2009/01/04

アミラ・ハス──ガザから出てきた人たちは…

イスラエルが300人にガザから出ることを認める──出てきた人の大部分がガザ住民と結婚した外国人とその子どもたちだった

ハアレツ紙/Last update - 01:41 04/01/2009
アミラ・ハス&マヤ・ズィンシュタインの記事

金曜日の朝、300人の住民がガザを出てアレンビー橋(註/ターミナルにあたる)に向かった。出国を確保するため、ここ数日間イスラエル政府と交渉してきた各大使館は、彼らを避難者と呼ぶが、脱出者というのがより正確だ。

大部分が外国のパスポートをもっていて、ガザ住民と結婚した外国生まれの妻とその子どもたちだった。

何人かの子どもたちは、自分が出てきたことを友だちは知らなかったと語った。

「どうして言えるの? だれも出られないのに、電気もないし、インターネットもないし、電話はつながらないんだから」と15歳の少年は言った。彼の妹は、自分がガザから出ていくことを友だちに告げるとき恥ずかしかったと認め、17歳の少年は彼の友だちがそれを知って羨ましがったと語った。子どもたちの大部分はただ黙って見ていたけれど、幼い子どもたちは泣き叫んで、お父さんの名を呼んだという。父親たちの大半はあとに残った。外国のパスポートをもっていないからだ。

「ターミナル」という語は、イスラエルとガザと呼ばれる国を区切る国境を意味するが、これは誤解をまねく。ガザ地区のパレスチナ人は、ヨルダン川西岸のパレスチナ人とおなじように、イスラエル内務省の人口登録局によってすべて記録されているのだ。もしもイスラエルのコンピュータシステムに登録されていなければ、そのときは彼らは存在しないことになる。だから「国境」のターミナルは、一国の内務省にすべて登録された人たちを選別しているのだ。

イスラエル人にしてみれば、「ターミナル」という語はガラス壁のビルのなかで、パスポートと手荷物カートの審査を受けることだ。ガザ住民にとってはまったく違う──厳しく見張られた、巨大な捕虜収容所の端みたいなものなのだ。この一週間のガザのことを「包囲されたときのレニングラードみたい」とスヴェトラナは言った。「電気もない、料理用のガスもない。一人にピタ(パン)が20枚。食糧が足りないのは誰の目にも明らか。でも、なんといっても恐怖よ。子どもたちが外で遊びたがる。家のなかにずっと閉じ込めておくことはできないから。外へ走り出るたびに、心臓が縮む思いだった」

ガザを金曜日に出てきた人の大部分がロシア、ウクライナ、その他の旧ソ連だった国々の市民だ。それらの国へ留学してきたガザ生まれの男性と出会った女性たちと、その子どもたちだ。ほかにもノルウェイ人が6人、トルコ人が7人、アメリカ合州国の市民16人とその親戚でU.S.パスポートをもたない幸運な11人もいた。

大使館と領事館のすべてが自国の市民を受け入れるために代表者を送っていたが、アメリカ大使館だけは──警備員1人と3、4人の役人が──国境を越えてきた彼らの国の市民がジャーナリストと自由に話をすることを禁止した。一人の若い女性がカメラとマイクに向かって屋外で話してくれたのだ。

東エルサレムの合州国領事館の広報官、ミカエラ・シュヴァイツァー=ブルムはハアレツ紙の質問に対して、禁止したのは「アメリカ市民のプライバシーを守り」彼らにとって事態がスムーズに運ぶようにするのが目的ですと答えた。

リリアは2人の子どもがいて、妊娠9カ月。彼女はガザに7年間住んできた。「夫は医者で、いつも病院に詰めていますが、そこさえ保護するものはありません。手術室に窓がなくなってもう随分になります。すべてそのまま。窓ガラスは全部外したんです。砕け散った窓ガラスが降ってくるより、寒さのほうがまだましですから」

ガリナの夫は彼女に留まってほしいと言った。

「昨日の夜まで留まるつもりだったんです。でも隣の家に爆弾が落ちて、うちの窓ガラスが全部こわれて、子どもたちが大声で泣きだしたんです。そのときわたし、もう耐えられないと思ったの。6夜つづけて一睡もしていないんです、とにかく眠りたい、目が覚めたとき、爆撃機が自分の頭の上を飛んでいないようにって、そればかり思いました。出てきたことに後ろめたさなんてありません。出てこられて神に感謝しています」

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