2013/08/11

クッツェーはアントニオーニの映画手法をぱくった?

一昨日、1962年発表のミケランジェロ・アントニオーニ監督「太陽はひとりぼっち」(L'Eclipse)をDVDで観た。124分。長いけれど飽きなかった。こんな映画が作られていたのか、と新鮮でさえあった。

 なぜまたいまごろ1960年代初頭の『太陽はひとりぼっち』(この邦題もすごい!)かというと、これは、いま見直しをしているクッツェーの『青年時代』の主人公ジョンがロンドンで観る映画として出てくるからだ。当時の世界中の男たちを虜にした(そうだ)女優モニカ・ヴィッテイ。きわめてプチブル的な(ああ、死語!)、本もテーブルも男も、なんにでもすぐに飽きるの、とのたまう精神不安定かつ倦怠感にとらわれた女性。いまならさしずめ心療内科へ行ったら? といわれそうな/笑。
 22歳の孤独なジョンはこの映画の中のモニカに憧れて、ロンドン北部の狭い自室に彼女がやってきて、セックスをして、また明け方ふっと居なくなるという夢想をする。

主演の四角い顔のモニカ・ヴィッティ演じるヴィットリアをじっとりとらえる長いカメラワークにいささか辟易としながらも、これがローマ(クッツェーは「パレルモ」だと書いているが、当時のシチリアのパレルモに証券取引所があったか?)を舞台にした映画であり、キューバ危機の直後であり、ケニア独立の前年であり、とさまざまな歴史的事実が入れ込まれているところもまた面白かった。
 それにしても、ヴィットリアの向かいのアパートにケニア生まれのマルタという女性が住んでいて、彼女の部屋にはケニアの大きな写真やサイの足でできたテーブルがあり、そこで深夜、ヴィットリアと隣室に住む友達アニタがマサイ(族)の恰好をして騒ぐ場面があり、ポスト・ポストコロニアル時代のいまから見ると絵に描いたようなオリエンタリズムで・・・いやはや1960年代に日本にやってきたアフリカのイメージがこれだったのか.......と認識をあらたにした。

 当時のこの映画に対するイギリスの新聞の映画評は「ヨーロッパ映画に見られる苦悶は核による人類絶滅の恐怖が原因であり、また、神亡きあとの不確かさによるもの」だったそうだ。当時、旧植民地からロンドンへ渡った青年主人公に、そうは思えない、・・・とクッツェーはいわせてはいるが、確かにそんな論調が紙上にのってもおかしくない風潮はあったかな、60年代って。

 しかし、あらためて発見したのは、舞台がイタリアのローマなのに登場人物はすべてフランス語を話すことだ。アラン・ドロン扮する若い株の仲買人ピエロや顧客たちが株の取引場で丁々発止とやりとりする場面も、もちろん、すべてフランス語。当然か、フランス/イタリア合作映画なのだから。
 さらなる発見。このヴィットリア、仕事はなんだったか? ほとんどの人はたぶん覚えていないだろう。あの倦怠感あふれる女が仕事をもっていたことまで記憶した人は少ないんじゃないか。
 フィアンセである金持ちのリカルドと徹夜で二人の関係を語り合ったあと別れ話が持ち出される場面が、この映画の最初のシーンなのだけれど、彼女はそれまでリカルドから依頼されたある仕事をやっていた。なにか? ドイツ語の記事をイタリア語へ翻訳する仕事だ。これからはその仕事を他の人にやってもらうほうがいいだろうか、人を紹介しようか、それとも自分がやったほうがいいなら続けるが、とリカルドにヴィットリアが話す場面がある。リカルドの部屋にあるのはイタリア語の書籍類。登場する新聞もイタリア語。しかし、彼らのしゃべるのはすべてフランス語だ。

 それで気づいた。

 そうか、クッツェーの最新作『The Childhood of Jesus』の手法は、アントニオーニのこの映画の手法をぱくったものか? ぱくった、というのは大げさか。これはなにもこの監督の手法に限らない。とにかく、映画は舞台がイタリアで、登場人物がすべてイタリア人、当然イタリア語が使われる世界だ。なのにフランス語をしゃべる人しか出てこない。それを小説でやってもいいんじゃないか、と映画好きのクッツェーが考えても可笑しくはない。
 つまり、小説『The Childhood of Jesus』は英語で書かれてはいるが、実際に舞台となっている町ノビラではスペイン語が使われている(ことになっている)。要するに、この小説は最初から「吹き替え」なのだ。スペイン語世界を舞台に登場人物たちに英語をしゃべらせて撮影した作品、そう考えるとひどく腑に落ちる書き方である。


PS:2013.8.13──この映画はイタリア/フランス合作ですから、当然、俳優たちがイタリア語をしゃべるバージョンも出ていて、それは字幕がフランス語のようです。こちらでまだ売ってました!
 さらに調べたら、英語版もある。吹き替えです。当時ロンドンの映画館で上映したのはひょっとしたら英語に吹き替えられたものかもしれない。クッツェーはそれを観たのか? ああ、頭がぐるぐるしてきた〜〜〜

PS:2013.8.18──さらに追記です。もう一度、ネットショップで入手したDVDと、友人が教えてくれたイタリア語バージョンの出だしの場面を見比べた。(わたしもかなりしつこい/笑。)そしてヴィットリアとリカルドの口の動きをよく観察したのだ。そこで気づいた、わたしの勘違いだ。もとの映画はイタリア語、シナリオもアントニオーニが書いている。なぜか日本で手に入るのがフランス語バージョン(日本語の字幕つき)であるため、フランス語だと思い込んでしまった。ということは・・・クッツェーが1963年のロンドンで観た映画はイタリア語で英語の字幕、というのがもっとも考えられるケースかもしれない。とすると「アントニオーニをぱくった」という論は根拠を失う。あれれ! なあんだ! ああ、勘違い。