2017/12/31

良い年をお迎えください!

今年の最後はふたたびこの曲でお別れです! 英語の字幕もついてます。




2017/12/30

白い濁り湯にひたる愉楽──木村友祐『幸福な水夫』

木村友祐『幸福な水夫』(未来社刊 2017)

 師走もおしせまった日に届いた、凝った装丁の『幸福な水夫』をはらりと開いて、つい読みふけってしまった。八戸から恐山をぬけて、老父と中年にさしかかった息子2人が温泉まで旅する物語は、最初から微温の湯に入る感覚で、どこかに思わぬ仕掛けが埋め込まれているかもなどと緊張せずに、安心して読みすすめられる。そこがいい。
 登場人物の人間関係がなんともマッチョな「男の世界」だけれど、人肌が感じられる下北弁での会話はどこか懐かしく、背後に戦後日本の時間の流れや、物語を加速させる叶わなかった父の恋を埋め込んだ物語としても楽しめる。

 ひなびた温泉旅館のスナックで、都会からやってきて、標準語で話してもらわないとわからない、と冷笑的にいう男たちに向かって、主人公があびせることば:下北では下北弁が標準語だ! がメトロポリスに抗する地方の力学を見事に描いていて、圧巻。
 どこまでも理知的な技巧を凝らしたクッツェーの作品のあとに読むと、肩の力がふいに抜けて、白い濁り湯にひたる気分になるのは、温泉に入りながら都会暮らしの緊張をほぐす主人公だけではない。荒っぽい男たちのことばの陰に埋め込まれた、田舎の土地が養う朴訥さに、まっすぐ反応する自分がいることを再確認させてくれる作品だった。

 ひと足お先におせち料理をいただいたような気分。ひょっとして、いろいろ心が挫けそうなことの多かった年の瀬に読むにはふさわしいかも。凝った装丁本は限定1500部!

2017/12/27

パリジェンヌ展/世田谷美術館

さあ、来年のイベントです!

 年明け早々の1月13日から、世田谷美術館で「パリジェンヌ展」がはじまります。ボストン美術館からやってくる美術品の数々が展示され、それが「1715年から1965年までの、文化の首都で描かれた女性たちのポートレート」とはまた、興味津々です。


所蔵がボストン美術館というところが面白い。つまり、アメリカ東部にもっとも古くから建設された都市ボストンが所蔵してきた「パリ」をめぐるあれこれなんです。

 新世界の植民地アメリカがイギリスと戦争をして独立したのが1776年、そのアメリカがヨーロッパ、とりわけフランスの「文化の首都」をどう見てきたか、独立の少し前から20世紀半ばまでの、彼の地への屈折した「あこがれ」の視線がどうあらわれているか。そしてそれは、とりもなおさず、東アジアにある日本社会が近代以降、追いかけてきたヨーロッパへの憧れの視線と重複するのかしないのか。これはもう見どころ、考えどころがたっぷりありそうです。

 イベントもいくつか開かれ、光栄にも、『鏡のなかのボードレール』の筆者にもお声がかかりました。2月24日のトーク・イベントに顔を出します。

 <褐色の肌のパリジェンヌ──エキゾティシズムが生んだミューズたち>
  2月24日(土曜日)14:00~15:00 世田谷美術館講堂
  話:くぼたのぞみ、聞き手:キュレーターの塚田美紀さん、です。
 
 19世紀最大のロマン派詩人といわれるボードレールのミューズ、ジャンヌ・デュヴァルは褐色の肌をした女性でした。時代が下って、アメリカで徹底的な差別を受けたミズーリ州セントルイス生まれのジョセフィン・ベイカーは、パリへ渡って大成功をおさめたアフリカン・アメリカンの女性。そのベイカーが「エキゾティシズム」による「美のオブジェ」として、当時のパリでいったいどんなパフォーマンスをしたか、やらされたか。
 彼女は「ブラック・ヴィーナス」の異名をとり、最後はフランス国葬になりました。そんなベイカーの姿もこの展覧会には姿を見せています。

 詳しくはこちらへ!

