2013/08/29

クッツェー『少年時代』のなかに描かれた「欲望」


 J・M・クッツェーの自伝的三部作を訳し、最後の見直しに取りかかった。数日前から『少年時代』を最初から通読し、今日は第8章まで進んだ。

 この8章には、少年がヴスターの駅前の敷地でひとりのカラードの少年を見かける場面から始まり、カラードの少年少女の身体のなかに人間の容姿としての完璧性を見出して、少年としての初々しい欲望を、しかし彼自身にとっては「暗い欲望」を、自分だけがもつ欲望だと考えてあれこれ思い悩むところが描かれている。

 この章はしかし、10歳前後の少年ジョンが抱く欲望にカラードが生み出された経緯を絡めて、一気に、南アフリカという土地の歴史が語られていく章でもある。1950年ころの南アフリカの現実の生活のなかで、ヨーロッパ人の、ヨーロッパ人男性の欲望がどのような結果を招いてきたかを少年が強く意識し、あれこれ理屈で考え抜いていく場面にもなっているのだ。

 たとえば、こんなふうに。

 しかし、彼を(カラードの少年)追いだすことはできない。ひょっとすると、黒人(ネイテイヴ)を追いだすことはできるかもしれないが、「カラード」の人たちを追いだすことはできない。黒人はあとからやってきた者であり、北部からの侵入者だから、ここにいる権利はないと論陣を張ることは可能かもしれない。──中略──
 しかし「カラード」にはそんな送還策はきかない。「カラード」の父は白人なのだ。ヤン・ファン・リーベックたちがホッテントットに産ませたのだから。それだけは、学校で使う歴史の教科書がどれほどことばを弄して偽り隠そうとも明明白白な事実だ。


 1997年に発表された『Boyhood』を日本語に訳して出した1999年8月は、まだ彼の傑作『Disgrace/恥辱』は出ていなかった。南アフリカを舞台にして、男の欲望をあますところなく描き切ったクッツェーという作家の「desire/欲望」に対する思考の芽は、すでにこの少年時代のなかに明確な形で描かれていたことを、今日は、通読していてあらためて確認した。

2013/08/21

「名誉白人」は名誉なのか???!

 猛暑のなか、クッツェー漬けの毎日で、ブログに書くこともクッツェートリビアばかりです/笑。でも今日は、ちょっとガツン! で行きます。この暑いのに.....と頭すずやかに読んでください。

 日本人は一般に、都合の悪いことは忘れる、知らんぷりする、しょうがないと諦める、この三つにかけては天才だ。でも、今回ばかりは、2011年3月11日以降のさまざまな出来事を見てきて、そのなかで生きてきて、今回ばかりはこの天才性を放棄しなければいけないときに来ていると思う。

 たとえば、こういうこと。あまりにも情けないことだが、愚直に問題にしていきたい。
 先日、若い人たちの前で話をするチャンスがあり、南アフリカという国に「アパルトヘイト」という合法的人種差別システム(搾取システム)があったという話になった。そこで、日本人は「名誉白人」という扱いを受けた時代があった、と話すと、いまの20代の人たちのなかに、高校の授業で「名誉白人」ってのは聞いたような気がするけれど、名誉なことだと習った印象があるという。これには、心底びっくり! アチャーである。

英語とアフリカーンス語で「白人専用」
アパルトヘイトが完全になくなったのは1994年、いま20代の人たちが生まれたころだ。映画「遠い夜明け」も「ワールド・アパート」も知らない、マンデラ来日も知らない世代なのだ。

 ヨーロッパ人種のように白くなりたい(美白?)という願望が日々、ファンションや音楽や映画など、さまざまな媒体から、これでもか、これでもか、と流れてきて、戦後そんな価値観を内面化してきた多くの日本人は、ありのままの自分を受け入れることができなくなった。まあ、これは、いまも、むかしもそうかな? 相当長い時間、この価値観にほとんど暴力的にさらされつづけてきた。(ここ十数年はとりわけ、若い子たちが、とりわけ女の子たちが、不必要に、病的なまでに、どんどん痩せてしまった。痩せなければ、と強迫観念を抱くようになった。)

