賞をスウェーデン国王から手渡されたときのこと、さらにチリの2人のノーベル文学賞受賞者、ガブリエラ・ミストラル(受賞1945)とパブロ・ネルーダ(受賞1971)について語ったと伝えられる。

”自分がオーストラリアのアデレードからやってきたのは、ガブリエラ・ミストラルとパブロ・ネルーダというチリの2人の作家について語るためで、ネルーダもミストラルも、詩人になることを運命づけられた自分たちの創造力と信念を疑うことがなかった。

 ミストラルはチリ紙幣にもなっている女性詩人で、彼女が死んだときは国葬になり、政府は3日間の喪に服するとしたが、一方のネルーダが受賞したときこの詩人は政府から敵とみなされていたため国葬はなかった”

 そして最後にクッツェーは若い聴衆に向かって、忘れずにこう付け加えた。

──この2人の詩人はともに、地方に住む、裕福ではない家族の出身だった。

 いかにもジョン・クッツェーらしいコメントです。
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付記:9.25.23:37──ジョン・クッツェーが若い人に笑いかける表情がとてもいいな。元気そうだし。

 チリを訪れるのはこれで7回目だとか。
 今回は終始、笑顔ですね。


 (ここに書いたことはリンク先のスペイン語の記事をGoogle英訳したものに基づいています。)

2018/09/24

文学に何ができるか──毎日新聞『モラルの話』書評

9月23日毎日新聞書評欄にJ・M・クッツェー『モラルの話』の書評が載りました。評者は沼野充義さん。

 比較的短い7つの短篇から構成されたこの『モラルの話』で、クッツェーが読者に向かって次々と投げてくる直球、豪速球、変化球をどれも逃さず、ジャストミートで打ち返すという離れ業のような書評です。「世界文学」を俯瞰する位置にある沼野さんならではのパースペクティブで、この作家と、この作品の、「世界文学」との関連で、その位置と意味を伝えてくれます。
 これまでにも、中井亜佐子さん、谷崎由依さん、都甲幸治さん、中村和恵さん、田村文さん、とさまざまな視点から心打たれる評を書いていただき、本当に訳者冥利に尽きます。今回は「文学に何ができるかという究極の試みにもなっている」という指摘と、最後の「……こういう難題に取り組む作家のおかげで、文学は存在する価値を持ち続けられる」という結びで締め! これには、感激ということばを超えて、涙です!


(沼野さん、勝手ながら写真をアップさせていただきました!)

2018/09/21

日経プロムナード第12回「クッツェー漬け」

 9月第3週金曜日の日経プロムナード、今回はまたまた「クッツェー」です。

 クッツェー漬け

 J・M・クッツェーが初来日したころ、クッツェー! クッツェー! とことあるごとに口にする母に音をあげた娘から、「次にクッツェーって言ったら、罰金100円!」と通告されたことがある。まったく、もう! ホホホ、フフフ、のハハの日々。

今日は特別サービス。記事の写真をアップしちゃいます。読んでね!


2018/09/14

「英語教育 10月増刊号」に書きました

大修館が出している「英語教育 10月増刊号」に、一文を寄せました。

手元に届いた大判の雑誌をぱらぱらめくって、ちょっとびっくり!「ワークシート大集合」とか「2018年版 英語教育キーワード集」という特集があって、最後に「2018年度 英語教育資料」とならぶのですが、この「教育資料」の最後に「文学・今年のベスト3」を書きました。でも、自分で書いておいてなんですが、そこだけ突然、「なぜ??」といいたくなるような内容です。
 その理由は……ぜひ、読んでみてください。

 「文学・今年のベスト3」としてあげたのは以下の3冊

 ・ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子著『大航海時代の日本人奴隷』(中央公論社)
 ・ガエル・ファイユ著/加藤かおり訳『ちいさな国で』(早川書房)
 ・張愛玲著/濱田麻矢訳『中国が愛を知ったころ』(岩波書店)