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メモ:ボストンは1630年にイングランドから来た清教徒たちの手によって築かれた古い町。そのボストンで起きた茶会事件をきっかけに、アメリカが独立戦争を経て宗主国イギリスから独立したのが1776年。フランスの植民地だったルイジアナをナポレオン・ボナパルトから破格の値段で買い取ったのが1803年。奴隷制度を廃止したのは南北戦争(1861~65)後の1865年とされるが、実際の差別は延々と残り、南部ではリンチが後を絶たず、1960年代の公民権運動、ブラックパンサーの運動、アファーマティヴアクションなどで徐々に改善されてきたとはいえ、負の遺産はいまも続く。

2017/12/24

ショパンでメリー・クリスマス!

Joyeux Noël! Merry Christmas!

子供のころは生木に綿をのせて飾ったクリスマスツリー、自分が親になったらこっそりプレゼントを買っておいて、さてどこにしまっておこうかと頭を悩ませたクリスマス。楽しかったことばかり思い出すクリスマスだけれど、すでに子供たちは成人済み。
 さて、今年のクリスマスはどんなふうに過ごそうか。いつもおなじメニューのクリスマス・ディナーを作ることは決まっているし、リースもドアに飾ってあるし、仕事も一段落したし……



 ふとKさんのブログで、ショパンのピアノコンチェルト第1番の動画を見つける。懐かしい。学生時代に短期間メンバーだったオーケストラで演奏した曲だ。これはショパンの生地ポーランドのラジオ室内楽団と、緋色のドレスを着たオルガ・シェプスのピアノ。モスクワ生まれのピアニストらしい。

 ショパンは、若いころは「あますぎる」と避けたけれど、70年代に出たポリーニは針が飛ぶほどの勢いのあるLPを買って聴いた。50歳をすぎたころからは、お砂糖のような優しいアシュケナージを何枚も買い込み、肩こりをとるために(!!!)取っ替え引っ替えかけていたことがある。最近はまた聴かなくなっていた。

 ショパンはある年齢をすぎるとまたよくなる、というのは本当だ。ロマン派の作品を批判する視点を身につけてから、ふたたび、人生も晩年に近づくと、この「あまさ」に身を委ねる心地よさを welcome! したくなる瞬間があるものだ。詩はそうはいかないけれど、音楽は無条件にwelcome!
 しかしどこまでも、ときどき、ときたま、である。ふだんは、日常的にはやはりバッハでしょう。フランス組曲とかね。先日もグールドのフランス組曲第2番をOLの通勤のためにコピーしたばかりだった。
 では、あまいながらも凛としたショパンで:

 メリー・クリスマス!


2017/12/23

今年をふりかえる

2017年も残りわずか。備忘のために今年の仕事をふりかえっておこう。

 1月 昨年から引き続き、JMクッツェー『ダスクランズ』の翻訳、こつこつ。
 2月 『ダスクランズ』訳了。はあ〜〜〜!脱力。 アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』の初校。
 We=男も女も、にした理由。まだまだ、まだっ💢!
 ミア・コウト『フランジパニの露台』第1章「死んだ男の夢」(すばる)のゲラ。「白い肉体、黒い魂」のミア・コウト恐るべし。

 3月 『ダスクランズ』の解説「JMクッツェーと終わりなき自問」を書く。
   寝ても覚めても『ダスクランズ』──助けて〜!
   アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』の再校ゲラ。
   デイヴィッド・アトウェル来日、駒場で2日間、読書会、レクチャーと討論。
   (渋谷近くの居酒屋で、いやあ南アの80〜90年代は大変な時代だったねえ!
    現在のANCは……と嘆き合う。)
 4月 『ダスクランズ』の解説に手を入れる。キリがないほど何度も。
   「早稲田文学女性号」のためにアディーチェ「イジェアウェレ」を訳す。
   『ダスクランズ』の解説、完成。JMクッツェーのこれまでの仕事を俯瞰。
 5月 「たそ、かれ、ボードレール」を「すばる」に書く。
   70年代初頭の記憶が迫ってくる。
   ジャン・ミシェル・ラバテの講演(クッツェー作品の精神分析的研究)。
   「イジェアウェレ」訳了。子育てはやってみなけりゃわからないヨ!
 6月 『ダスクランズ』の初校ゲラ。これもまた手強い。
 7月 メアリー・ワトソン「ユングフラウ」(すばる)訳す。高密度の短編。
   『ダスクランズ』再校ゲラ。すっきりしてきた。
   Slow Philosophy of J.M.Coetzee の著者、ヤン・ヴィレムの講演。
   (「クッツェーと翻訳」について、滅法面白かった)。
 8月 「ユングフラウ」解説書く。メアリー・ワトソンはケープタウン大学卒。
   大学院でクッツェーも参加したブリンクの授業を受けた人。
   『ダスクランズ』最後の読み。すごい迫力でやりとり。完成!
 9月  アミラ・ハス来日。存在感に圧倒される。
   『パレスチナから報告します』復刊したい。
   『ダスクランズ』刊行! 
10月 資料と書籍類の整理。LPの断捨離。読書。大事な本が消えた😭。
11月 新たに翻訳開始。仕事してるのがいちばん落ち着く。
12月 80年代のシンプルなクリスマス・リースをサツキの茂みに絡みついてた
   蔓と実でカスタマイズ。