だからこそ、アジア人であることを一瞬忘れて「名誉白人」扱いされることを、尻尾をふって喜んだのだろうか? オランダと昔ながらのやりとりがあってか、「お前は黄色いカラードだが、特別あつかいして、貿易相手としてだけ白人並みにあつかってやる」というのが「名誉白人」の中身だったのに。
 人種間結婚が禁止されていたから、当時の南アフリカでは日本人と白人のカップル、日本人と黒人のカップルが同一地域に住むことは違法だった。つまりそれだけで逮捕されたのだ。あるいは国外追放。

 それはすっかり忘れて、見たくないものには幕引きをして、アフリカとえいば未開の「暗黒大陸」から、サファリの、冒険の、自然豊かな秘境へ、そして次は「資源大陸」としてのアフリカへ、あくまで「ふつうの人が住み暮らす土地」を横に置いて、見たいアフリカだけに焦点をあてる。それでは、まさにアディーチェのいうシングルストーリーを、意図的に地でいく姿勢だ。

 そもそも「名誉○○」というのは「○○」にはなれないが、特別扱いしてやろうという完全上から目線の差別主義者の思想なのだ。「名誉白人」という語の裏にある歴史的な、優生思想に基づいた深い意味合いをもう一度、しっかり考えてほしい。

 2007年に会ったときジョン・クッツェーも、わたしが「日本人として名誉白人を返上できなくて残念だった!」というと、苦い苦い笑いを浮かべていたっけ。(とまあ、結局、クッツェートリビアで終わるのかっ、また!。。。爆)

2013/08/18

「太陽はひとりぼっち/L'eclisse」をめぐる二、三の追記


 以前「クッツェーはアントニオーニの映画手法をぱくった?」と書いたが、これはどうやら勘違いだったようだ。そう推論する前提が崩れた。
 クッツェーが1963年にロンドンで観たアントニオーニの作品「L'Eclisse(蝕)」(日本語タイトル:太陽はひとりぼっち)にはイタリア語のバージョンがあると、友人がこのサイトを教えてくれた。(イタリア、フランス、日本は公開が1962年、イギリスは翌年1963年だそうです。)



 それでもう一度、ネットショップで入手したDVDのフランス語バージョン「L'Eclipse」と比べてみた。ヴィットリアとリカルドの口の動きをよく観察したのだ。それで気づいた。どうやら彼らはイタリア語をしゃべっているようだ。口の動きがぴったりなのだ。シナリオもアントニオーニらイタリア勢が書いていることも分かった。わたしがネットショップから入手したDVDはフランス語バージョン(日本語字幕)であるため、どうしても字幕に目が行って、口の動きはあまり見なかった。

 ということは・・・クッツェーが1963年のロンドンで観たのはイタリア語に英語字幕、と考えるのが妥当だろう。だとすると「アントニオーニをぱくった」という論は根拠を失う。映画好きのクッツェーが、吹き替えという映画手法をヒントにして新作小説を書いたかもしれない、という推論までは否定できないが...........別にアントニオーニをぱくったわけではないだろう。

 それにしても、なぜ、日本で入手できるDVDはフランス語バージョンで、オリジナルのイタリア語バージョンではないんだ? アラン・ドロンの出た映画=フランス映画、という60年代シングルストーリーでついついものを見てしまった。反省!