 3冊とも、英語からの翻訳ではありません。英語の教育雑誌に今年度のベスト3として、英語以外の言語からの翻訳書があがってしまいました。ポルトガル語、フランス語、中国語の翻訳書です。「??」となるでしょう? でも、そこには筆者なりの意味が込められています。
 集団の外から見ること。これ、モラルの問題に通じるのかもしれませんが。
 それも、あとから気づいたのですが、「文学」だったんですね。まあ、歴史も広義の文学なんで。そういう枠の「外側」が、いま必要かもしれません。切実に。なんだかちょっと言い訳めいて聞こえますが💦💦💦。

日経プロムナード第11回「ひじ坊」

日経プロムナードも11回を迎えました。今日は以前、飼っていた猫の話です。

 ひじ坊

 動物との関わりは、生まれたときから家に山羊や鶏がいた遠い暮らしの記憶につながり、最後はつい、訳し終えたJ・M・クッツェーの『モラルの話』のエピソードになりました。そこに書かれていた動物をめぐる線引きの基準のことですが。。。

2018/09/13

J・M・クッツェーの軌跡をたどる秋

5月末に発売された拙訳、J・M・クッツェー『モラルの話』が重版になりました。出来上がってきた本を見ると、とても感慨深い。

 2冊ならぶと壮観です。昨年新訳の出た1974年のデビュー作『ダスクランズ』から、今年クッツェー自身が英語版より先に他言語で発表した『モラルの話』まで、長い時間と、その間のこの作家の果敢な試みをたどると、現在78歳のクッツェーという作家がなしとげた仕事が見えてきます。

 J・M・クッツェーの軌跡をたどる秋がやってきました。

2018/09/11

また草庵を打ち破る J・M・クッツェー

J・M・クッツェーが、またまた旅に出るようです。旅に出て、そこに長く滞在せず、またすぐ旅に出る。これはもう「草庵に暫く居ては打ち破り」の俳諧師、松尾芭蕉そっくりです。78歳の現在、残りの生涯を「一所不在」としたのでしょうか。すでにそうなっていますね。

 情報として入ってきたのは、まず、9月24日(月曜日)にチリのサンチャゴにあらわれるニュース。La Ciudad y las Palabras 「都市とことば」

 これは、クッツェーの名前が冠せられた、この都市の暮らしをテーマにした若者向けの短編集コンテストが今年で第4回を迎え、その授賞式にやってくるということですね。

 それから、10月9日(火曜日)に、シカゴ大学でGrowing Up with The Children's Encyclopediaという講演をするようです。「子供向け百科事典とともに成長して」あるいは「子供向け百科事典とともに成長すること」でしょうか。面白いですねえ。この作家がいま注目するのは若者や「子供」です。古巣のシカゴ大学には社会思想委員会のメンバーとして元同僚で、アデレードのシンポで基調講演をしたジョナサン・リアがいました。

ポルトガル語版「学校時代」
 そうそう、自伝的三部作の『少年時代』に出てくる「緑の本」というのが子供向けの百科事典のことでした。土埃のひどいヴスターに住んだころ、ジョン少年は午前中にアレルギー症状が出てくしゃみがひどく、微熱も出て、ちょっと不登校気味になった。でも午後になるとすっとおさまる、というエピソードがありましたが、そんなときはベッドでいつも緑の本を読んだ、という話が出てきました。

 『イエスの幼子時代』に出てくる少年にはセルバンテスの『ドン・キホーテ』があたえられます。『イエスの学校時代』も2年前に出したいま、少年と百科事典の関係をどんなふうに話すのでしょうか。

