2008/06/04

もう森へなんか行かない──(2)

「Ma Jeunesse Fout le Camp/わたしの青春が逃げていく」という曲はフランソワーズ・アルディのオリジナルではなく、ギイ・ボンタンペッリ/Guy Bontempelliの作詞作曲だ。1973年に日本で初めて出たアルバム「フランソワーズ」(ECPM-24)のA面4曲目に収められている。
  
 73年から翌年にかけて、フランソワーズ・アルディの邦盤は、ゴールドディスクも含めるとEPICレーベルだけで6枚リリースされている。このアーティスト、なかなかのヒットだったのがわかる。アルディの歌はのちに山田太一のテレビドラマの主題歌にも使われたそうだ。そんな数ある彼女の曲のなかで、なにはさておき、わたしはこの「もう森へなんか行かない」を推す。切々と歌う白眉の一曲である。歌詞のつづきはこんなふうだ。

  わたしたちはもう、
  スミレを探しに、森へなんか行かない
  今日は雨が降って
  わたしたちの足跡を消してしまうから
  それでも、子どもたちは
  しっかり歌をおぼえている
  でもわたしにはそれがわからない
  でもわたしにはそれがわからない

  わたしの青春が逃げていく
  ギターの奏でる曲にのって
  静かに、ゆるやかな歩調で
  このわたしから離れていく
  わたしの青春が逃げていく
  それは舫い綱を断ち切ってしまった
  その髪のなかに
  わたしの20歳の花を差して

  わたしたちはもう、森へなんか行かない
  すぐに秋がやってくるから
  わたしは退屈を摘み取りながら
  春を待つ
  それがもう帰ってこなくて
  もし、この心が震えたら
  それは夜が来るから
  それは夜が来るから

  わたしたちはもう、森へなんか行かない
  もうわたしたちが、いっしょに行くことはない
  わたしの青春が逃げていく
  あなたの足どりとともに
  どれほどそれが、あなたに似ているか
  あなたにわかっていたら…
  でもあなたにはそれがわからない
  でもあなたにはそれがわからない
 
 フランス人にとって「森へ行く」というのは、軽いピクニックのような感じなのだろうか。ちょっとしたおやつを持って、近くの森へ遊びに行く。仄暗い森のなかには、さまざまな生き物がいて、春ならスミレ摘み、秋ならきのこ採り、子どもは解放感いっぱいで遊び惚け、大人も木漏れ日のなかを散策する。
 ちょっと調べてみると、18世紀に作られた「Nous n'irons plus au bois/私たちはもう森へは行かない」という曲があって、いまでは子どもの遊び歌になっているとか。歌詞は、かのポンパドール夫人が作り、メロディはグレゴリオ聖歌の「天使のミサ」と呼ばれる曲が使われているそうだ。ロンドのように1番の歌詞の最後が2番のあたまにくり返されて、2番の最後が3番のあたまに出てきて、といった感じで延々とづづく形式。

1.私たちはもう、森へは行かない
 月桂樹が伐られてしまって
 この娘が
 拾い集めにいくわ

 *ルフラン*
    さあ、ダンスに加わって
   みんなが踊るのを見て
   跳ねて、踊って
   好きな人にキスしてね

2. この娘が
 拾い集めにいくわ
 でも森の月桂樹が
  伐られたままにしてていいの?
 *ルフラン

3. でも森の月桂樹が
  伐られたままにしてていいの?
 だめだめ、ひとりずつ順番に
 拾い集めにいくのよ
 *ルフラン

 いかにも、フランス風の遊び歌だ。パプーシャが歌う「森へは行かない」とはずいぶん違う。アルディが歌う曲はフランス語だから、フランス人にとってはもちろん、このわらべ歌が連想されるはずだけれど、でも、曲想はむしろ、喪失を歌うパプーシャの歌に近い。

 ふと思うのは、かりにこの曲が日本で「私の青春が逃げていく」というオリジナルタイトルのまま紹介されていたら、こんな強い手がかりといっしょに記憶に残っただろうか、ということだ。「森へ行かない」という暗喩があったからこそ、パプーシャの歌の歌詞を見たとき、アルディのことを思い出したのではなかったか。おまけに「森へなんか」である。この「なんか」を加えた当時の担当ディレクターの目は、いや耳は、急所を心得ていたといえそうだ。