2023/10/23

『曇る眼鏡を拭きながら』斎藤真理子さんとの往復書簡集

 2022年初めから一年間、集英社の雑誌「すばる」で、斎藤真理子さんと往復書簡というのをやりました。タイトルが「曇る眼鏡を拭きながら」、それが本になりました。タイトルもそのまんま『曇る眼鏡を拭きながら』で、集英社から10月26日発売です。

 その「みほん」がやってきました。とってもお洒落な本です。


装丁:田中久子さん

装画:近藤聡乃さん

ひとりでも拭けるけど、ふたりで拭けば、

もっと、ずっと、視界がひろがる。

「読んで、訳して、また読んで」


 2021年の秋に、クッツェー作品の翻訳で長年書きためてきたものを一冊の本にまとめて、エッセイ集『JM・クッツェーと真実』(白水社)として刊行。ほかにもメモワール『山羊と水葬』(書肆侃侃房)や『JMクッツェー 少年時代の写真』(白水社)もほぼ同時刊行だったので、もう完全燃焼でした。はあ~~~と気持ちが伸びきっていた直後に、なにやら怒涛の出来事が起きて、2022年はずっとその波を被りつづけました。そのあいだ、「すばる」の連載が、ともすれば倒れそうになる心身をシャキッとさせるための柱になってくれたのです。伴走してくださった斎藤真理子さん、若い編集者の2人のKさんには本当にお世話になりました。ほかにも支えてくださった方々に(お名前はあげませんが)深く、深く感謝します。💐

 ついに、こうして本になって感無量です。ありがとうございました。

 この本の発売を記念して、発売日の10月26日から表参道の青山ブックセンターで、「眼鏡拭きライブラリー」というフェアが始まります。本のなかに出てくる数多くの書籍のなかから(70冊ほどあったかなあ。。。)、現在入手可能なものから、真理子さんとわたしが20冊ずつ選んで、そのうち各10冊にはポップもつけます。いまその原稿を送ったところ。

 『曇る眼鏡を拭きながら』の発売を記念したイベントもいま準備中で、詳細はもうすぐ発表されるはずです。どうぞお楽しみに!


2023/10/01

J・M・クッツェー:ヨーロッパと外の世界──バルセロナ現代文化センターでの対話

 久しぶりの更新です。

9月30日、バルセロナ現代文化センターで、JMクッツェーとヴァレリー・マイルズの対話が行われました。

Europa i el món de fora/ヨーロッパと外の世界」という対話は、ヨーロッパ文化をめぐるいくつかの対話や講演の締めくくりだったようで、早速、カタルーニャ語のウェブサイトに報告が載りました。

詳細はいずれバルセロナ現代文化センターのウェブサイトに掲載されるそうですが、昨日の対話でクッツェーは<作家自身の「いま」と世界の「いま」>を結びつける重要な発言をしているようです。

とりわけ、この記事のタイトルとなった「J.M. Coetzee: “Escriure té més a veure amb cuinar que amb filosofar”」 の最後に、ロシアに対する世界のあり方をめぐるクッツェーの意見が紹介されていて、これは注目に値します。現在ロシアに対して行われている制裁が、国内にいて抵抗を続ける作家たちを見えない存在にすることにならないか、という危機感を表していて、アパルトヘイト時代の南アフリカに対して外部諸国が実行した文化制裁、経済制裁と、当時その国内にいたクッツェーの心情を彷彿とさせます。

(以下は記事をカタルーニャ語から英語、さらに日本語へG翻訳して、引用者が少しだけリライトしたもので、ざっくりした意味と理解していただければ幸いです。)

"ロシア古典の偉大な読者である作家は、この国についての彼の見解で話を終えたいと考えていたが、それはここ数十年の歴史、ソ連の敗北、そして90年代の資本主義の「有害な」押し付けによって彩られていると彼は語った" 

今はロシアとの関係を断ち、彼らを忘れ去るべき時ではない。 私たちはあらゆる機会を利用して、彼らの努力を支持していることを彼らに示さなければなりません。」(下線引用者)