 ちなみに、映画の冒頭で入るパンチのきいた歌は、やっぱり、「砂に消えた涙」のミーナだった。

2013/08/17

クッツェーに「あなたが描く母親が面白い」とわたしはいった

初対面でいうことだっただろうか? いまになってみればちょっと疑問に思うけれど、そのときはクッツェーの作品を読んで自分が考えたこと、感じたことをストレートに伝えることしか頭になかった。これが最初で最後かもしれない、この作家と会うのは、と思ったこともあった。とにかく伝えたかったのだ。

 あなたの作品に出てくる母親像が面白い。

 ジョン・クッツェーにそう伝えたのは2006年9月末、彼が初めて来日したおり、早稲田のホテルで会ったときだ。そのときまでに訳していた『マイケル・K』にしても『少年時代』にしても、母親の存在は圧倒的だ。それを聞いたクッツェーは「ええっ?」というような表情をした。無理もない。

『マイケル・K』では物語の最初のほうで、自分は母親の世話をするために生まれてきた、とマイケルに言わせるが、その母親アンナは農場のある地へ戻ろうとする旅の途上で死んでしまう。第二章では医師に、マイケルと母親の関係をいみじくも、ある意味、適確に分析することばを吐かせる。
 この母親像の描き方は何だ? と作品を最初に訳していたときに思ったのは紛れもない事実だ。『少年時代』も『青年時代』まだ発表されていないころのことである。
 しかし、三作目として訳した『鉄の時代』は母親そのものが話の中心になっている作品。これもまた否応なく心に引っかかった。『In the Heart of the Country/その国の奥で』を訳さないかと勧められたとき、『鉄の時代』ならやる、といってお断りしたのは正解だった。その後、わたしが訳すクッツェー作品には必ずといっていいほど、ある種、強烈な存在感をもつ母親像がちらりちらりとあらわれる。このこだわり方はなんだったのだろう?
 
 今年3月に彼が三度目の来日をしたとき、何人かの人たちとディナーをともにした。ベジタリアンのディナーではあったが、なかなか濃厚な味のディナーだった。その席で、どういういきさつだったか、わたしがクリスチャンとして北海道で生まれ育ったとことを口にすると、隣に座ったジョンがくいっと顔をあげ、がぜん興味を示し、矢継ぎ早に質問が飛んできた──なぜか? あなたが生まれたのは北海道なのか? なぜ両親はクリスチャンになったのか? 
 詳細はわたしにもわからない。しかし、その事実はこの日本で、いや、北海道という先住民アイヌびとの土地へどかどかと入り込んでいった者たちにとって、どういう意味をもったか、その後、彼らの子供たちの自己形成にどのような影響をあたえたか、これはずっと考えてきたことで、これからも考えていかざるをえないことなのだ。

 それは、あらたな課題が目の前にくっきりと立ちあがった瞬間でもあった。
 

2013/08/14

また載った? なにが? 「ミセス」のアディーチェ写真が.....

連日の猛暑のなか、嬉しいニュースが飛び込んできます。

 ミセス9月号に掲載されたアディーチェの写真を何人もの人がツイートしてくださっています。今日知ったのは、『明日は遠すぎて』の書評者、野中柊さんの twitterpic です。

 Muchas gracias!

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2013.8.15追記:野中柊さんのアディーチェ作品をめぐる連続ツイートには感激です! 

2013/08/13

ひさびさにニーナ・シモン: Angel of the Morning



ポール・オースターがフランス語でインタビューを受け、フランス語をしゃべっているのを facebook にアップしている人がいたので、聞いてみるとその途中に音楽がかかった。

 ニーナ・シモンの Angel of the Morning.  なかなかいい曲なのでここに貼付けよう。
 ついでに歌詞も:

"Angel Of The Morning"

There'll be no strings to bind you hands
Not if my love can bind your heart
And there's no need to take a stand
For it was I who chose to start
I see no reason to take me home
I'm old enough to face the dawn

Just call me angel of the morning (angel)
Just touch my cheek before you leave me (baby)
Just call me angel of the morning (angel)
Then slowly turn away from me

Maby the suns light will be dim
But it wont matter anyhow
If mornings echo says we've sinned
Well it would what i would give now
And if we're victims of the night 
I won't be blinded by the light

Just call me angel of the morning (angel)
Just touch my cheek before you leave me (baby)
Just call me angel of the morning (angel)
Then slowly turn away, I wont beg you to stay with me, me

Through the tears, of the days, of the years
Baby, Baby, baby

Just call me angel of the morning (angel)
Just touch my cheek before you leave me (baby)
Just call me angel of the morning (angel)
Just touch my cheek before you leave me (baby)

[Repeat to fade]

2013/08/11

クッツェーはアントニオーニの映画手法をぱくった?

