2010/03/01

今月の「水牛のように」

「水牛のように」に詩を書きはじめて、早いもので 1 年になりました。今月の「水牛のように」には、管啓次郎さんも加わって、片岡義男さん、藤井貞和さんと、ずらり詩がならぶにぎやかな紙面です。嬉しい。
 最後が高橋悠治さんの、なんと「芭蕉の切れ」。連句をめぐる面白い文章です。「切れ」というところがみそですね。

「「切れ」はことばの方法論ではなく、芭蕉の生きるプロセス。身分社会からはずれ、故郷なく、定職なく、座という一時的自律空間を主催する旅の人」というところで、はたと膝をうつ。

 わが師、安東次男が生きていてこれを読んだら、なんといっただろうと思ったりして──空想力は楽しみをかもしだす力。
 
 こちらも和して、「梅が香の巻」を入力します!
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むめがゝにのつと日の出る山路かな      芭蕉
 処どころに雉子の啼きたつ         野坡
家(や)普請を春のてすきにとり付て     野坡
 上(かみ)のたよりにあがる米の直(ね)  芭蕉
宵の内はらはらとせし月の雲         芭蕉
 薮越はなすあきのさびしき         野坡
御頭へ菊もらはるゝめいわくさ        野坡
 娘を堅う人にあはせぬ           芭蕉
奈良がよひおなじつらなる細基手       野坡
 ことしは雨のふらぬ六月          芭蕉
預けたるみそとりにやる向河岸        野坡
 ひたといひ出すお袋の事          芭蕉
終宵(よもすがら)尼の持病を押へける    野坡
 こんにやくばかりのこる名月        芭蕉
はつ雁に乗懸下地敷て見る          野坡
 露を相手に居合ひとぬき          芭蕉
町衆のつらりと酔て花の陰          野坡
 門で押るゝ壬生の念仏           芭蕉
東風風に糞のいきれを吹まはし        芭蕉
 たゞ居るまゝに肱わづらふ         野坡
江戸の左右むかひの亭主登られて       芭蕉
 こちにもいれどから臼をかす        野坡
方ばうに十夜の内のかねの音         芭蕉
 桐の木高く月さゆる也           野坡
門しめてだまつてねたる面白さ        芭蕉
 ひらふた金で表がへする          野坡
はつ午に女房のおやこ振舞て         芭蕉
 又このはるも済ぬ牢人           野坡
法印の湯治を送る花ざかり          芭蕉
 なは手を下りて青麦の出来         野坡
どの家も東の方に窓をあけ          野坡
 魚に喰あくはまの雑水           芭蕉
千どり啼一夜一夜に寒うなり         野坡
 未進の高のはてぬ算用           芭蕉
隣へも知らせず嫁をつれて来て        野坡
 屏風の陰にみゆるくはし盆         芭蕉

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付記:この連句が巻かれたのは元禄7年、於深川芭蕉庵。野坡は呉服・両替商越後屋(三越・三井の前身)江戸店の手代、だそうです。
『安東次男全詩全句集』(2008年 思潮社刊)からの孫引きです。