2012/09/15

Ascenseur Pour L'Echafaud ── 死刑台のエレベーター

ついにCDを買った。いまごろ? そう、いまごろ。DVDをぜひ、といわれたけれど、あっという間に到着したCDをかけながら、やっぱりこの音楽はわたしにはジャンヌ・モローの映像なしのほうがいい、と確認する。
 マイルスのトランペットを聴いていると、浮かんでくるのは映画のシーンではなく、60年代後半に足しげく通ったあちこちのジャズ喫茶の店内なのだから。カウンターでサイホンがぽこぽことたてる泡まで見える。黒光りしたテーブルのうえにどさりと置いた本の表紙まで浮かんでくる。そんな濃密な感覚に襲われる音楽なのだ。

 自分では買わなかったけれど、マイルス・デイヴィスはあのころ、おそらくコルトレーンとならんでジャズファンが最も話題にし、最も多くの人が耳にしたミュージシャンだったはずだ。あまりにもメジャーで、あまりにもマッチョな音楽だったため(「ビッチェズブリュー」のジャケットを思い出してほしい!)、わたしは反射的に、徹底的に敬遠した、そうだったのだろうか。
 とはいえ、ジャズを聴きにいく店のなかで否応なく耳に入ってくるのがマイルス・デイヴィスだった。そういえば、ニューヨークで開かれたブラックパンサーの集会を密かに録音したというテープを聴かされたときも、マイルスがペットを吹いていたっけ。テープ起こししろといわれたけれど、とても無理だった!(60年代のハーレムの写真を撮った吉田ルイ子さんなら理解できただろうな、とふと思う。)

 この音楽は50年代後半のものだけれど、こうして聴いてみると、なかなかいい。いや、正直いって、すごくいい。記憶との結びつきも、ここまでくると悪くないか、ということを発見する。残暑の厳しいこの夏の終わりは、このマイルス・デイヴィスでしのごうかな。

 テイクは1957年、わたしが7歳の年である。初めて自転車を買ってもらって、新開地特有の、碁盤の目のように切られた田舎道を走りまわっていたころだ。これで狭い場所に閉じ込められずに、ひとりでどこへでも行ける、と思ったのもあのころだったろうか。
 しかし、十年ほど経って、いざ東京に出てみると、それほど遠くへは行けないのだな、と気づいたのが、マイルスの音楽を街のあちこちで耳にしていたころだったのかもしれない。