一昨日、1962年発表のミケランジェロ・アントニオーニ監督「太陽はひとりぼっち」(L'Eclipse)をDVDで観た。124分。長いけれど飽きなかった。こんな映画が作られていたのか、と新鮮でさえあった。

 なぜまたいまごろ1960年代初頭の『太陽はひとりぼっち』(この邦題もすごい!)かというと、これは、いま見直しをしているクッツェーの『青年時代』の主人公ジョンがロンドンで観る映画として出てくるからだ。当時の世界中の男たちを虜にした(そうだ)女優モニカ・ヴィッテイ。きわめてプチブル的な(ああ、死語!)、本もテーブルも男も、なんにでもすぐに飽きるの、とのたまう精神不安定かつ倦怠感にとらわれた女性。いまならさしずめ心療内科へ行ったら? といわれそうな/笑。
 22歳の孤独なジョンはこの映画の中のモニカに憧れて、ロンドン北部の狭い自室に彼女がやってきて、セックスをして、また明け方ふっと居なくなるという夢想をする。

主演の四角い顔のモニカ・ヴィッティ演じるヴィットリアをじっとりとらえる長いカメラワークにいささか辟易としながらも、これがローマ(クッツェーは「パレルモ」だと書いているが、当時のシチリアのパレルモに証券取引所があったか?)を舞台にした映画であり、キューバ危機の直後であり、ケニア独立の前年であり、とさまざまな歴史的事実が入れ込まれているところもまた面白かった。
 それにしても、ヴィットリアの向かいのアパートにケニア生まれのマルタという女性が住んでいて、彼女の部屋にはケニアの大きな写真やサイの足でできたテーブルがあり、そこで深夜、ヴィットリアと隣室に住む友達アニタがマサイ(族)の恰好をして騒ぐ場面があり、ポスト・ポストコロニアル時代のいまから見ると絵に描いたようなオリエンタリズムで・・・いやはや1960年代に日本にやってきたアフリカのイメージがこれだったのか.......と認識をあらたにした。

 当時のこの映画に対するイギリスの新聞の映画評は「ヨーロッパ映画に見られる苦悶は核による人類絶滅の恐怖が原因であり、また、神亡きあとの不確かさによるもの」だったそうだ。当時、旧植民地からロンドンへ渡った青年主人公に、そうは思えない、・・・とクッツェーはいわせてはいるが、確かにそんな論調が紙上にのってもおかしくない風潮はあったかな、60年代って。

 しかし、あらためて発見したのは、舞台がイタリアのローマなのに登場人物はすべてフランス語を話すことだ。アラン・ドロン扮する若い株の仲買人ピエロや顧客たちが株の取引場で丁々発止とやりとりする場面も、もちろん、すべてフランス語。当然か、フランス/イタリア合作映画なのだから。
 さらなる発見。このヴィットリア、仕事はなんだったか? ほとんどの人はたぶん覚えていないだろう。あの倦怠感あふれる女が仕事をもっていたことまで記憶した人は少ないんじゃないか。
 フィアンセである金持ちのリカルドと徹夜で二人の関係を語り合ったあと別れ話が持ち出される場面が、この映画の最初のシーンなのだけれど、彼女はそれまでリカルドから依頼されたある仕事をやっていた。なにか? ドイツ語の記事をイタリア語へ翻訳する仕事だ。これからはその仕事を他の人にやってもらうほうがいいだろうか、人を紹介しようか、それとも自分がやったほうがいいなら続けるが、とリカルドにヴィットリアが話す場面がある。リカルドの部屋にあるのはイタリア語の書籍類。登場する新聞もイタリア語。しかし、彼らのしゃべるのはすべてフランス語だ。

