2018/05/30

ビルバオで語るJ・M・クッツェー

5月29日、バスクのビルバオでのイベントのようすがアップされています。J・M・クッツェーとソレダード・コスタンティーニが英語とスペイン語で交互に「ガラスの食肉処理場」から朗読し、そのあと対話がつづきます。
 クッツェーの仕事の集大成のような新作『モラルの話』について、その背景を作家みずからが述べて、周到に準備されたアルゼンチンの編集者の質問に答えるかたちで、率直に、明快なことばで、自分の作家活動について語ります。

(ここには英語バージョンをアップしますが、バスク語、スペイン語の同時通訳バージョンもあります。)



 興味深いのは、7歳のとき初めて考えたという「集団と個人の関係」について(ヘイトについて)ですが、これは1940-50年代のアパルトヘイト時代に南アフリカで生育した体験と深く関係があること。人はなんに基づいて、ある人を憎み、ある人を愛するのか。
 あるいはムージルという作家がクッツェーにとってどういいう位置にあるか。また、植民地主義の歴史と現代に生きる人間のことなども含めて、読者と書くことにも鋭い光があたります。どれも分かりやすい表現で、非常に重要なことを述べる、クッツェーならではの発言でしょうか。
その結果、聞き手のなかに、とても深く、しかも、核心にまっすぐ近づきながら「熟考する場」を醸し出す対話になっています。おすすめです!

2018.5 Azkuna Zentroaで
 JC・カンネメイヤーが書いたクッツェーの伝記をぱらぱらみると、クッツェーがスペインでのイベントを断ったのは2000年だったと出てきました。『少年時代』と『青年時代』がスペイン語訳されて、そのプロモーションに出版社からマドリッドへ招かれ、南アフリカ大使館もそれに合わせて歓迎レセプションを計画していたらしい。でも、インタビュー嫌いのクッツェーは、じっと一箇所に座って次から次へとおなじ質問をされるなんてまっぴら、と断ったというのです。(しかし、年譜をみると原著のYouth が出たのは2002年、Boyhood が出たのが1997年。2000年に両方の著書がスペイン語訳になる、というのはどうも事実と符合しません。カンネメイヤーの伝記は編集やファクトチェックをする前に著者自身が他界してしまったので、年代や事実関係にこの手の誤記が残っているのが難点ですね!)

 それから18年後。オーストラリアへ移住した翌年ノーベル文学賞を受賞して、時代も変わり、作家を取り巻く状況も変化して、今回は明確な目的があってのスペイン訪問であることが、クッツェーの話からひしひしと伝わってきます。

2018/05/28

6月9日にイベント──J・M・クッツェー『モラルの話』刊行記念

J・M・クッツェー『モラルの話』の日本語訳(人文書院)がついに発売になりました。さっそくイベントのお知らせです。

日時:6月9日(土)午後3時から
場所:下北沢のB&B

第3回「境界から響く声達」読書会
J.M.クッツェーをくぼたのぞみさんと読む 

  都甲幸治 ×くぼたのぞみ 

   詳しくはこちらへ!


 都甲幸治さんとクッツェーの話をするのは、2014年夏の自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代』(インスクリプト)の刊行記念の会と、2015初夏に新宿紀伊国屋南口店で開かれた『マイケル・K』の岩波文庫化記念トークにつづいて3度目です。
 今回は都甲さんが主役で、「境界から響く声達」という英語圏文学を読んでいく読書会に誘っていただきました。シリーズの第3回。
 カリブ海から始まり、チカーナ文学へ進んだこのシリーズ、今回の『モラルの話』は舞台がオーストラリア、フランス、スペインですが、クッツェーの出身地は南アフリカ。ここ数年のこの作家の行動範囲を考えると、3つの大陸を、北を介さずに横に結びながら、アメリカスはラテンアメリカまで延長。

  クッツェーが提唱する「南の文学」活動とその趣旨については、このブログでも何度か触れてきましたが、この『モラルの話』は5月17日にまずスペイン語で出ました。彼の第一言語である「英語ではない」というところが決め手です。アルゼンチンの編集者と翻訳家の仕事であることも重要です。それを追いかけるように日本語訳が5月29日に出ましたが、この意味はこれから日本語読者が考えていくことになるでしょうか。

