2023/06/29

プラド美術館を訪れているJ・M・クッツェー

 6月末から7月初めにかけて3週間、プラド美術館を訪れているJ・M・クッツェーです。ベラスケスの有名な絵画「ラス・メニーナス」の前で説明を受けるジョン・クッツェー。プラド美術館の公式twitterがアップした、6月20日付けの動画です。


https://twitter.com/museodelprado/status/1671117335493525507

2023/06/23

「恋愛」をめぐる UNLEARN

つい先日も日本のジェンダーギャップ指数125位 前年より後退、G7で最下位というニュースが流れたばかり。

 ブログ内を検索していたら、ちょうど5年前に書いた「はきちがえのはきだめから脱出するには?」という投稿を見つけた。

 80歳を過ぎた男性作家であるJ・M・クッツェーが書いた『ポーランドの人』(白水社)を、日本語に訳出した記念として、再度ここにアップしておく。光が当たっているテーマは、両者に通底しているからだ。日本語社会の周回遅れ、なんとかしたい!
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6月22日(2018年)

某大学教授で文芸評論家でもあるという60代の男性がセクハラで訴えられた。ニュースなどのことばを読むかぎり、自分が特権をもつ位置にある教育者だという認識が著しく欠如している。文学者であることで免除されると本人が思い込んできた長い歴史と、まあ仕方がないとそれを許してきた周囲の教育者・文学者などの価値観の、すべてが時代後れでゴミ箱に入れて削除してしまいたいようなウイルス性有害物と思われる。

 文学者であることを名乗るなら、まず、「恋愛」という表現の定義を学びなおしてほしい。

 恋愛感情とは、ひとりの人間がもうひとりの人間を、とても、とても大事に思い、憧れ、その人を独占したい、欲しいと思う性的欲望をも含んだ感情のすべてを呼ぶのだが、同時に、相手から自分もまたおなじように大事に思われ、憧れられ、独占したいと思われ、欲しいと思う性的欲望をもたれたいという気持ちであって、あくまで「対等な関係」が底になければ成立しないはずだ。それが近現代の思想的な始まりだったのだと。

 某教授のいう感情はまったくそれとは異なり、60代のオスの欲望にきれいなことばの衣をかぶせたものにすぎず、相手との「対等な関係」などまったく眼中にないものであることは疑いの余地がない。文学者として、これを「恋愛感情」などとゆめゆめ呼ばないでほしい。はなはだしく意味をはきちがえているといわざるをえない。近現代の日本の男性文学は(まあ女性文学もある意味)、この「はきちがえのはきだめ」からどう出られるか、が根底的に問われているような気がするが、どうだろう。

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2018年の付記:

備忘としてfacebook に記したオピニオンを転記しておく。ちょっと語調はあらいけれど、それも含めて。希望も含めて。

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2023年の付記:だから対等の人間として相手を見ているなら、「俺の女にしてやる」とか「俺の恋人にしてやる」とか「俺の女房にしてやる」という表現は全く出てこないはずだ。相手のことを深く知りたい、理解したい、という気持ちが相手に受け入れられたとき初めて、相互のやり取りが始まるんだ。一方的な「妄想」に突っ走ってしまわないことが、めっちゃ大切なんだよな。

追記:まあ、人間として対等であることは大前提だけど、恋愛感情のバランスに不均衡があるときは──そしてこれはいつの時代もとても多いんだが──悲しいかな、どちらかに悲恋、失恋が待ってるわけだけどね。でも支配、被支配の関係を示す「俺について来い」とか「お前を幸せにする」といったセリフが横行した時代が、ホント長かった。それって、どんだけ「主従の関係」を反映しているか、足元から考え直したほうがいいよね。いまだに自分の夫を「主人」と呼んでる女性たちも、もちろん男女問わずに「オタクのご主人」という人たちも!



2023/06/18

コンサート:2人のフランツ、青柳いづみこ & 高橋悠治 トークコンサート

 備忘のために昨日のコンサートのことを書いておこう。

 昨日はひさびさに都心まで出かけた。日比谷の「ベヒシュタイン・セントラム 東京 ザール」で開かれた、青柳いづみこ & 高橋悠治というビッグなピアニスト2人のコンサート。コロナもあけて、フランソワ・クープランとフランツ・シューベルトと聞けば出かけずにはいられません!

 帰りの電車が、事故の影響で動いているのは各駅停車のみで、ちょっと時間がかかったけれど、6月の晴れ渡った空を見ながらゆっくり帰宅。最寄り駅にたどりついてもまだ西の空は茜色。

 生で聴くピアノタッチの美しさが、胸に染み入るサイコーの一日だったナ。


2023/06/11

「海外文学の森へ 56」『過去を売る男』:ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ著、木下眞穂訳『過去を売る男』

東京新聞(6月6日夕刊)のコラム「海外文学の森 56」でジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ著、木下眞穂訳『過去を売る男』(白水社)を紹介しました。

 このリレーコラム、最初は「書評より、もっと柔らかく、身近なことも含めてエッセイふうに」という依頼だったように記憶しています。「柔らかく」がうまくいってるかどうかは別として、今回は、むかしのこともちょっと書いたり。