 それで気づいた。

 そうか、クッツェーの最新作『The Childhood of Jesus』の手法は、アントニオーニのこの映画の手法をぱくったものか? ぱくった、というのは大げさか。これはなにもこの監督の手法に限らない。とにかく、映画は舞台がイタリアで、登場人物がすべてイタリア人、当然イタリア語が使われる世界だ。なのにフランス語をしゃべる人しか出てこない。それを小説でやってもいいんじゃないか、と映画好きのクッツェーが考えても可笑しくはない。
 つまり、小説『The Childhood of Jesus』は英語で書かれてはいるが、実際に舞台となっている町ノビラではスペイン語が使われている(ことになっている)。要するに、この小説は最初から「吹き替え」なのだ。スペイン語世界を舞台に登場人物たちに英語をしゃべらせて撮影した作品、そう考えるとひどく腑に落ちる書き方である。


PS:2013.8.13──この映画はイタリア/フランス合作ですから、当然、俳優たちがイタリア語をしゃべるバージョンも出ていて、それは字幕がフランス語のようです。こちらでまだ売ってました!
 さらに調べたら、英語版もある。吹き替えです。当時ロンドンの映画館で上映したのはひょっとしたら英語に吹き替えられたものかもしれない。クッツェーはそれを観たのか? ああ、頭がぐるぐるしてきた〜〜〜

PS:2013.8.18──さらに追記です。もう一度、ネットショップで入手したDVDと、友人が教えてくれたイタリア語バージョンの出だしの場面を見比べた。(わたしもかなりしつこい/笑。)そしてヴィットリアとリカルドの口の動きをよく観察したのだ。そこで気づいた、わたしの勘違いだ。もとの映画はイタリア語、シナリオもアントニオーニが書いている。なぜか日本で手に入るのがフランス語バージョン(日本語の字幕つき)であるため、フランス語だと思い込んでしまった。ということは・・・クッツェーが1963年のロンドンで観た映画はイタリア語で英語の字幕、というのがもっとも考えられるケースかもしれない。とすると「アントニオーニをぱくった」という論は根拠を失う。あれれ! なあんだ! ああ、勘違い。

2013/08/10

ターン:dress after dress 最終回

 机上の温度計は、33.2度。
 中村和恵さんのweb-heibonの連載「dress after dress」が今回で最終回を迎えました。

 今回は「ターン」がテーマ。まわること。くるり、くるり。自分の位置も、目の位置も。練習すれば変わるのよ。床にしっかり軸立てて、思考の軸も立てれば、くるり、自由になるの。

 バレエ、ダンス、体育、鉄棒、跳び箱、いろんなワードが出てくるけれど、やっぱり最後は、だれが、なにを、どうするか、って話ね。あいまいな日本語に蹴りを入れる和恵ねえさんの、身を切るような鋭いことばは、しかし、愛がいっぱいよ。批評は愛がなくちゃね。攻撃だけでは自分の醜さだけが目立ちますよ、それは批評とはいえないの。
 
 ターンは、練習すればできるって。そうよ、頭のターンだって、本を読めば、しっかり読めば、あるいは・・・ですからね。軸なし人間にならないように。人からどう見られるかばかり気にする人が、自分とは異なる人を攻撃する、その暴力性は何度だって指摘したいわね。

 かくして、中村さんの小気味よい文体は、読む者に伝染し、心地よい模倣文体でこうしてブログ書いてるわたしの気分は、いともハッピーであります。
 とにかく、読んで。最終回よ。あらら。

***************
2014/5/3   遅ればせながら、3月に中村和恵さんの『dress after dress』が本になりました。傑作です! お薦めします。
その時点で、おそらく、web-heibon のリンクがなくなりましたので、ぜひ本を手に取って、興味津々の、愛に満ちた批判の力を楽しんでください。

2013/08/07

「ミセス」にアディーチェのインタビュー記事が!

