2019/05/23

アフリカのことをどう書くか

48歳で逝ったビンヤヴァンガ・ワイナイナを追悼して、Granta に掲載された有名なエッセイを期間限定で載せることにします。(無断転載はご遠慮ください。)
Granta 92, 2005

 アフリカのことをどう書くか 
  ──How To Write About Africa──
            ビンニャヴァンガ・ワイナイナ
                  くぼたのぞみ訳

 タイトルにはかならず「アフリカ」「闇」「サファリ」といった語を使うこと。サブタイトルに入れる語としては「ザンジバル」「マサイ」「ズールー」「ザンベジ」「コンゴ」「ナイル」「大きな」「空」「シャドウ」「ドラム」「太陽」、それに「過ぎ去りし」なんてのもいい。それから「ゲリラ」「時間を超越した」「原始の」「部族的」というのも役に立つ。注意して、「People」ときたら黒人以外のアフリカ人のことで、「The People」ときたらアフリカ黒人の意味だからね。
 きみの本の表紙には、社会にうまく順応したアフリカ人の写真なんかぜったいに使わないこと。本のなかでも、そのアフリカ人がノーベル賞でも受賞しないかぎり、使ってはいけない。AK-47とか、突き出たあばら骨とか、裸の胸、そういうのを使うこと。アフリカ人を含めなければならないときは、マサイとか、ズールーとか、ドゴンの民族衣装を忘れずに着せること。
 テキスト内では、アフリカをひとつの国のようにあつかうこと。暑くて、埃っぽくて、丈の高い草のはえた波打つ大地と、動物の大群と、背が高く、飢えてガリガリの人たちのいる国だ。あるいは暑くて湿気があって、霊長類を食べるうんと背の低い人たちがいるとか。精確に描写しようなんて泥沼にはまることはない。アフリカは大きい。五十四の国があって、九億の人間はみんな飢えたり、死んだり、戦争したり、国外移住なんてことに忙しすぎて、きみの本を読むひまなんかないんだから。この大陸は砂漠や、ジャングルや、高地や、サヴァンナや、ほかにも、なんだかんだといろいろあるけど、きみの読者はそんなこといちいち気にしないから、きみの書くものはロマンチックで、刺激的で、不特定なものにしておくこと。

──中略── 

Granta 92 の目次
 登場人物のなかにかならず「飢えたアフリカ女」を登場させて、半裸で難民キャンプをうろつかせ、西欧諸国の善行を待ち望んでいるようにしなければいけない。彼女の子どもたちはまぶたに蠅がたかっていて、膨らんだ腹をしていて、母親は胸がしぼんで乳が出ない。彼女はすっかり無力感に打ちのめされているように見えなければいけない。彼女には過去もなく、それまで生きてきた歴史もない。そんなわき道へ入ると、ドラマチックな瞬間が台無しになるからね。嘆き悲しむのがいい。対話のなかでは自分のことはいっさい話題にさせないようにして、話すとしても、ひたすら(ことばにならない)苦しみに限定すること。それから忘れずに、心温かい、母親のような女性を入れること、磊落に笑ってきみが満足しているかどうか気づかってくれる女性だ。彼女のことはただ「ママ」と呼んでおくこと。彼女の子どもたちはみんな非行少年だ。これらの登場人物たちに、きみのヒーローのまわりをぶんぶん飛びまわらせて、ヒーローの見栄えをよくしなければいけない。きみのヒーローには、非行少年たちにものを教えたり水浴びをさせたり、食い物をあたえさせてもいい、彼は赤ん坊をたくさん運搬して「死」を見てしまったとかね。きみのヒーローは(ルポルタージュなら)きみだし、あるいは(フィクションなら)美しい、悲劇的な、国際的に名の知れたセレブ/貴族で、いまは動物保護に心を砕いているような人物にする。

──以下略──

解説
ブックレット
 このエッセイを書いたビンニャヴァンガ・ワイナイナ(Binyavanga Wainaina)は、二〇〇二年に「故郷を発見しながら Discovering Home」で第三回ケイン賞を受賞した作家だ(このときチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編「アメリカにいる、きみ」が次点だった)。その賞金でワイナイナはナイロビでクワニ・トラストを立ち上げ、雑誌「クワニ Kwani?」を刊行して若手作家を育てた。「クワニ?」とはスワヒリ語のスラングで「だから?」という意味。文学作品のみならず写真なども多用して若々しい文芸+αを発信した。