スペイン・ツアーの日程表
英語という大言語を批判するクッツェーは、英語が行く先々で小言語を押しつぶすやり方が好きではない、と1月にカルタヘナで明言しました。この身振りは5月末にスペインのどこでイベントをするかを見ると納得できます。まず首都マドリッドで2日間、そしてバスクのビルバオ、さらにカタルーニャのグラナダへ、という行程です。バスクは長いあいだ独立闘争をしてきた地域、カタルーニャはつい最近独立の住民投票の結果をスペイン本国が弾圧した土地です。
 
こうして、クッツェーは「北と南」というパラダイムを可視化させながら、「南の文学」を「las literaturas del sur」と表現します。あくまで複数形です。「グローバル・サウスの文学」とひとくくりにせずに、個々の地域の、個々の言語による複数の文学を可視化させようとします。スペイン国内の北と南にも光をあてている。バスク語とカタルーニャ語はスペイン語(カスティーヤ語)とは異なる言語ですから。そこは要注意!
イベントでクッツェー自身が語るメッセージがどんなものだったか、Google でもtwitter でもキーワードを入れると即座に写真入りでリンク先が出て来ます。多くのスペイン語の雑誌や新聞が伝えていますので、ぜひ! Google訳でもヨーロッパ言語間なら、まあ、意味は把握できる!

2018.5 Madrid
「世界」というとき、人は何をイメージするでしょう? 「世界文学」というときはどんな作家や詩人の作品をイメージするでしょう? その「世界」のなかに日本語文学はいったい、入るのか、入らないのか? クッツェーは常に刺激的な視点を指し示してくれます。そして、結論は各自で出しなさい、と突き放します。ここがキモですネ。    

2018/05/22

Siete cuentos morales と『モラルの話』がいっしょに届いた!

 ピンポーンと音がして、出てみると宅配にきてくれた女性がふたつ小包を持っています。これ、まちがいないでしょうか? と差し出された薄いパッケージは Amazon es に注文してあったクッツェー最新作のスペイン語訳"Siete cuentos morales"。もうひとつ、それよりやや厚めの小包が、できたてほやほやの見本版、拙訳『モラルの話』でした。


スペイン語版と日本語版が、なかよくいっしょに届いてしまった!
というわけで、さっそくならんで記念写真!


2018/05/20

2015年5月のMALBAでのクッツェー

ここ数日、2014年からはじまったクッツェーの南アメリカ諸国への探訪について調べていた。2015年のブエノスアイレスでの動画を備忘のためにここに貼り付けておく。これもまた、アナ・カズミ・スタールとの対話だ。


MALBA:2015年5月8日に公開されたもの(この動画は2015年4月7-17日「南の文学 第一回」と重なるはず)。




2018/05/14

サンドラ・シスネロス『マンゴー通り』発売です!

今朝とどいたばかりの見本 (5.15追記)
サンドラ・シスネロス『マンゴー通り、ときどきさよなら』が白水社のUブックスから可愛い本になって、5月18日に発売です。

