2016/02/18

キルメン・ウリベの『ムシェ──小さな英雄の物語』

遅ればせながら、キルメン・ウリべの『ムシェ──小さな英雄の物語』(金子奈美訳 白水社刊)を読んでいる。
 これはある種のファクツ・フィクション。すでにあちこちに書評が載って、高い評価をえている作品なので、内容の紹介はそちらにゆずって、ページを開いてまず感じるのは、日本語としての安定したリズムだ。
 前作の『ビルバオ──ニューヨーク──ビルバオ』ですでに、文体の確かさついては指摘されていたけれど、今回は前作に増してことばづかいに磨きがかかったようだ。アトランダムに開いたページを少し書き出してみようか。
 たとえばこんな箇所:

 ロベールは空襲に遭う。気がついたときには、周りのものすべてが崩壊している。足下には地面、頭上には空。目の前の家で、瓦礫のなか、石材や木の板や鉄くずの下から誰かの声がする。帽子、割れた食器、ひびの入った古時計をよけ、……

 あるいはこんな箇所:

 住民のあいだには強い連帯感があった。ムシェ家の下の階には、ある画家が住んでいた。画家はロベールに、万が一警察がやってきたら、窓から中庭に降り、そこから自分のアトリエを通って裏口から逃げなさいと言ってくれた。裏通りの角には小さな食料品店があった。緊急の場合はそこから電話をかけることができた。

 どのページを開いても、淡々と情景や場面を描いていく端正な文章に出会う。抑制の効いたことばの連なりが描き出す悲劇的な物語は、しかし、悲しさや辛さにまつわることばで読者の感情をあおることがない。そこがいい。
 むしろ静かな、衒いのないことばの奥に広がる作者のまなざしが、読者に、透明なガラスの向こうに目をこらすような覚醒感をうながすのだ。ここには、作者の文体が──といってもバスク語はまったく理解できないが──訳者の文体とまれに見る幸福な関係にあるのではないかと、読んでいて、想像をたくましくするものがある。

 翻訳の至福!