2016/04/08

「第4回 世界文学・語圏横断ネットワーク研究集会」のために

明日は本郷で「第4回 世界文学・語圏横断ネットワーク研究集会」が開催されます。明日のプログラムのタイトルは「南の文学」。そこで思い出すのは、昨年のいまごろ

  メトロポリスと周辺──J・M・クッツェーたちの挑戦

というタイトルでブログを書いたことで、そこではクッツェーがアルゼンチンのサンマルティン大学で開催する「南の文学」講座のことを紹介しました。そのとき、明日のコーディネーターをなさる柳原孝敦さんらに助けていただいて紹介したクッツェーのインタビューを、参考までにここに再掲します。

4月と9月に開かれるこの「南の文学」講座は、今年も第三回目が今月末に開催されるようです。

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「われわれ(の文学)がマイナー文学であるという考えに抵抗しなければならない」

2003年にノーベル文学賞を受賞した南アフリカ生れの作家、JMクッツェーはすでに何度もこの地を訪れているが、今回はアルゼンチンのサンマルティン国立大学で開催されるセミナー「南の文学」のディレクターをつとめる。大学院の授業として開かれるこのセミナーは、アフリカ、オセアニア、南アメリカの文学を横につないで「南の文学」を創造する試みだ。今日から始まるセミナーではこの三つの地域から作家、研究者、教師、文藝批評家が一堂に会する。第一回はオーストラリアの文学に焦点をあてる。参加するのはゲイル・ジョーンズとニコラス・ジョーズ。

セミナーについて、クッツェーは「クラリン」誌の質問にメールで次のように答えている。

Q:南の文学に共通する基本的な要素とは何でしょうか?


JMC:それはまさに、われわれがこのセミナーで答えたいと思っていることです。これらの地域の作家と文学研究者どうしの繋がりはあまり強くはないので、そのため英語を使う世界への影響が、北から南へという方向になり、南から北へはあまりない。この位置関係を今回のセミナーによって覆すことが願いです。

Q:以前あなたは「スイス人が言うには、スイス人であることはマイナーな存在であることを運命づけられている」と書きました。それはオーストラリア人にも言えることでしょうか? 中心以外の文学で「マイナー」でいられずにすむ文学というのはありますか?

JMC:メトロポリスの出身でないかぎり、そして一般的に、北のメトロポリスのことを語らないかぎり「田舎者」であり「マイナー」であると運命づけられるという考えこそ、われわれが抵抗しなければならないものです。

Q:植民地であった点で共通しているオーストリアと南アフリカで、植民地化の影響の類似点と相違点は?

JMC:オーストラリアの文化的生活に、かつての植民地権力であった英国がおよぼした影響は、20世紀半ばまで強力なものでした。それ以降は英国に代わって、特にアメリカのポップカルチャーが文化モデルになりました。しかし、最良のオーストラリア人作家は独自の立場から、みずからの声で語るようになっています。

Q:オーストラリア文学は「エキゾチックな」文学に含まれるのでしょうか? それともアルゼンチンのようにそれを拒否するのでしょうか?

JMC:世界文学(ここでは単一の「世界文学」ではなくて「世界のいろいろな文学」のニュアンス)というのは結局、北の大都市以外のところから出てくる文学を指す婉曲語法なので、オーストラリア文学も世界文学の一員であるなどと考える以前に、北のメトロポリスの文学とそうでない文学(地方的でマイナーな文学とされるもの)を区別する必要があるでしょう。

Q:中央と周辺という考えは、ヨーロッパの危機とグローバリゼーションと再定義してもいいでしょうか?


JMC:それは厄介な質問です。グローバリゼーションとは概念として、中央と周辺のあいだの対立を超越するもののように見えながら、実際は「北」がみずからを中心と見なし「南」を周辺と見なしています。