2018/08/31

日経プロムナード第9回「サイロのある家」

日経新聞プロムナード、8月最後にあたる今回は「サイロのある家」。北海道で暮らしていたころの話を書きました。

   サイロのある家

 女の子が浮き輪をつけて水に浮かんでいるイラストも、今日で最後でしょう。明日から9月、夏もそろそろ終わりですね。でも今年は暑かった。そして東京は、まだまだ暑い!

明日から9月「ガッコウ」が始まります。どうしても行きたくない学校は、行かなくてもいいかもね。逃げ場がなくなる子供たちのことを思います。生きてていいんだからねえ。そのままで、生きててOKだよ〜〜!

2018/08/25

フランス語訳もやってきた:クッツェー『モラルの話』

猛暑のなかをやってきた本です。

 L'abattoir de verre

『ガラス張りの食肉処理場』がタイトルのフランス語版。Seuil社から8月16日に発売されました。

 フランス語の本には、「モラルの話」と似たようなタイトルがいろいろあるからでしょうか、いちばん最後の短篇がタイトルに使われています。

 3カ月ほど先に出たスペイン語版、日本語版にはさまれて記念撮影。

 日本語版はハードカバーですが、スペイン語版もフランス語版もソフトカバーです。大きさはまちまち。ページ数は3冊とも 200ページに満たない。クッツェーの集大成ともいえるこの作品、さらさら読ませながら、中身は驚くほど濃くて、深いのが特徴です。

 さあ、次に出るのは何語のバージョンでしょうか?

2018/08/24

日経プロムナード第8回「ナカグロ詩人」

日経プロムナード、金曜日。今回は肩書きの話です。


   ナカグロ詩人

 どういうわけか、何を書いてもクッツェーがらみになっていくような気配ですが。💦💦💦

 しかし、今回の奇跡のような「つながり」は、翻訳と詩を両方やれていて本当によかった、と思わせるものでした。人生、捨てたものじゃありません!


2018/08/19

アルゼンチンの作家2人にクッツェーがインタビュー

8月17日付の Sydney Review of Books に面白い記事が載った。

'Other ways of saying'──他の語り方


2018.5マドリッドで
アルゼンチンの2人の作家が、JMクッツェーのインタビューを受けている記事だ。現在オーストラリアに──最初はアデレード大学に、次にはシドニー大学に──滞在する2人の作家は、マリアナ・ディモプロス(1973年生)とアリエル・マグヌス(1975年生)。書いてまとめたのはクッツェーで、インタビューは7月に行われたとある。
 
クッツェーの最初の質問はこう始まる。

Balzac famously wrote that behind every great fortune lies a crime.
どの巨万の富の裏にも犯罪があるとバルザックが書いたことは有名だ。)

引用元のフランス語はこんな感じ。

Le secret des grandes fortunes sans cause apparente est un crime oublié, parce qu’il a été proprement fait.
明白な根拠のない巨万の富の裏には忘れられた犯罪が隠されている。なぜなら犯罪は適切に犯されたからだ。)

そしてクッツェーは次のように続ける。──One might similarly argue that behind every successful colonial venture lies a crime, a crime of dispossession.(おなじように人は、植民地的な大胆な試みが成功した裏には犯罪が、土地や富を奪ったという犯罪があると言うかもしれません。)

マリアナ・ディモプロス
 19世紀にバルザックが書いたことばが、長いあいだにさまざまに引用されて、クッツェーが冒頭に置いたかたちになっていったプロセスは、とりもなおさず、植民地主義による巨万の富がいかに形成されてきたかを自覚するヨーロッパ人(とその子孫たち)の認識の変化をあらわしているように思える。これは面白い。

 アルゼンチンは17世紀にスペイン人が入っていって先住の民を征服したコンキスタドーレスの時代、それ以後も独立してから「砂漠」と呼ばれた土地を奪っていったコンキスタの時代──これがいまあるアルゼンチンの文化/野蛮の基礎だとディモプロスは語る──といったことが、このインタビューを読むとわかる。

アリエル・マグヌス
 そんなアルゼンチンの歴史と、1976年から1983年代まで続いた軍政と、それに直接かかわった彼らの親世代を通して、2人の書くものにもその影響は影として浸透していると述べていく。
 さらに面白いのは、この2人の1970年代生まれの作家たちが、ドイツ語からスペイン語への翻訳をしている人たちだということ。とりわけ、ディモプロスはフランクフルト学派から影響を受けて翻訳をすすめ、また、マグヌスはボルヘスとライプニッツを絡めて修士論文を書いたそうだ。
 文学者たちはアルゼンチンの歴史をオーストラリアの歴史と絡めて、考え、見透し、作品と作家の再評価を行おうとしているようだ。横につながる「南の文学」が具体的に動き出しているのだ。

 日本も、ヨーロッパの帝国主義をまねて、短期間に領土拡大をしようとした時期があった。しかし、それ以前にも、着々と領土拡大は列島の南北に広げられ、北は「北海道」と名付けられていた。アイヌを追い出し、追い詰め、土地を奪っていった歴史が今年でちょうど150年だとか。tamed and renamed(飼い馴らして改名した) プロセス。わたしもその歴史上の一点に生まれ落ちた。
 北海道のほとんどの地名がアイヌ語由来であること、それが何を意味するか、じっくり考えてみたいと、あらためて思う。

 とにかく、オーストラリアとアルゼンチンを「文学」でつなぐ、とても面白い記事だ。おすすめ!