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J.M. クッツェー:「書くことは哲学よりも料理と関係がある」

ノーベル文学賞受賞者がCCCBでヴァレリー・マイルズとともに言語と文学について振り返る: 

Europa i el món de fora ヨーロッパと外の世界──ヌリア・フアニコ・ルマ、@バルセロナ 


作家 J.M. クッツェー(南アフリカ、ケープタウン、1940年生)は今週土曜日、バルセロナ現代文化センター(CCCB)を訪れ、ヨーロッパ大陸に対する自身の見解を語った。 しかし、クッツェーは南アフリカで生まれ、20年間オーストラリアに住み、残りの人生を米国で(引用者註・英国でも)過ごした。 このため、「Europa!」サイクルの締めくくりの話を始める前に、自分が習得していないものについて意見を言うことに非常にアレルギーがあると説明している。 「現在、全国民が自分の意見を広めるチャンネルを持っており、その意見の正当性や強さは、その意見が真実かどうかではなく、誰がその意見を支持するかによって決まります。私たちは、ある種の意見が生き残るダーウィンのような意見の市場に住んでいます。そうしない人もいます」とクッツェーは、作家・編集者のヴァレリー・マイルズ(ニューヨーク、1963年生)との会話で語った。


両者とも「ヨーロッパでは部外者」と感じていると告白しており、おそらくそれが地政学的問題よりも文学的な対話に焦点を当てた理由だろう。 この会議では、ガブリエル・ガルシア・マルケスやミゲル・デ・セルバンテスからロバート・バルザー、オクタビオ・パス、ギュスターヴ・フローベールまで、何人かの文学者を参照。 2003年にノーベル文学賞を受賞したクッツェーは、バルセロナを舞台にした最新小説『The Pole』(エディション62、ドローズ・ウディナ訳)の創作ギアを掘り下げている。

 カタルーニャ州の首都を主な舞台に選んだ理由は何ですか? 「書くことは、哲学することよりも料理と関係がある。私はバルセロナについてあまり知らないが、あの物語ではそれがうまくいった。私は直感に従って仕事をしている」とクッツェーは説明した。


アングロサクソン文化における「詐欺師」


『ポーランドの人』はピアニストと既婚女性の間のあり得ないラブストーリーだが、プロットを超えて、作家はこれが彼にとって完全な意思表示であることを示した。 クッツェーはここ数年はまずスペイン語で本を出版し、その後英語で発表してきた。 「スペイン語が英語に代わる優れた代替手段となり得ることを示したかったのです。私はアングロサクソン文化の中で詐欺師のように感じてきました。」と、芸術創作においてスペイン語がますます重要になっている著者は強調する。


「どの言語にも、哲学的、宗教的、歴史的に非常に大きな重みを持つ単語があります。それらを適切に翻訳するには、その背後にある意味論的な文脈を移す必要があります。英語で単語を書くとき、私はそれがどのような意味になるのかという問題を意識しています。 翻訳者に質問し、翻訳者が見つけられる解決策は何なのかを尋ねます。そのため、問題を引き起こす可能性のある造語は避けるようにしています」とクッツェー氏は振り返った。(下線引用者)


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対話の相手、ヴァレリー・マイルズは『ポーランドの人』の謝辞にあがっていた3人の1人で、他の2人はスペイン語訳者のマリアナ・ディモプロス、フランス語訳者のジョルジュ・ロリです。カタルーニャ語訳は3月末に、イタリア語訳も8月末に出版されたのに、なぜかフランス語訳が出ないですねえ。

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2021.10.2──付記:今日になって気がついたのですが、このバルセロナでの催しはKosmopolisという大がかりなフェスで、以前もこのブログで紹介したことがあります。ここです
 ルー・リードとアミラ・ハス、そしてJMクッツェーの写真が並んでいますが、ブログを見た友人に、この並びはすごい!と驚かれたことがありました。2009年3月でした。あれから、14年あまりのときがすぎたわけです!