その刊行を記念して、B&Bで6月16日(土)午後3時から、豪華ゲストを迎えてイベントをやります。

今の日本で光を放つ、移民文学の魅力

🌟ゲストは、金原瑞人さん、温又柔さん🌟

 
 あまり手を入れないつもりだったけれど、見直してちょっと赤が入ったのは「三人の姉妹」だった。主人公エスペランサの友達ルーシーの家の赤ん坊が死んでしまい、8月に吹く風といっしょにお弔いにやってきた三人のコマードレスたちが出てくる章。
 浮き世ばなれしている三人は、月のひとだったのかもしれない。ひとりはブリキ缶のような笑い声を、ひとりは猫のような目を、もうひとりは磁器のような手をしていた。そんなおば(あ)さんたちが、エスペランサに向かって、ちょっとこっちへおいで、という。チューインガムをくれて、彼女の手をじっと見るのだ。そして、この子はとっても遠くまで行くね、といった。そのおばあさんたちの口調をちょっと変えた。
 初訳は「いかにも、おばあさん」といった口調になった。訳したのは40代の半ばで、まだおばあさんではなかったから😅😊、それまで読んだ本のなかに出てきた「いかにも、おばあさん」ふうに訳した。よく考えたら、当時だって、いまだって、60歳でも70歳でも、だれもこんなふうに話をする人はいないかも、と気付いてしまった。いまや訳者も68歳、しっかりおばあさんの年齢だが、ちっともこんなしゃべりかたをしていないじゃないか。
 なぜ、「いかにも、おばあさん」口調であのとき訳したんだろ? きっと、おばあさんとはこういうもの、とそれまで読んだ本からインプットされていたのだ。どんな本かって? ちいさいころに読んだ児童文学。たぶん、翻訳された児童文学。そのなかに出てくるおばあさんに無意識に似せてしまったのかも。あるいは日本昔ばなし?

 これは、それほど昔の話ではない。つい50年ほど前のシカゴの話だ。だったらリアルに訳そう。そこで、できるだけいまの68歳がしゃべるような口調にした。でも、12歳のエスペランサにとっては、得体の知れないコマードレスたちだから、その得体の知れなさはしっかり残したい。でも、ステレオタイプはやめようと。

 その三人のコマードレスはこんなふうにいうのだ。

「出ていくときはね、……忘れずに帰ってくるんだよ。あんたのように簡単には出ていけない人たちのために」

 何度、読み直しても、訳者はここで涙ぐんでしまうのだけれど。

 

2018/05/06

第7回 CÁTEDRA COETZEE「南の文学」ラウンドテーブル

撮影:Pablo Carrera Oser
「北は、エキゾチックな味付けをしていない南のストーリーには興味をもたない」

2018年4月24日、サンマルティン大学で学生が見まもるなかで行われた第七回「南の文学」ラウンドテーブルのようすが動画になった。過去3年間に6回にわたる講義そのものは終わったが、これまでの経緯や目的などをまとめるラウンドテーブル!まず「世界を読む」プログラムのディレクター、マリオ・グレコが挨拶。参加者はアルゼンチンから3人の作家・翻訳家だ。作家・翻訳家のマリアナ・ディモプロス、作家のペドロ・マイラルと、ファビアン・マルティネス・スィカルディ。ビデオメッセージとして出てくるニコラス・ジョーズはアデレードから、アンキー・クロッホはケープタウンからだろう。そして「南の文学」のチェア、JMクッツェーとそのコーディネーター、アナ・カズミ・スタール。
 クッツェーの発言は12分15秒あたりからで、まずスペイン語で感謝を述べ、14分10秒あたりから英語で17分ほどスピーチをする!

















 まず、これまでの6回にわたる南の文学講座の個別のテーマを振り返り、そこに招待した作家、編集者、出版者、ディレクター、シナリオライターの名前をあげていく。その果実としてアルゼンチンではオーストラリアの、オーストラリアではアルゼンチンの作家の作品が翻訳されたり、作家を招聘したりしたことも。

 クッツェーの話ががぜん面白くなるのはそこからだ。

 クッツェーはメッセージのなかで、アフリカの架空の国アシャンテを想定し、そこで起きた事件をめぐって北と南の力関係を指摘する。BBCやCNNといった北のジャーナリズムが派遣する特派員のリポートと現地のジャーナリストが発するテクストの違い、北と南のそれぞれ個別の事情をめぐる言語化の例をあげて、北と南をめぐるパラダイムを可視化しようとするのだ。たとえば現地記者のリポートは現地の細かな情報をふんだんに盛るが、北側の視聴者はそんな詳細には興味はない。文学も似ていて、北が南の物語を決めるとすればそれは南とは無縁の物語となる。翻訳またしかりで、南の文学が北で翻訳されて出版されると、編集者がここで読者を獲得できると感じるものによって、結果は南とは無縁のものとなる南アフリカやオーストラリアの作家の書くものでどこが面白いか、その評価を最終的に定めるのはロンドンとニューヨークなのだと述べる。(付記:しかしアシャンテ国内のメディアが統制されているとき、全体像を知るためには北のメディアにアプローチせざるを得ない状況があるとしたら、、、と視点の転換をうながして考えることをクッツェーは忘れない。)(これらはあくまで筆者のおおまかな、それもごく一部分のまとめですのであしからず。)

