東京新聞の「海外文学の森へ」(2023.3.7夕刊)で、ジャン・フランソワ・ビレテール著・笠間直穂子訳『北京での出会い もうひとりのオーレリア』(みすず書房)を紹介しました。
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最愛の伴侶を失ったとき、人はそれをどう悼むのか。本書には一九三九年スイス生まれの中国思想研究者ジャン・フランソワ・ビレテールの二冊の著書が収められている。前半『北京での出会い』は若き留学生が北京へやってきた六三年から書き起こされるが、先に書かれたのは後半『もうひとりのオーレリア』だ。
一般人が外部世界とのやりとりを厳しく制限されていた北京で、ビレテールは医師の崔文(ツイウェン)に出会う。困難を潜り抜けて結婚にたどり着いた二人は、文化大革命が始まるころ危機一髪、シベリア鉄道経由でスイスへ向かう。だがその後長いあいだ文は家族と連絡が取れなかった。
やがて読者は、文の家族が置かれていた状況を、彼女の次兄の語りによって知ることになる。六〇年代中国社会が、内部で生きた者の証言によって、詳細に照らし出されていく。当時は知り得なかった暮らしの細部を伝えるナラティブに、思わず手に汗握って読みふけってしまった。
中国へ再入国できなくなったビレテールと文は、やむなく日本へやってきて京都に滞在した。六〇年代末の大学のようすを「五月のパリ」と比べる日本人に、ビレテールは「錯覚です」と応じる。五月のパリを実体験し、中国社会の内部をその目で見た者の視線の確かさが光る箇所だ。
にべもないその応答に、わたしは視界から一気に曇りが吹き払われる思いがした。六〇年代末の日本で、ある種ファッションだった紅衛兵帽や、大学の壁に太く描かれた「造反有理」グラフィティの記憶に、異なる角度から強い光が当たったからだ。
後半『もうひとりのオーレリア』には不意に逝った妻への追想が、日記風に記される。芸術作品の「使用法を教えてくれる案内書」と解説にあるように、これはネルヴァルの著作を下敷に、文と共に生きた時間を忘却と創作の力で新たなロマンスの殿堂へ再構築する試みといえるだろうか。
記憶のなかで揺れる「わたしたち」の細部を固定しようとする情動の不確かさを、穏やかで淡々とした、見事な翻訳がすくいあげていく。
ことばそのものを深く味わえる一冊である。
くぼたのぞみ(翻訳家・詩人)