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが雑誌「ミセス」9月号に登場しました。見開き全6ページです。もちろんカラー。

 今年2月に、メリーランド州ボルチモアの作家の自宅を訪ねたインタビュー記事が載っています。インタビューアーは、なんと、吉本ばなな、松浦理英子等をイタリア語に翻訳している翻訳家・エッセイストのアレッサンドロ・G・ジェレヴィーニさん! わたしも translator's note と、ナイジェリア紹介のコラムを書きました。

 インタビューは2010年に初来日したときの思い出、裏話など。へえ〜、そうだったのか! と軽い驚きもあったり。はっきりと自分の意見をいうのがナイジェリア風なのだとか。これ、日本にも少し分けてもらいたいなあ、とか/笑。
 なんといっても写真が美しい。3冊の訳書、アディーチェの新刊書、彼女の家の書棚にならぶ世界各国の訳書も写っています。楽しめます。ぜひ、ぱらぱらしてください!

 そうそう、このブログでも紹介しましたが、「ミセス」は『明日は遠すぎて』を書評してくれたのでした! なんともう一年前になります。早い! 
 『明日は遠すぎて』は、第一短編集『アメリカにいる、きみ』には惜しくも入らなかった、作者自選の6つの短編と新作が3つ、どれも作家としての成長いちじるしいアディーチェの、つぶのそろった作品が収められた最新短編集です。(photo by Kozumi Higaki)

 折しも、8月6日からラゴスではアディーチェがプロデュースするファラフィナ・トラスト主催のクリエイティヴ・ライティング・ワークショップが始まりました。今年も25名の若手作家の卵が選ばれて、いまごろはきっとワークショップも熱が入ってきていることでしょう。

 さらにさらに、雑誌「pen」(p82)にもアディーチェが載ったのです。アチェベといっしょです。夏です!
 

2013/08/06

忘れないために、立ちもどることば

先日 facebook でシェアした基本確認事項的ブログをいくつかこちらにも貼付けておきます。facebook ではあっという間に見えなくなるので。

1)まず、以前このブログでも紹介した『こども東北学』の著者、山内明美さんの約一年前の発言です。これからこの日本で(この地上で?)生きて行くための基本かもしれない。わたしがつけたコメントも以下に。

いまごろ読みました。一年前のものですが、彼女のことばは全然ふるくなっていないし、核心をついている。ことばの節々に、明晰な力が備わっている。すごい。納得!」


2)福島原発の汚染水漏れの現実についてはこちら。いま直面している現実を認識するための、変わらぬ基本です。

ファンタジックな幻想に包まれたものの見方には未来がないだけでなく、いま生きるための活力もありません。人と人が繋がるためには、きちんと認識するしかない。そのために、時流に流されないで、無駄のない、信頼できることばを発信する人をウォッチしつづけたいと思います。


ベナンからの動画です

旦敬介さんのブログが熱い! 面白い!
今日はなんと、深夜の祭りの動画がアップされています。

こちらへ!

「Bourignan Nevis の演奏。2013年7月26日深夜のコトヌー市、カジェウーンにて」だそうです。

2013/08/01

クッツェーの讃辞が消えた本

次の2枚の写真を比較してください。どこが違うか。

       

 2009年にこの本が出たとき、新聞やブログでも紹介しましたが、これは最近ついに日本語訳が出たジンバブエのペティナ・ガッパの短編集『イースタリーのエレジー』(小川高義訳 新潮社)のオリジナルです。まず、なんといってもガッパの翻訳が出たことは喜ばしい限りです。リンク先の版元サイトには小野正嗣さんの秀逸な評が掲載されていますので、ぜひ!

