2019/12/19

サンアントニオの青い月:サンドラ・シスネロス

窓のむこうには、12月の曇り空に包まれて、鮮やかな黄色の葉を残す緋寒桜の木がいっぽん。

🎉🎉 白水Uブックスになったサンドラ・シスネロスの2冊 🎉🎉
ちょうど26年前のクリスマスイヴに、生まれて初めてアメリカ大陸の土を踏んだ私たち。私たちというのは、まだ小学生と中学生だった2人の娘とわたしのことだ。

 飛行機を降り立ったアルバクウェルケ(アルバカーキ)空港では、娘たちに大人気のダニーさんがトナカイの角をあしらったハットを被って出迎えてくれた。(Thank you so much, Dany!  We'll never forget your kindness.)

 左手にリオグランデを見ながら車で一路サンタフェへ。

 サンドラ・シスネロスの作品2冊を翻訳することは決まっていたのだけれど、そのまえにやらなければならない仕事があって、結局、晶文社からシスネロスの翻訳が出たのは1996年だった。ほぼ4半世紀という時をはさんで、まず『マンゴー通り、ときどきさよなら』が昨年、そして『サンアントニオの青い月』が今年、白水Uブックスから復刊された。感無量だ。

 カバーには今回もまた、テックスメックスのさまざまなモチーフを鮮やかな色合いで描いてくれた、沢田としきさんの作品を使わせていただいた。解説は金原瑞人さん。クリスマス・イヴには書店にならぶはずだ。プレゼントにぜひ!
 
🌺🌺🌺 原著とならんで 🌺🌺🌺
マンゴー通り、ときどきさよなら』では、女性をとりまくさまざまな問題がまだストレートなことばにならなかったので、10代の少女の声を借りて描いたけれど、この『サンアントニオの青い月』(原題は「女が叫ぶクリーク」)ではやっと女たち自身のことばで語ることができた、と作者シスネロスが語っていたのを思い出す。22篇の短編を読み進むと、その意味がじんじんと伝わってくる。
 原作が扱う時代は1980年代末から90年代にかけて。アメリカとメキシコの国境地帯のいまとメキシコ革命の時代だ。

 この作品が発表された当時から、シスネロスは自分のことを「戦闘的フェミニスト作家と呼ぶなら呼んでいいわよ」といっていた。でも、残念なことに、初訳が出た1996年の日本では、やっぱり「フェミニズム」とか「フェミニスト」という語を表に出して使うことがためらわれた。つい最近までそうだったわけだけれど。

 小説や詩や、いわゆる「文学」がフェミニズムやフェミニストという語と関連させることを忌避した時代は、本当に、長かった。でもじつは、女たちの生と性の底流では、いつだってずっと、その見えざるたたかいが続いてきたのだ。やっとそれが表に出てきた、つまり主流の文学のなかに堂々と認められるようになってきたのだ。それがここ数年の大きな変化だ。

 もう後戻りはできない。🎉🎉🎉

Photo by Keith Dannemiller
フェミニズムの勢いが伝えられるメキシコや、チリや、アルゼンチンといったラテンアメリカで書かれている女性たちの文学がもっと訳されるといいなと思う!
 
 こうしてシスネロスの作品が復刊されて思うのは、いまならサンドラ・シスネロスを「フェミニスト作家」と誇りをもって呼べるということだ。「フェミニスト」や「フェミニズム」が概念としてごわごわした分厚いコートのように感じられた時代は去り、ふわふわした薄着も柔らかな編み込みセーターも、真っ赤なルージュもそれはそれでみんなフェミよと、あっけらかんといえる時代になったのだ。
 ここまでくるのに、どれほど多くの人たちの苦しみと奮闘と、被害者というレッテルを剥がして人間として誇りを取り戻すための、逆転の力学がたたかいとられてきたことか。

 もう後戻りはできない。🌺🌺🌺


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夜に。サンドラ・シスネロス『サンアントニオの青い月』(白水Uブックス)のみほんがとどいた今日、ミッドナイトプレスの岡田幸文さんの訃報を知る。1990年代初めに、シスネロスの詩の翻訳をいちはやく、彼が刊行する詩誌に掲載して応援してくれたのが、岡田幸文さんだった。ご冥福を心からお祈りします。