*****
付記:Other ways of sayings という記事のタイトルは、クッツェーが「culture」という語を嫌って、その代わりによく使う表現:a way of living と響き合うものです。
「他の語り方」と一応、訳しましたが、「語るための他の方法」とか、「他の語りの方法」といろいろ訳はあてられるでしょうか。言い方には別の方法がある、というか、見方を変えれば、というニュアンスもここには含まれていそうな気がします。

2018/08/18

アレサ・フランクリンを偲んで

アレサ・フランクリンの訃報。享年76歳。
ブラック・パンサーのアンジェラ・デイヴィスに対して、危険をかえりみず、いち早く支持を表明したシンガーのひとりだったと、トレヴァー・ノアが言っていた。すごい才能のあるビジネスウーマンだったとも。ギャラは必ず、前払いで、現金で受け取ったと。中間にピンハネされないために。きっと苦い体験から学んだ結果なんだろうな。やるな、アレサ!



Chain of the Fools ── アレサ・フランクリン

Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
(Chain of fools)
For five long years
I thought you were my man
But I found out, I'm just a link in your chain
Oh, you got me where you want me
I ain't nothin' but your fool
Ya treated me mean
Oh you treated me cruel
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain
Chain of fools)
Every chain, has got a weak link
I might be weak child, but I'll give you strength
Oh, babe
(Woo, woo, woo, woo)
You told me to leave you alone
(Ooo, ooo, ooo, ooo)
My father said 'Come on home'
(Ooo, ooo, ooo, ooo)
My doctor said 'Take it easy'
(Ooo, ooo, ooo, ooo)
Oh but your lovin is just too strong
(Ooo, ooo, ooo, ooo)
I'm added to your
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain of fools
Oh, one of these mornings
The chain is gonna break
But up until the day
I'm gonna take all I can take, oh babe
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
(Chain of fools)
Oh!
(Chain, chain, chain, chain, chain, chain, chain)
(Chain, chain, chain)
Oh-oh!
(Chain, chain, chain, -ain, ain, ain, ain)
Your chain of fools
ソングライター: Don Covay / Donald Covay
Chain of Fools 歌詞 © Warner/Chappell Music, Inc, Springtime Music Inc

2018/08/17

日経プロムナード第7回 クスクスの謎

金曜日の午後、日経新聞のプロムナードに第7回を書きました。

 クスクスの謎

 マグレブ料理をめぐる記憶の連鎖、あっちへ行ったりこっちへ来たり。最後はやっぱり翻訳をめぐる話に落ち着きました。

 先日、猛暑のなか、下北沢で食べたクスクスはおいしかったなあ。大勢でいっしょにわいわい食べて飲んで。でも、何度も行ったお店なのに、ひとりで行くとどういうわけか誰もが迷う。これもまたクスクスをめぐる謎のひとつだ。

*****
後日譚をひとつ。
コラムを読んだMさんから、こんなコメントをいただきました。

「クスクスのつぶつぶが粟だというのはパリで知り合った囲碁の先生のムッシューリムから聞いた話です。
 私たちが行ったのはモンパルナスのクスクス店だったと思いますが、これも最初ムッシューリムが案内してれた店です。彼によれば、もともとアフリカの郷土料理だったときは粟だったものを、ヨーロッパに持ってくるときに小麦の加工品に変えたというのです。その受け売りでいい加減な──

 いえいえ、面白い展開になったわけですから、ムッシューリムさんにも感謝です!
 でも、70年代のパリはいまと違って、マグレブ出身の人たちはまだまだ少数派でしたよねえ。現在のパリはがらりと変わって、ヨーロッパ系の人より、アジア、アフリカ、カリブ地域の出身者、そしてその子供たちが圧倒的な存在になっていると聞きます。クスクスもしっかり、美味しく食べられるはずです。

2018/08/15

京都新聞の書評:クッツェー『モラルの話』

1945年8月15日の敗戦から73年。


共同通信配信、京都新聞に掲載された J・M・クッツェー『モラルの話』の書評全文をここに貼り付けます。
評者は谷崎由依さん。
 
言葉は内側の暴力へ向かって

 この評は、ずいぶん多くの新聞に掲載されました。
「女性が主人公の作品ばかりなのに、むしろ気づくと男性性について考えさせられている」というのは、この作品の特徴をいいあてている重要な指摘です。
 戦後73年にして、この国のありさまを考えるために、ある意味、非常に役に立つかもしれません。