 数年前に南アフリカの、たしか、ヴィッツ大学の大学院修了式で大学院を終えた学生に対してクッツェーは小学校教師になることの意義を説いて、経済的な上昇志向の強い人たちからブーイングを飛ばされました。だって、修士課程を終えて経済界や他分野に進む意気込みでいる男子学生に、幼い子供とともにいることはその人のためになる、といったんですから。これは印象的、というより、ちょっと驚きです。
スペイン語版「学校時代」
 自分は小学校時代ずっと先生は女性で、11歳のとき初めて男の先生に教わったが、もっと早い時期から同性の教師と出会っていたらどうだったか、と語りました。1940年生まれの子供をめぐる教育環境は、日本とは真逆だったようです。この事情はむしろ現在の日本の初等教育の現場があてはまるかもしれませんが、これはこれでまた別の問題が噴出しています。小学校の男性教師が女生徒に性的な嫌がらせ(教師という強者の立場で有無をいわさぬ暴力)をするという問題ですが。

 とにかく、現在のクッツェーは自分の人生を振り返って、最重要なことを残された時間にやろうとしてます。まるで「イエスの連作」という「死後世界(あれは afterlifeと著者みずからがスペインのイベントで語っていました)」で5歳の少年ダビドを育てる初老の男性シモン(クッツェーの分身)のように。クッツェー自身が、若くして他界した自分の息子ニコラスを育て直しているように思えてなりません。連作は、自分の子育ての方法はどうだったのか、とみずから自問、自省しながら、ことばを紡いでいくプロセスと見えてしまいます。もちろんフィクションですが。

 

2018/09/07

日経プロムナード第10回「ルサカ、闇の記憶」

9月に入って最初の回は「ルサカ」です。ザンビアの首都の名前。
 ずいぶん前になりますが、初めてアフリカ大陸の地を踏んだときの忘れられない思い出について書きました。

   ルサカ、闇の記憶

 連想は、なんと、大むかしの北海道に飛んで。

『マンゴー通り』がTOKYO FMで

温又柔さんの解説!
22年ぶりに、温又柔さんの解説つきで復刊された、サンドラ・シスネロスの『マンゴー通り、ときどきさよなら』(白水社 Uブックス)が、TOKYO FM 「パナソニック メロディアス ライブラリー」で取り上げられます。番組は明後日、9月9日(日曜日)午前10時から10時半まで。

 パーソナリティは作家の小川洋子さん、アシスタントは藤丸由華さんです。
 テレビやラジオについては、まったく疎いわたしですが、PCでもラジオが聴けることを少し前に教えてもらいました。TOKYO FMは、ここから入っていけます! ぜひ!


2018/09/02

森崎和江のこと

忘れないうちに書いておこう。少し酔っ払っているけれど(笑)、そうしなければ書きそびれてしまいそうだから。

 昨日、『現代詩手帖 9月号』の森崎和江をめぐる座談会を読んだ。三段組の小さな文字を、あまり明るくない図書館で、周囲の物音が聞こえなくなる集中度で一気に読んだ。そのせいか、このところ徐々に降り積もってきた眼精疲労が限界を超えた。

 しかし、森崎和江にふたたび光があたっているのを見逃すわけにはいかない。だって、77年から80年代はじめに、子育てに24時間専念せざるをえない時代をへて、ようやく読書の時間を確保できたとき、北米黒人女性作家選のほかに何をおいてもまず読んだのは森崎和江の本だったからだ。それは偶然というよりも必然だったとしか思えない。そのことを昨日の座談会を読んで確認した。

 森崎和江は、フェミニズムはともかく、90年代に脚光を浴びはじめたポストコロニアルの問題を、それより10年も前から、彼女みずからの朝鮮半島からの引き上げ体験を踏まえて言語化しはじめていた人だった。

 外地から内地への引き上げ体験とはなんだったのか?

いま手元にある森崎和江の本たち
『異族の原基』や『慶州は母の呼び声』は、発売された当時、それこそ周囲の物音がまったく聞こえなくなる状態でむさぼるように読んだ記憶がある。1988年5月にJ・M・クッツェーの名前を知るはるか以前のことである。そのことの意味をあらためて考える。

 ちなみに『現代詩手帖』の座談会で話題になった石牟礼道子の文章が「男をファックする文体」だと上野千鶴子が喝破することばに、快哉を叫んだ。本当に! あの前近代を美化する文章には、いってみれば「母親の子宮への回帰願望」に酷似する魅力というか、魔力があるのだ。ある種のエロスに通底するものとそれを名付けられようか。