 それで上の2枚の写真ですが、左は、2009年4月に出版されたときに購入した、いま手元にある洒落たソフトカバーの本、右がその半年後に出たバージョン(キンドル版)です。さらに12月には新しい表紙の本も出ていて、ネット書店で現在入手可能です。

 掲載した写真ではいずれも、ジャカランダと思われる並木道の右手にトマトみたいな太陽がのぼっています(沈んでいる?)。その太陽の真上に、左の写真ではJ・M・クッツェーの献辞が書かれていますが、右の写真ではそれがきれいに消えています。
 あれ? と思ったのは、この本が出版されてまもなくでした。出版元の Faber & Faber のサイトからも、ガッパ自身のブログからも、大きく謳われていたクッツェーの讃辞がほとんど同時に消えました。ふ〜ん、なんでだろ? と奇妙な感慨を抱いたものです。その讃辞とは、

   "Petina Gappah is a fine writer and a rising star of Zimbabwean literature."  J.M.Coetzee
「ペティナ・ガッパはすばらしい作家であり、ジンバブエ文学の新星である」──J.M.クッツェー

 プロモーション用にこんなクッツェーのことばを使うのは出版社の案だったのでしょうか、本が出て話題になるとすぐに削除したのは、ガッパの意向なのでしょうか。よく分かりません。分からないけれど、つい、いろいろ考えてしまいます。なぜ消えたのか。

 南部アフリカに住む人たちはこの作品をどんなふうに読むだろう、ということも考えました。ふと思い浮かぶのは、南アフリカとジンバブエの微妙な関係。アパルトヘイト時代は南部アフリカの希望の星だったジンバブエは反アパルトヘイトを鮮明に打ち出していた。しかし、1994年の南アフリカ解放後、経済が逼迫したジンバブエから難民が南アに押し寄せると、南アでは反難民感情が高まり暴力事件が多発した。

クッツェーが南アフリカに生まれながらどこまでもヨーロッパ文明を背負おうとする白人男性作家であるのに対し、ガッパはジンバブエの固有性を描きながら世界舞台へ突き抜けていこうとする黒人女性作家。2人の世代的違い、立ち位置の違い。さらに、ノーベル賞作家というネームが欧米出版界で作品を押し出すときにどんな意味をもつか、ことガッパの作品となると、両刃の剣となるのか、とか。う〜ん、さまざまな要因が絡んでいそうです。
 いま英語圏でアフリカの作家たちが小説を出版するときにぶつかるさまざまな違和感、というか、そのプロセスで議論になったこと、ならなかったこと、がぼんやりながらベールの向こうに透かし見える、ような、気がします。気がするだけですが/笑。これついては、結論は出なくとも、よく考えてみたい、とそのときも思いましたし、いまも、思います。

 つい先日もジンバブエでは、チオニーソという優れたミュージシャンが、適切な治療を受けていれば助かったはずなのに、彼女が住んでいた土地では十分な医療が受けられなかったらしく、なんと37歳という若さで他界しました。都会と田舎の格差のリアルはやっぱり、どうしても考えてしまう。考えなければものは見えてこない。(東京と福島だってそうです。)
 だから、「世界文学」というときのその「世界」の中身を細かく考えていかないと・・・その見方、とらえ方、視野がどこを軸にしているか。あれ? と気づく視点をこれからも忘れないでいきたいと思います。
 とにもかくにも、このガッパの短編集はインサイド・ジンバブエを、そこに住み暮らす人間たちを皮肉たっぷりに、見事に描き切っています。お薦めです。

(2013.8.3:追記/なぜか6月に他の写真を使ったバージョンも出ていて、これには讃辞があります。ややこしい!)
(014.9.28:追記2/他の写真を使ったバージョンのカバーに書かれた讃辞を、備忘のためここに記録しておきます。
 "Petina Gappah's stories range from scathing satire of Zimbabwe's ruling elite to earthy comedy to sensitive accounts of the sufferings of humble victims of the regime.  Gappah is a fine writer and a rising star of Zimbabwean literature."──J.M.Coetzee)

またまた新しいショットが公開されました

このところ、いろんなところで話題になっている(と局地的に思っている/笑)映画「半分のぼった黄色い太陽」のfacebook で、新しいショットが2枚公開されました。
 たぶん、オランナがオデニボの家のパーティーで、アデバヨに紹介されるところでしょう。非論理的な美人、といわれた場面!