2018/08/11

ダブル書評の日

中村和恵さんの評
J・M・クッツェー『モラルの話』の書評が、日経新聞朝日新聞に掲載されました。評者は日経が中村和恵さん、朝日が都甲幸治さん。

 それぞれ深く読み込んで、噛み砕き、この作品の魅力を丁寧に伝えてくれる評です。

都甲幸治さんの評
2人の評者がこの本を読んで、それを自分の身体をぐぐらせて評することに費やした真剣なエネルギーと、なみなみならぬ心意気がびんびん伝わってくる文章で、ものすごく心に響きます。本読みの達人ならではの評です。

 共同通信配信の両面から補完するような2つの評、図書新聞の専門家ならではの細やかな評、そして今回の力のこもったダブル書評。日本語社会でいまもっとも必要とされていると思える「文学の底力」を見せてくれるこの『モラルの話』は、その魅力をさまざまに伝える書評にめぐまれました。

 本当に嬉しいです。読む人あっての翻訳ですから。短い期間内に、苦労して訳した甲斐がありました。訳者冥利につきます。


   Muchas gracias!
   Merci beaucoup!

2018/08/10

日経プロムナード第6回「紙とPDF」

日経プロムナードも8月に入って2回目です。

 紙とPDF


肩書きが「翻訳家」なので、つい、翻訳にまつわる話が多くなり、そうすると、つい、J・M・クッツェーが絡んでくる。これはもう自然というか、必然というか。
 翻訳をはじめたころはまだ紙が主流だった。小型のワープロはまだなかった。ワープロなるものはあっても、巨大な四角い大げさなものだった。それから30年あまりで、いまや iPad やらスマホやら。

 すぐに忘れてしまいそうなことを、自分にとっても記録として残しておきたい──そう思い立って書いているうちに、マシンと人の流れを追っていた。ワープロから小型パソコンへ移り、原稿用紙やタイプスクリプトからPDFへ激変する翻訳現場について、すこし調べた。いろいろ考えてしまった。

 あれこれ思い出しながら考えていると、浮上してきた J・M・クッツェーの『鉄の時代』をめぐるエピソード。あれは忘れがたい。いまでもあのときの作家の笑顔が、ありありと目に浮かんでくる。2007年12月初旬。
 東京の冬は寒いでしょ? とたずねると、いや、穏やかな(gentle とルビ)冬ですよ、と答えたジョン・クッツェー。その声が耳元で響く。

2018/08/03

老いゆく中での自由──『モラルの話』の実にしなやかな評が載りました

 J・M・クッツェー『モラルの話』の書評が神戸新聞、琉球新報に掲載されました。評者は共同通信の田村文さん。親と子の関係を中心に据えるしなやかなアプローチで、この本の重要ポイントをきっちりと、過不足なく伝えてくれます。

 情緒や干渉を排した筆致と、透徹した視線で綴られた物語を読みながら、背筋がどんどん伸びていく。哲学的な思考と物語の融合の先に、人間のモラルと生の意味がほの見える。

 という結びがばっちり。「背筋がどんどん伸びていく」というところが、いいなあと。クッツェーという作家のすごさを十二分に理解した人ならではの表現かも。

 あ、それからヘレンとジョンが母エリザベスにいっしょに住もうといって断られるところで、「娘と息子とのエゴがじわじわとにじんでくる」と書く視線の鋭さ。「そして頑迷ゆえに老いを受け入れようとしないようにみえるコステロの抵抗の背後から、深い孤独が浮き上がってくる」と、てらいのない平明なことばで、クッツェーが書きたかった(と思われる)ポイントをじわりと浮上させます。
 
 全文はこちらで読めます。ぜひ!

日経プロムナード第5回「ニーナ・シモン」

 1973年10月に初来日したニーナ・シモン。
 ニーナ・シモンの舞台の迫力は、それまで「ジャズでなければ、絶対にジャズよ!」といっていた若い学生にとって、頭から冷水をかけられるような体験だった。

 日経新聞の金曜プロムナード。今回はニーナ・シモンについて。1960年代に米国で血を流しながら戦われた黒人たちの公民権運動、そのディーヴァだったニーナ・シモン。

 今日のコラムでも書いた、わたしのイチオシ、「ブラウン・ベイビー」の歌詞を貼り付けておこう。

 61年録音のアルバム「ニーナ・シモン・アット・ザ・ヴィレッジ・ゲイト」に収録されている。
 最後の一連の「この手には決して入らなかったものをおまえが手にするようになると嬉しいねえ」というところで、いつも涙がでてくる。ニーナの絶唱です。

 YOUTUBEでも、すぐに見つかるので、ぜひ!

Brown Baby

Brown baby brown baby
As you grow up I want you to drink from the plenty cup
I want you to stand up tall and proud
And I want you to speak up clear and loud
Brown baby brown baby brown baby

As years go by I want you to go with your head up high
I want you to live by the justice code
And I want you to walk down freedom's road
You little brown baby

So lie away lie away sleeping lie away singing
Lie away sleeping lie away safe in my arms
Till your daddy and you mama protect you
And keep you safe from harm
Brown baby

It makes me glad you gonna have things that I never had
When out of men's heart all hate is hurled
Sweetie you gonna live in a better world
Brown baby brown baby brown baby

ソングライター: Oscar Brown Jr.
Brown Baby 歌詞 © Cmg Worldwide Inc