2015/07/31

パウル・クレーと夏日記(3)

毎日ほんとうに暑い。クーラーは使わないため、PCをときどき冷やしながら仕事をする。頭もときどき冷やしながら仕事をする。目もときどき休めないと翌日はれぼったくなる。 
 パウル・クレー。7月の最終日である今日は「Angelus Novus」という絵をアップ。

今日はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』のなかでも、2008年の大統領選挙に絡む章を訳した。アフリカン・アメリカンのボーイフレンド、ブレインといっしょになってバラク・オバマの支援キャンペーンをする主人公イフェメルの、アフリカからやってきたスタンスならではの鋭い目で、アメリカの人種問題やそれをめぐるさまざまな立場の人々の声が拾い上げられていて、とても、とても興味深い。



あ、忘れるところだった。昨日はちょっと尖った気分だったのでこれ。
でも、なぜかタイトルは「Greeting」だそうだ。ふ〜ん。


2015/07/29

真夏の夜に──パウル・クレーと夏日記(2)

昨夜は真夏の夜に、下北沢のB&Bで開かれた「山崎佳代子×季村敏夫×ぱくきょんみ──詩はひとつの言葉に聴こえる」を聴いてきた。ルーマニアのちいさな村で開かれた詩祭に参加した3人の日本語詩人たち、その目が見たもの、耳が聴いたもの。それぞれの話が三人三様で、それでいて響き合っていて、とても深くて濃い話だった。

 真夏の夜を堪能したひとときだった。司会の書肆山田の鈴木一民さんの話もまた味わい深かった。今日のクレーはこれ!



あまりに暑くて、なかなか寝つけなかった一昨日の夜。曇りの空に気温はかすかに低いけれど、それでも暑い。(こんな暑い8月に、5年後、マジでオリンピックなんかやるのか? マラソンだとか、短距離レースだとか。湿気の多い亜熱帯モンスーン気候のこの8月に。正気の沙汰とは思えない。下手したら参加者や観戦者から死人が出そうだな。)

そんな暑さに、昨日はブルーを基調にした、水中世界ののような、すずしげなクレーでした。


2015/07/27

パウル・クレーと夏日記(1)

Facebook や twitter で暑気祓いをかねて、ほぼ毎日、クレーの絵をアップすることにした。題して「今日のクレー」。Google で彼の名前を入れて検索をかけると、出てくる、出てくる、たくさん、たくさん。
 まず昨日アップしたのは、とにかく一番好きな、魚の絵。



 パウル・クレーは20歳ころから大好きな画家で、いつも仕事をする空間に一、二枚、彼の絵がある。もちろんカレンダーや絵葉書といったどこにでも手軽に手に入る形なのだけれど。そういえば、クレーの日記というのを読んだこともあったなあ。活版の小さな字で、二段組みという分厚い本だったけれど、最後まで読んだ。それで知ったのは、彼はヴァイオリニストでもあったことだ。地域のオーケストラで弾いていたという。

 1981年に第一詩集『風のなかの記憶』を出したときは、カバーにエンボスでこの絵のまんなかにある魚を入れたんだったっけ。クレーは1940年没だから、まだ50年経過していなかったことになる。ということは本当はいけないのだけれど、私家版だったし、まあ……ということだったのか。わたしがまだ著作権などにうとかったのか、クレーさん、ごめんなさい。でも、いまや時効ですね、お許しあれ。

 それで今日は二枚目。これは本のページが開かれたところ。中心が薔薇のよう。色調がとってもいい。


2015/07/24

ビクトル・ハラについて

おお、ビクトル・ハラ! シンガーである劇作家でもあったハラを虐殺したピノチェト政権下のチリの軍人たちが裁判にかけられる、という英ガーディアンの記事を読んで、1973年という年を思い出した。まだわたしは学生だった。いまでもハラの名前はくっきりと覚えている。ビクトル・ハラの歌をひさびさにたっぷり聴こうかな。


先の記事にはこうある:
Jara – who was also a folk singer, theatre director and communist party member - was taken prisoner during the coup by General Augusto Pinochet in September 1973. 
Military officers tortured him, broke his wrists and hands, played Russian roulette with him and then on 16 September executed him with 44 bullets. 
He remains arguably the best-known victim of the coup, but there are many other outstanding cases. 
According to Chile’s truth and justice commission, 3,095 people were killed during the 1973-90 Pinochet dictatorship, including about 1,000 who “disappeared”. Bodies are still being found today.


ついでにブエナビスタ!

2015/07/19

藤原辰史さんが草稿を書いたのか!

ちょうど一年ほど前になる。藤原辰史さんの『食べること 考えること』を読んで、元気をもらったことがある。先日、京都大学の有志が書いた、とても心にしみる、とてもおしゃれな(とあえてわたしは言いたい!)声明書を読んだ。その草稿を書いたのが藤原辰史さんだということを今日、新聞で知って感激した。


■「自由と平和のための京大有志の会」の声明書(全文)

戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。
戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。
海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。
血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。

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付記:multi-language manifesto here!

