2014/07/05

クッツェー三部作の翻訳こぼれ話(1)

 ほぼ3年にわたる作業のなかで、いつもながら発見がいろいろあった。事実と虚構のあわいを漂いながら、作品に書かれていることとフィクションの差異がうっすらと、だんだんくっきりと、そして間違いなく明確にわかる瞬間に、何度も遭遇した。

 それとは別に、クッツェーの年譜を作成しているうちにいくつも気づいた、記述されていることそれ自体の不一致。たとえば1990年に南アフリカの National English Literary Museum (NELM) から出版された、この作家のバイオグラフィーには、1987年にクッツェーがイエルサレム賞を受賞したことがこのように記されている。

 1987. Awarded the Jerusalem Prize for the Freedom of the Individual in Society, for Life & Times of Michael K.   ── p16
(1987年、社会内の個人の自由を描いた『マイケル・K』でイエルサレム賞受賞)

 だが、カンネメイヤーの伝記ではこうなる。

 Coetzee received the Jerusalem Prize for Foe in December 1986.   ──p411
(クッツェーは1986年12月に『フォー』によってイエルサレム賞を受賞した。)

 他の研究者、Jane Poyner の論文にも、Foe でこの賞を受賞したと記述されている。

 考えてみると、しかし、イェルサレム賞は、Wikiなどによると、基本的には個別の作品に対してではなく、作家の仕事全体にあたえられる賞だという。とすると、NELM版の記述は間違いということになるし、カンネメイヤーやポイナーの理解も違うということになるのか。あるいは賞自体が、個別の作品にあたえられる賞から作家に対するものへ変わったのか? クッツェーの場合だけ、作品に対してあたえられたのか? どうなんだろう?

 そこで、年譜にはたんに1987年にこの賞を受賞、と記載した。受賞記念講演はクッツェーの講演のなかでもきわめて重要な意味をもつもので、1992年に出版された初期エッセイ/インタビュー集『Doubling the Point』にもおさめられている。これもまた、再読してみると、いくつも発見があった。むかし読んだときと印象がちがうのだ。味わいも断然ちがう。一般的なスピーチとして読むのと、クッツェーという書き手が抱える歴史的脈絡を明確に認識できてから読むのとでは、一つひとつのことばの重さ、ニュアンスの深さがまるで異なってくるのだ。味わいもまた。


************
発売からおよそ10日。3日前に早々と「在庫切れ」になったAmazon ですが、この2日間はなぜか、「取り扱いません」という表示になっていました/涙。Why?  それが今朝から、無事に復帰。
 分厚くて一冊の本としては高めですが(でも三作分としてはとてもお買い得!)、嬉しいことに、順調に動いているようです。