石牟礼道子が幼いころの体験として、労働に従事する裕福とはいいがたい男たちが遊郭の女に入れ込んでへろへろになるのを見て、幼いころ自分もそんな女の力をもちたいと思ったと語っていたことばを思い出した。下駄をはいて紅をさし、しゃなりしゃなりと歩いたら、近所の人から「ほら、またミチコハンのあれが始まった」と家族に告げ口されたという。そんな石牟礼自身のことばをどこかで読んだことがある。それは、石牟礼の文体の魅力の源泉を解き明かしていないだろうか。つまり、理性的な男性文体ではなく、近代化を批判しながらうっとり魅了する前近代的世界を美化する性質が強いのだ。シャーマン的な魅力。たしかに美しい世界であって、現在のわれわれに「失われたもの」を現前させる作品でありながら、近代を強烈に「撃つ」内容を兼ね備えている。

 それにしても、「男をファックする文体」という上野の表現は妙である。子宮回帰願望は、女より男に強烈であることを見通した指摘である。父親になってさえも男たちからその願望は消えなかったし、いまも消えない人が多い。女は母親になったときに、よほどのことがないかぎり、その願望は消滅せざるをえない現実を突きつけられる。この身体ははたして「わたし」なのか? 森崎は子供を孕んだとき「わたし」ということばを使えなくなったという。

なぜか手元にない?
その孕む現実を言語化しようとしたのが、森崎和江なのだ。妊娠したとき女は自分の身体が自分だけのものではないという事実を突きつけられる。自己がゆらぐのだという。
 3人の子供たちをこの世に、文字通り「産み出した」身として、この事実はとても重たい。身体的には間違いなく、異物に(自分以外のものに)占領される、占拠されていく、そういう感じがしたものだ。身二つになっても、まだ授乳という仕事によって、きっぱりと分かれられない。赤子が泣き声をあげるたびに引き寄せられ、乳房が張り詰めるたびに赤ん坊のことを否応なく感じ、考える。そのように生理的に作られている母体とは? 
 森崎は、そのことをとことん突き詰めて言語化した女性だ。でもそれを言語化することばは男性の文体だった。だから、正直いってあまり魅力的ではなかった。しかしこれは朝鮮半島で生まれ育った森崎にとっての「母語」とはなにか、という問題と不可分なのだ。内地の言語、九州の日本語は森崎にとって異国の言語だった。もちろん朝鮮語は文字通り異国語ではあったけれど、乳母の背中で聞いたことばは彼女にとって母語に近かったかもしれないが、それは日本語ではなかった。だから、引き上げてから森崎はあらゆる意味で、言語を獲得するたたかいを強いられた。
 その「たたかい」の軌跡が、森崎の先駆性をあらわしてもいるのだ。
 60年代からこつこつ聞き書きをしてきたものが『からゆきさん』や『まっくら』として本になったあたりから、森崎のことばは、文学として一気に開放されていく。森崎和江の書いた本が若い読者によって読まれ、その研究が、フェミニズム文学として、さらにポストコロニアル文学として、深まっていくことを強く願わずにはいられない。

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追記:上野千鶴子の語りのなかで面白かったのは、戦時中、子供を産まなかった高群逸枝が母性を礼賛するファシストのイデオローグになったのにたいして、17人も子供を産んだ与謝野晶子が徹底的に個人として生きたという指摘だ。これは目からウロコ。高群逸枝の全集を編纂した夫の橋本憲三がそのことを隠蔽した事実を研究者たちが、のちに国会図書館へ足を運んで資料を発掘することで明らかにしたという指摘も興味深かった。子供を産んだから、産まないから、がその人の思想を決定するとは限らないのだ。母性を礼賛するのは、たいてい男で、それにのっかる女がいるかどうか、あるいは生き延びるためにのっからざるをえない状況が切羽詰まっているかどうか、それが80年代以前の女たちをとりまく歴史状況だったのだ。選択肢はほぼなかった。