 アルゼンチンのスペイン語文学については、英語圏ほど北との緊密なつながりがないと。そこにクッツェーは希望を見つけようとしているのだろうか。これは巷でかしましく論じられる「世界文学」がどういう指向性をもっているか、もっと俯瞰して再考をうながす視点だと思う。これまでの講義は、北のメトロポリスを介さず、南と南が直接触れ合うことで実施された、そのことの意味を考える。南の地域は北側と動物相や植物相が異なるだけでなく、共通するのは植民地化の歴史と文化であり、無人であると北がみなした土地であり、、、

 クッツェーは自分が「グローバル・サウス」という言い方をしないことに注目してほしいと述べる。北はそう呼ぶことで南の抽象的なストーリーを作りあげる。すこしだけエキゾチックなテイストを加味した作品をよしとして、北の読者が満足しそうなストーリーを出版する。南の作家は、どうしたら北側に受け入れられるかを考えて、その門をくぐるためにエキゾチシズムを含めて書くようになってしまう。
 そんなふうにロンドンやニューヨークの出版社が指導権を握るあり方をクッツェーは根底的に批判し、自分たちを中心に考えてまったく疑わない北側のヘゲモニーへの抵抗を宣言する。そして、北を介さずに南どうしがやりとりする場を3年にわたってアルゼンチンで設ける試みをしたのだ。
 これは英語をめぐる1月末の「カルタヘナでのスピーチ」と対をなすものだろう。

 北側の覇権に抵抗する具体的行動として、クッツェーは自分の最新作を、英語ではなく、まずスペイン語でSiete cuentos morales として出した。日本語でも5月31日に『モラルの話』(人文書院)として出る。(編集担当者Aさんと訳者が、がんばりました。)

 結果として、そこでまた大きな宿題を抱え込むことになったが。およそ「モラル」と呼べる社会規範を支える言語体系の根幹にひびが入ってしまったかに見えるこの日本語社会で、この日本語の『モラルの話』がどのような意味をもつか、ということだが、それはまた別の機会に。

***
2019.11.8──付記。

先日こんな世界地図を見つけたのでアップしておく。地球を「北と南」に分けるのは地理的な「赤道」ではなく、社会学的な抽象概念による、と指摘するクッツェーの論はこの地図を見るとよく理解できる。赤い部分がいわゆる「グローバルサウス」なのだろう。



2018/05/01

ジョン・クッツェーとポール・オースターがふたたび

昨日、4月30日にブエノスアイレスのMALBAで、J・M・クッツェー、ポール・オースター、そしてソレダード・コスタンティーニとアナ・カズミ・スタールが舞台に。早々と動画がアップされたので、シェアします! よく響くオースターの低い声に、ひかえ目でハスキーなクッツェーの声。



 アルゼンチンとの関わりから始まる一般的な話題、そしてドキュメンタリー、映画、音楽などにふれながら、友情についてと話は進みます。とりわけオースターとクッツェーがやりとりした手紙で構成された『ヒア・アンド・ナウ』の内容に少し突っ込んだ質問が出てきて、率直なやりとりがありますが、どこか知ってる話だなあとも。
スタールがジョンに英語について質問します──手紙を書いているときも英語は自分の言語ではないような気がしますか? それに対してクッツェーは自分の英語との関係はどんどんアンハッピーなものになっていく。オースターはどうか、という質問に、延々と英語の歴史を語るオースター。自分はラッキーだったと最後にまとめる。
 話題はもっぱら二人の往復書簡から、ですね。全体に、カテドラ・クッツェーの発表時の緊張感にくらべると、なんともゆるい会話(笑)。