2008/10/31

クッツェーの表情──『鉄の時代』こぼれ話(3)

<厳しさと柔らかさと>── 2007年12月初め、痩身の作家はオフホワイトのさらりとしたワイシャツ姿で約束の場所にあらわれた。南アフリカ出身でオーストラリアに住むノーベル賞作家J・M・クッツェー氏が初来日したのはその前年の秋。

(このつづきの主な部分、『鉄の時代』のタイトルをめぐるエピソードは、2009年11月に出る『南アフリカを知るための60章』(明石書店)に載せていただくことになりました。恐れ入りますが、ぜひ、そちらを読んでください。)

2008/10/30

第2回中東国際映画祭、J・M・クッツェー原作の『Disgrace』が最優秀作品賞

2008年10月20日 12:26 発信地:アブダビ/アラブ首長国連邦──AFPによる。

 第2回中東国際映画祭、クッツェー原作の『Disgrace』が最優秀作品賞を受賞した。
 スティーヴ・ジェイコブス(Steve Jacobs)監督が手掛けたこの作品は、ノーベル賞作家J・M・クッツェー(J.M. Coetzee)の同名小説を下敷きにしたもので、主演はジョン・マルコヴィッチ(John Malkovich)。最高賞の「黒真珠賞」として賞金20万ドル(約2000万円)が授与された。
 映画祭には、34か国から長編76本、短編34本が出品された。
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このところ映画「Disgrace」のチェックを怠っていたら、なんと、中東国際映画祭で最優秀作品賞を受賞していました!

2008/10/29

バッハはやっぱりグールド──『鉄の時代』こぼれ話(2)

<ショパンはリパッティ、
バッハはやっぱりグールド>

鉄の時代』には、主人公のエリザベス・カレンが夕暮れに、ピアノにむかってバッハやショパンの曲を弾く場面がある。バッハは作者クッツェー氏のごひいきの作曲家だ。訳了した2007年9月、ふと、だれの弾くショパンやバッハが好みなのだろう、と思って訊ねてみると、こんな答えが返ってきた。

「ショパンは、若い演奏家は知りませんが、わたしが好きなのはたぶん、何年も前に亡くなったルーマニア出身のディヌ・リパッティです。バッハとなると、やはりグレン・グールドを選ばざるをえないと思います。とはいえ、ミセス・カレンがバッハの音楽に、グールドとおなじアプローチをしているわけではありませんが──」

 この最後のところでは、思わず脱力──!!

2008/10/15

名前のメタモルフォシス──『鉄の時代』こぼれ話(1)

「J.M.クッツェーの作品に出てくる名前をテーマにすると、それだけで論文がひとつ書ける」

といったのは、すぐれたJ.M.クッツェー論『J.M.Coetzee and the Ethics of Reading/J.M.クッツェーと読みの倫理学』(Chicago Univ. Press, 2004)を書いたデレク・アトリッジだった。

『鉄の時代』を訳しながら、よくこのアトリッジのことばを思い出した。そして考えたのは、主人公ミセス・カレンの名前のことだ。
 主人公は引退したラテン語教師で、ファーストネームをエリザベスという。ペーバーバックの原書や書評には当然のようにこの名が出てくるのに『鉄の時代』本文中には一度も出てこない。主人公が自分のイニシャル「E C」を末尾に記したメモを、キッチンテーブルに残す場面があるだけ。ではなぜ、「エリザベス」という名が広く知られるようになったのか。
 それは、作者であるクッツェー自身がデイヴィッド・アトウェルとのインタビューのなかで、ぽろっと明かしてしまったからだ。それも、原著(1990年刊)がまだ出版されていないときに…。でも、そのインタビューが掲載されたエッセイ集『Doubling the Point/ダブリング・ザ・ポイント』が出たのは、原著『鉄の時代』より少しだけあとのことでしたけれどネ。