なんか他にもあったなあ。日経の書評(ガエル・ファイユ『ちいさな国で』)とか、ENGLISH JOURNALのコラム(アディーチェのスピーチをめぐり)とか、5月には『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』刊行記念の、B&B(星野智幸さん、お世話になりました!)や神田でのイベント(朝日のディアガールズのみなさんと!)とか、あれやこれや!
 去年はアディーチェ『アメリカーナ』の分厚いゲラと格闘しながら『鏡のなかのボードレール』も刊行したけど、今年は複数のことが同時進行して、次から次へとスケジュール表みながら動いた。来年はもう少しのんびり行きたいなあ。でも、しょっぱなから獰猛な「犬」に吠えられそうだ💦💦!

 そうだった、来年の干支は「犬」だよ。ひやあ〜。

2017/12/21

2010年5月アムステルダムで朗読するクッツェー

10年ほど前に友人からすすめられて始めたこのブログだが、今日ほど、これは便利と思ったことはなかった。自分でも忘れている情報が、キーワードを入れるととすぐに見つかる。ググっても簡単に出てこないリンク先や、写真、記事の要約、あるいはそれがいつごろの出来事だったか、といった情報への手がかりがしっかり残っているのだ。
 何冊ファイルがあっても、さて、どこに入れたか、ぱらぱらとやっているうちに見逃したり、異なるファイルを探していたり、情報量が増えるにつれて記憶があやふやになったり、書いた自分が忘れているようなことも、ブログで探すと手がかりが見つかる。これは本当に助かる。



 たとえば、今日さがしていた情報のひとつはこれ↑。2010年にJMクッツェーが70歳になったとき、アムステルダムで開かれたイベントでなにが朗読されたか? クッツェーはこのイベントで二つの朗読をしたのだが、その動画はアムステルダムの開催地のサイトからは消えた。でもひとつだけ、ここで見ることができる。(2016年1月にもこのブログにアップされていた!😅)
 クッツェーはここでオランダ語で謝辞を述べ、それから2009年9月に出た『サマータイム』から「マルゴ」の章を朗読している。

 もうひとつの朗読は、エリザベス・コステロが出てくる短編で(こっちが本命!)、まだ活字になっていない。この短編の朗読は翌年2011年1月のジャイプールの動画があるにはあるが、音質が悪すぎてよく聞き取れないし、楽しめない。そのうちどこかに出るといいのだけれど──!

2017/12/10

張愛玲の『中国が愛を知ったころ』

張愛玲著 『中国が愛を知ったころ』濱田麻矢訳(岩波書店刊 2017)
この本を読んで確認できるのは、文学作品とは、張愛玲のようなその時代にとって先駆的な視線をもつ人によって書かれ、読まれ、それを出版するしないを決定するのが早かろうが遅かろうが、とにかく最後は出版されて、こういう本が好きという読者に読まれつづけ、支えられるという事実だ。そんなことをしみじみと思う本だ。歴史の時間と、その歴史のなかで翻弄される人たちと、地理的移動を、いまという時代から一気に俯瞰できる、そんな出版を心から歓迎する。
 それにしてもいい本だ。目新しい「自由恋愛」という概念とその内実を手探りする登場人物たちの葛藤が、湿気を含まない鋭い視線で語られていく。それでいて、その情景内に描かれる、ふくよかな匂い、鮮やかな色、にぎやかな音、細やかな観察眼。
 