2015/07/11

新刊めったくたガイドに『マイケル・K』が

都甲幸治さんが、「本の雑誌」8月号の「新刊めったくたガイド」で、クッツェーの『マイケル・K』をまた取りあげてくださった。マイケルも、さぞや嬉しがっていることでしょう。
Muchas gracias!

8月号だから、夏休みに向けた読書ガイドってことかな。
それにしても、この「新刊めったくたガイド」って名前、いいな!

ここにあがっているパク・ミンギュの『亡き王女のためのパヴァーヌ』、読んでみたい。とっても。

2015/07/08

クッツェー作品には風景描写が少ない?

先週末に駒場で面白い研究会があった。そこで、J・M・クッツェーの作品研究をしている院生の発表を聴いた。若い研究者たちの熱のこもった発表がとても面白かった。

南アフリカ大使館fbから拝借
現在、クッツェー研究の世界的な潮流として、オースティンのクッツェー・アーカイヴの調査は不可欠だ。そこにおさめられた作家の創作ノート類を細かく調べることで、作品の立ちあがる瞬間、逡巡しながら作品を書き進むようす、それまでの草稿を反古にしてあらたな作品を書き出したきっかけなどが、細かく分かるようになったからだ。
 各作品の立ちあがりと時代との絡みは、もちろん、じつに興味深いものがあるし、クッツェー作品にくりかえしあらわれる共通のモチーフやテーマで作品群を分析すると、思わぬ視界が開けそうな気配も強く感じられる。これからは各作品が、J・M・クッツェーの生い立ちや時代背景、彼の人生そのものと関連づけられながら、各作品のテーマとどう結びついているかを論じることで、この作家の全体像がクリアに見えてくることだろう。クッツェーが自分のペーパー類を生前に公開した、というのは、そのような研究姿勢を(つまり、作品の読み方を)作家自身が求めていると考えてまちがいない。

筆者撮影、2011
その研究会のなかで、いやその後のオフ会だったか、ある人がふと口にしたことばが、ずっと頭から離れなかった。それは「クッツェーって風景をあまり描きませんね」ということばだ。それに対して「『マイケル・K』にはかなりありますが」とわたしは答えたけれど、その人が言った「風景描写」とわたしが言うものとはずれがあったように思う。
『マイケル・K』は一種のロードノベルだ。旅する主人公の目がとらえる個々の、地を這うような場面描写は、風景というよりはあくまで光景というか情景というか、そういうたぐいのもので、「風景/ランドスケープ」となると、もう少しスカーンと広い範囲の見晴らしのいいものだろうな、と思う。

 そのことをここ数日、考えるともなく考えてきて、ふと思い至ったのは、そうか、南アフリカの白人作家や詩人は長いあいだ、まさに、この風景/ランドスケープを描いてきたのだ、ということだった。(公式の歴史文書は長いあいだ、19世紀のキリスト教到来の時代まで、われわれが現在南アフリカと呼んでいる内陸がいかに無人であったかという物語を伝えてきた──『ホワイト・ライティング』)
  クッツェーは1989年に発表した『ホワイト・ライティング』のなかで、このブログでも何度もとりあげてきたが、誰もいない風景の美しさをことほぐ詩や小説について、ある批判を込めて書いた。つまり、美しいカルー、愛するカルー、誰もいない風景と、そこに多くはないにしろ人が住んでいたにもかかわらず、その人たちは滅びたものとして作品を書いてきた伝統がホワイトライティングにはあったのだ。

筆者撮影:南ア出身のAttwell, Wittenbergと
だから、その延長で南アフリカのランドスケープをことほぐことをクッツェーはみずからに禁じたにちがいない。白人である彼がこの土地の美しさを無条件に、手放しで書くことは、その土地を精神的に所有することにつながるからだ。本来ヨーロッパ人のものではなかった土地を「愛する」と言ってしまうことを抑制する心情がクッツェーには働いたのではないのか。

 クッツェーという作家が抱く南アフリカという土地への屈折した意識/愛については、『サマータイム、青年時代、少年時代』の解説にも書いたけれど、あの土地をたんに自然/ランドスケープとして描くことに抵抗を感じ、抑制した意識がはたらいたことと、彼の作品内に風景描写が少ないこととは、密接な関係があると思うのだが、どうだろう。

これは私自身が北海道という土地の美しさを無条件に書くわけにはいかない、と感じることにも繋がっていくのだけれど。

 

2015/07/01

『波』に野中柊さんの本について書きました

新潮社の『波』7月号に、野中柊さんの新著『波止場にて』について書きました。タイトルは直球どまんなか、「 きっぱりと明るく描く昭和の戦争ラブロマンス」。そう、明るい戦争ラブロマンスなんです。

 最近わたしが読むものとはひと味ちがうかも、と思いながらも、うんと若いころはこういうロマンスも大好きで、よく夢中で読んだものだったなあ、とそのころの感覚を懐かしく思い出しながら、ぐんぐんページをめくって、「ああ、面白かった」と声に出しながら本をとじました。

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2015.7.9 付記:この書評、ネット上でも読めるようになりました。こちらです。