2012/03/27

フランツ・ファノンからのエピグラフ

『デイヴィッドの物語』のあとがき、見直し完了! もう一息だ。
 この小説のいちばん最初に出てくるエピグラフ:


 わたしの最後の祈り、
 おお、わたしの身体よ、いつまでもわたしを問いつづける者にしていてくれ!

                ── フランツ・ファノン『黒い皮膚、白い仮面』


 超有名なテクストだが、ほかにも山のように「相互参照テクスト」が出てくる。ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』とか、トニ・モリスンの『ビラヴド』とか。それぞれ響き合って、小説に深みをあたえている。

 ドロシー・ドライヴァーの「あとがき」が(というより作品解説に近いなこれは)そのテクスト内テクストを丁寧に、丁寧にひもといてくれるので、南アフリカの文学史がとてもよくわかるし、アパルトヘイトからの解放闘争のなかで女性がどんな位置に置かれていたか、よ〜くよ〜くわかる、というより深い、深い問いの場を提供してくれるというべきかな。

 女性をめぐる隠されてきた事実、これ、日本のことでもあるよなあ、と思う反面、クッツェーが『鉄の時代』でも書いていたように、ニュアンスやあいまいさを許さない南アフリカという土地柄についても考えさせられる。クッツェーの『恥辱』のなかの、日本の読者にとってもっとも理解しずらいルーシーという登場人物の行動も、この作品を読むとその背景が理解できる。その意味で、『デイヴィッドの物語』はやっぱり『恥辱』と響き合うテクストなのだ。響き合うのは名前だけじゃない。
 
 あのコントラストのはっきりしたケープタウンの、真っ青な空を思い出しながら、やっぱり人間の心のありようは、その土地の風土に左右されるのかなあ、と思ったり。

 今日の東京は晴れて、風が吹いて、やけに花粉が多かった!