「J.M.クッツェーの作品に出てくる名前をテーマにすると、それだけで論文がひとつ書ける」
といったのは、すぐれたJ.M.クッツェー論『
J.M.Coetzee and the Ethics of Reading/J.M.クッツェーと読みの倫理学』(Chicago Univ. Press, 2004)を書いたデレク・アトリッジだった。
『鉄の時代』を訳しながら、よくこのアトリッジのことばを思い出した。そして考えたのは、主人公ミセス・カレンの名前のことだ。
主人公は引退したラテン語教師で、ファーストネームをエリザベスという。ペーバーバックの原書や書評には当然のようにこの名が出てくるのに『鉄の時代』本文中には一度も出てこない。主人公が自分のイニシャル「E C」を末尾に記したメモを、キッチンテーブルに残す場面があるだけ。ではなぜ、「エリザベス」という名が広く知られるようになったのか。
それは、作者であるクッツェー自身がデイヴィッド・アトウェルとのインタビューのなかで、ぽろっと明かしてしまったからだ。それも、原著(1990年刊)がまだ出版されていないときに…。でも、そのインタビューが掲載されたエッセイ集『
Doubling the Point/ダブリング・ザ・ポイント』が出たのは、原著『鉄の時代』より少しだけあとのことでしたけれどネ。
ガンの再発を告知され、物語の最終部で命を閉じる主人公「エリザベス・カレン」の名は、やがて、2003年9月に発表された『
Elizabeth Costello/エリザベス・コステロ』となってよみがえる。この作品、原著が出たのはクッツェーがオーストラリアへ移住したあとのなで、中身はすべてオーストラリアへ移ってから書かれたものと思われがちだが、半分以上はケープタウンに住んでいたときに個別に発表されたテキスト。
原著は8つの章から構成されているけれど(残念なことに邦訳は2つの章を削除)、その第1章におさめられたのは、1996年11月にチャップブックとして出された「What is Realism?/リアリズムとはなにか?」という講演記録だ。どうやらこのとき初めてクッツェー作品に「エリザベス・コステロ」なる人物の名前が登場したようだ。(付記:2019.2.12──1995年12月のオランダでの講演が最初で、翌年11月のベニントン・カレッジでの講演が英語圏での初登場。)
『鉄の時代』が出てから約6年後、娘に遺書を書いてこの世を去ったケープタウンの元ラテン語教師エリザベス・カレン(Curren)が、歯に衣着せぬ発言をいとわないオーストラリアの作家エリザベス・コステロ(Costello)となって、見事によみがえったのだ。
でも、よみがえったのはエリザベスだけではなかった。『鉄の時代』の主人公には、ポールという兄がいた。作中ではすでに死んだことになっているけれど、この名はオーストラリアへ移住して書いた初小説『
Slow Man/スロー・マン』の主人公となってよみがえる。写真をめぐるイメージまで絡ませながら。ポールという名は、じつはほかの作品にも出てくる(2016.9.30付記:『青年時代』に出てくる大学時代の友人の名だ)。クッツェーにとって、よほどお気に入りの名前らしい。
こんなふうに、クッツェーの作中人物の名前は転身したり、少しだけ変形したりして、それぞれの作品の余韻を残しながら、あちこちの作品内に登場する。もちろん交互に響き合う効果を考えてのことだろう。そういえば、最新作『
Diary of a Bad Year/厄年日記』の主人公の名前が「ジュアン/フアン/Juan(Johnのスペイン語風)」とか「セニョール・C」となっていて『
Waiting for the Barbarians/夷狄を待ちながら』という作品を書いた南アフリカ出身の作家という設定だから、ここにもまた作家であるクッツェー自身を連想させる、ちょっとずらした名前が埋め込まれているのがわかる。
名前といえば、アトリッジはまたこんなこともいっていたっけ。
「クッツェー作品を論じる多くの文章のなかで、なぜか登場人物が女性の場合、それがファーストネームで呼ばれることが多いが、これはアンフェアではないか」と。たとえば『
Foe/敵、あるいはフォー』の主人公はスーザン・バートンという名だが、論じられる文章のなかではもっぱら「スーザン」と呼ばれ、「ミセス・バートン」とは呼ばれない、と。
これもまた一考に値する指摘かもしれない。
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付記:これから何回かに分けて、「解説」からこぼれてしまったエピソードや裏話のようなものを書いていきたいと思います。お楽しみください。