 思えば、恋愛とは、性にまつわる人間の感情、思想のきわめて内密なやりとりにほかならない。家父長制度によって抑圧されてきた東アジア的人間集団から「個人」が生まれいずるかどうか、それはかつて「生みの苦しみ」が生じる場でもあったろう。「個人」としての感情のやりとり、性のやりとり、それが可能となる生そのものの「場」。それは個人と個人が対等に向き合おうとするき、それぞれの真摯さが試される場でもある。いまもそれは変わらない。
 自分が相手を大切に思うのとおなじように、相手も自分を大切に思ってほしい──それが恋愛の根底にはある。しかし。男は複数の女を一段下の人間として愛でる、それを可能にする富や力を「甲斐性」などと呼んだ時代に、張愛玲の描く人物たちは「それでも愛する」と高らかに宣言するのだ。

 作者、張愛玲の生年は1920年、3年前に他界した1919年生まれのわたしの母と1年違い。あの時代を、植民地化と戦争の時代を、偶然にも、かたや中国で(その後は米国で)、かたや日本の北端で生きた女たちではあるけれど、「自由恋愛」という一点において、彼女たちの生と性には共通するものがあるのではないか。そんな長い時間軸で生の現場を鋭く凝視させる作品集である。翻訳された日本語もいい。

2017/12/08

「犬」──J・M・クッツェーの新作短編

少し前に、雑誌 New Yorker のウェブサイトにアップされた、JMクッツェーの新作短編です。タイトルはその名もずばり「The Dog・犬」

 主人公が毎日通りかかる家に「猛犬に注意」とあるが、それが "Chien méchant"とフランス語で書かれている。つまり作品の舞台はフランスのどこか、ということだ。とにかく獰猛な犬で、彼女が自転車で通りかかるたびに吠えまくる。どうやら、ジャーマン・シェパードかロットワイラーらしい。ニューヨーカーのサイトに出てくる牙をむく、ごつい犬はロットワイラーなんだろうか? こんな感じ。すごい迫力。


とにかく、彼女の気配を感じ取るや、すかさず吠えまくる。そこで彼女は一計を案じて……。
 

2017/12/04

コラム2つ:アディーチェのスピーチ

コラムを2つ書きました。チママンダのスピーチをめぐって。


 掲載は、12月6日発売の『ENGLISH JOUNAL 1月号』です。このブログでもここで触れた、今年ウィリアムズ大学で行ったアディーチェのスピーチが載っています。コラムのタイトルは「注目の作家が発信するスリリングなことば」そして「変革の力をくれる知性と誠実さ」。

 アディーチェのスピーチは、トランプ大統領が現実のものとなってから、フェミニズムを超えてさらに明解に、さらに力強く、わかりやすい表現で、現代世界へ切り込んでいくようになりました。ナイジェリアは自分が育ったころは軍事独裁政権で、不正があっというまに日常になっていったと。それは違う! と声をあげないと、あっという間に人はその不正に慣れていくのだと。


 よかったらぜひ、ぱらぱらしてみてください!


2017/12/02

アミラ・ハスの番組:明日3日早朝、そして9日にも放映

9月末に来日したイスラエル人ジャーナリスト、アミラ・ハスを追って番組が作られ、明日3日早朝に放映されるようです。再放送は9日で、これは午後。いずれもEテレ。
 残念ながらわたしはTVをもっていないため、観ることができないけれど、どなたかDVDに録画してください(涙)。知人からまわってきたポスターを以下に貼り付けます。

*外側からパレスチナ/イスラエル問題を見る目には、彼女のことを「イスラエル人でありながらパレスチナに住んで……」と表現するほうが分かりやすいのかもしれませんが、彼女の著書『パレスチナから報告します』を訳した者としては、「イスラエル人であるからこそ」ということばのほうが、彼女の心情をより的確に伝えていると思っています。その違いを、考えてみてください。