 ガンの再発を告知され、物語の最終部で命を閉じる主人公「エリザベス・カレン」の名は、やがて、2003年9月に発表された『Elizabeth Costello/エリザベス・コステロ』となってよみがえる。この作品、原著が出たのはクッツェーがオーストラリアへ移住したあとのなで、中身はすべてオーストラリアへ移ってから書かれたものと思われがちだが、半分以上はケープタウンに住んでいたときに個別に発表されたテキスト。
 原著は8つの章から構成されているけれど(残念なことに邦訳は2つの章を削除)、その第1章におさめられたのは、1996年11月にチャップブックとして出された「What is Realism?/リアリズムとはなにか?」という講演記録だ。どうやらこのとき初めてクッツェー作品に「エリザベス・コステロ」なる人物の名前が登場したようだ。(付記:2019.2.12──1995年12月のオランダでの講演が最初で、翌年11月のベニントン・カレッジでの講演が英語圏での初登場。)
 『鉄の時代』が出てから約6年後、娘に遺書を書いてこの世を去ったケープタウンの元ラテン語教師エリザベス・カレン(Curren)が、歯に衣着せぬ発言をいとわないオーストラリアの作家エリザベス・コステロ(Costello)となって、見事によみがえったのだ。

 でも、よみがえったのはエリザベスだけではなかった。『鉄の時代』の主人公には、ポールという兄がいた。作中ではすでに死んだことになっているけれど、この名はオーストラリアへ移住して書いた初小説『Slow Man/スロー・マン』の主人公となってよみがえる。写真をめぐるイメージまで絡ませながら。ポールという名は、じつはほかの作品にも出てくる(2016.9.30付記:『青年時代』に出てくる大学時代の友人の名だ)。クッツェーにとって、よほどお気に入りの名前らしい。
 こんなふうに、クッツェーの作中人物の名前は転身したり、少しだけ変形したりして、それぞれの作品の余韻を残しながら、あちこちの作品内に登場する。もちろん交互に響き合う効果を考えてのことだろう。そういえば、最新作『Diary of a Bad Year/厄年日記』の主人公の名前が「ジュアン/フアン/Juan(Johnのスペイン語風)」とか「セニョール・C」となっていて『Waiting for the Barbarians/夷狄を待ちながら』という作品を書いた南アフリカ出身の作家という設定だから、ここにもまた作家であるクッツェー自身を連想させる、ちょっとずらした名前が埋め込まれているのがわかる。

 名前といえば、アトリッジはまたこんなこともいっていたっけ。
「クッツェー作品を論じる多くの文章のなかで、なぜか登場人物が女性の場合、それがファーストネームで呼ばれることが多いが、これはアンフェアではないか」と。たとえば『Foe/敵、あるいはフォー』の主人公はスーザン・バートンという名だが、論じられる文章のなかではもっぱら「スーザン」と呼ばれ、「ミセス・バートン」とは呼ばれない、と。
 これもまた一考に値する指摘かもしれない。

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付記:これから何回かに分けて、「解説」からこぼれてしまったエピソードや裏話のようなものを書いていきたいと思います。お楽しみください。

2008/10/04

『鉄の時代』──J・M・クッツェー著

「少年の見開かれた目を思うたび、わたしの表情は醜悪になっていく。それを治す薬草は、この岸辺の、いったいどこに生えているのだろう」

帯の挿画はタダジュンさんの銅板画。
初めて見るのに、なにかを思い出す、
記憶にじんわり沁み入るような、
不思議は感じの絵です。

(池澤夏樹個人編集 世界文学全集第1期11巻、河出書房新社刊、2008)

この『鉄の時代』は1980年代後半のケープタウンを舞台にした小説です。南アフリカのアパルトヘイト体制末期の激動の時代。J・M・クッツェーは、20代にいったんは去った南アフリカへもどる決意をし、以来、その地に住みつづけて数々の傑作を発表してきた作家です。これは当時の社会状況と拮抗するような、緊迫感にみちた筆致でしたためた作品。「数々の偽装を凝らした」クッツェー作品の、かなめに位置する作品といえるでしょう。

 詳しくは→本棚へ