タイトルは、担当の記者の方が付けてくれたものです。

***アンゴラの風に乗って***

「トッケー、トッケー」と鳴くヤモリが壁を這う家に泊まったことがある。小さな娘たちとタイへ旅した遠い昔だ。『過去を売る男』を読んで、アンゴラのヤモリは笑うのか! と溜め息をつく。アンゴラのヤモリの声も聞いてみたかった。そんな叶わぬ旅への憧憬をかき立てる作品だ。

 主人公フェリックス・ヴェントゥーラはアルビノの黒人、資料を集めて過去を創作し、それを売ることを生業にしている。ポルトガル移民で古書店主の祖父、その息子が養父、という彼の系譜自体が謎めいている。おまけに家に住み着いたヤモリ語りに遠い記憶が入り込む。このヤモリ、かつては人間だったらしい


 舞台となるアンゴラはアフリカ南西部の大きな国だ。西は大西洋に面し、北はコンゴ民主共和国、南はナミビアに隣接し、かつてはポルトガルの植民地で奴隷の輸出国だった。独立は一九七五年だが二〇〇二年まで内戦が続いた。


 六〇年生まれのアグアルーザは、ポルトガル語にいくつかバンツー系言語が混じる環境で育ったのだろう。作品内には渇いた風が運ぶいくつもの微かな声音が響き、鮮やかな色調が揺れる。


 南部アフリカにはトカゲ、ヤモリといった動物が登場する神話、民話が多い。ズールー民族の詩人マジシ・クネーネが記録した民族創世神話ではカメレオンが神の使者だし、モザンビークの作家ミア・コウトにはハラカブマ(センザンコウ)が男の内部に棲みつく物語がある。


 本書は三十二の短章が深い奥ゆきをもって連なる。過去を買いにきた男、美貌の写真家、浮浪者といった登場人物を天井から眺めるヤモリ。エピグラフのボルヘスが道づれとなり先へ先へと飽きずに読ませる。夢のなかで真実と嘘が一瞬のうちに入れ代わり、過去と現在の境が揺らぐ。


 フェリックスがヤモリと語り合うときは、書き留めたくなることばが多い。雲は「夢の出口に見えない?」とか「幸福とは、たいていの場合、無責任だ」とか。


 土地に染みついた裏切りの記憶がカラフルな房糸となって、一気にほつれて謎が解ける。その向こうに「アンゴラの海」が見えるだろうか?


                      くぼたのぞみ(翻訳家、詩人)


PDFでアップできないので、そっくりペーストします。

2023/06/09

オリジナル英語版『ポーランドの人、その他の物語』がオーストラリアからやってきた:翻訳作業備忘録(5)

左がオーストラリア英語版、右が日本語版
 白水社から拙者訳が刊行されたばかりの J・M・クッツェー『ポーランドの人』、世界で最初に出版される英語テクスト『The Pole and other stories / ポーランドの人とその他の物語』がやってきた!
 オーストラリアのテクスト・パブリッシングから7月1日に出版されるバージョンだ。左の写真にあるように、カバーの真ん中に大きな文字で作家の名前が浮かんでいる。とにかく「J・M・クッツェー」で売るぞ!という本造り。

 英語版『The Death of Jesus(イエスの死)』が2019年10月に英米より先に発売されたときも、出版社はText Publishing だった。そのときはコロナ前だったので、日本からもオンラインショップで注文できた。そしてぴたりと発売日にとどいた。ここに書いたように。

 ところが今回、そろそろ出るころだなと出版社のサイトを見ると、オンラインショップがない。どうやって買えばいいのか、と問い合わせのメールを出したら、一冊ご好意で贈ってくれたのだ! Gracias!

 本は国際eパケットライトで送られてきたため、オーストラリア郵便が荷物を引き受けた時点から、現在どのような状態にあるか、何度もお知らせが来た。これはありがたい。「飛行機に乗ったところ」「着陸したので税関を通れば配送される」「配送された」と逐一メールがきたのだ。(残念ながら日本からの国際eパケットライトは現在取り扱い中止。)

 さて、この本には日本語訳となった『The Pole /ポーランドの人』の他に5つの短篇が入っている。パラパラめくっていくと、そのうち4つは日本語版『モラルの話』で読めるが、1つだけ新作が入っているとわかった。わお!

   The Hope

イギリス版
 ずばり「希望」だ。カタルーニャの村に住むエリザベス・コステロがいよいよ年老いて、物忘れがひどくなり、息子ジョンに電話をかける切迫した場面から始まる短篇。これは昨年7月にミラノの文芸フェスティバルでクッツェーが朗読したものに似ているけれど、ちょっと違うかな。最後から2つ目に置かれている。最後を締めるのが「犬」、『モラルの話』では真っ先に出てくる短篇だ。この二篇、「犬つながり」で読ませて「動物と人間」をめぐる強烈な余韻を残す流れになっている。

 このオーストラリア版と同じ内容のものが、10月にイギリス版として出版されるはずだが、サイトを見るとカバーが寒色系のモスグリーンから暖色系の濃いオレンジ色に変わっていた。そうなのか!The Hope が入る短編集だものなあ!