 今回紹介する皮肉たっぷりの超辛口エッセイは二〇〇五年に雑誌「Granta 92」にまず掲載され、その後クワニ・トラストによってブックレットとして出版されたものである。額面通り受け取る人がいると困る。ワイナイナの意図はまったく逆で、これは反語的なエッセイなので要注意。アフリカをひとまとめ的視点から「ルポルタージュ」として描く欧米のマスコミへの長年の憤怒が彼にこれを書かせたらしい。つまり、ワイナイナもまたアディーチェ同様、ステロタイプのアフリカのイメージを長いあいだヨーロッパ人など外部世界が押しつけてくることに憤懣やるかたない思いを抱き、それをはっきり口にするようになった作家の一人なのだ。
 面白いのはこのエッセイがネット版「グランタ」のなかでアクセス数がだんとつに多いことで、確かにコメント数が半端ではない。これ以後、誰かが(例外なく白人だとか)アフリカについて書こうとするとき彼の同意や意見を求めるようになったと、またしても辛口ユーモアたっぷりに彼が書いているのは苦笑を誘う。
 だが、最近の論評を見ていると、この一方的なものの見方は、若い書き手によって乗り越えられつつあるようだ。たとえば先ごろ来日したばかりの、サラエボから米国に渡り、そのまま英語で書くようになった作家アレクサンダル・ヘモンがリシャルト・カプシチンスキの『黒檀』を「心得違いの旅」(ヴィレッジ・ヴォイス)と評したり、ケープタウン大学のヘッドリー・トワイドルがポール・セローの新作書評で「ポール、いったいそこでなにをしてるの?」(ニュー・ステイツマン)と突っ込みを入れたりしている。
 アフリカをアフリカ人が内部から書く作品もふえ、外部から書くにしても書き方が変わってきた。これにはナディン・ゴーディマ、ウォレ・ショインカ、J・M・クッツェーといったノーベル賞受賞作家らがパトロンになって開始されたケイン賞の果たした役割は大きい。

ワイナイナのメモワール
 どうやら、西欧人受けするリリカルな文章で「アフリカの心」とか「真のアフリカ」といった「アフリカひとまとめ的視点」から書いたルポルタージュを読むだけで「アフリカを理解」する時代は終ったようだ。
 ワイナイナはその後、二〇一一年にメモワール『いつか僕はこの場所について書く One Day I Will Write About This Place』を発表。独特なビートのきいた文体で、少年期、青年期の思い出を鮮やかに描き出して、大先輩の作家グギ・ワ・ジオンゴから「彼はことばのシンガーであり画家だ」と絶賛された。また彼は、じつはこの作品から削除した章があるのだといって、この一月、四十三歳の誕生日にみずからゲイであることを公表した。ナイジェリアやウガンダで反同性愛法が成立したことに対する勇気ある行動は、世界中のメディアの注目を集めた。ケニアから発信される彼の鋭い批判精神はこれからのアフリカ文学を牽引する大きな力になっていくだろう。

            『How To Write About Africa』(Kwani Trust, 2008)より
             訳および解説は「神奈川大学評論 77号」(2014春号)に掲載
                                      
            

2019/05/22

ビンニャヴァンガ・ワイナイナ逝く

火曜日夜というから、まだ昨日のことだ。ケニア出身の作家、ビンニャヴァンガ・ワイナイナが逝った。享年48歳。R.I.P.

2009.ラゴス
一昨年、南アフリカのソウェトへ移って、昨年12月に結婚式をあげたというニュースが流れたばかりだった。2014年にゲイであることを公表して、ゲイを法的に認めていない自国や、違法とするナイジェリアにも足を運んで活躍していたのに。アフリカでゲイであることをカミングアウトするのは、本当に命懸けの行動なのだ。

2011.サンタフェ
2002年にケイン賞を受賞したとき、次点だったチママンダ・ンゴズィ・アディーチェと友人になって、以来、アディーチェがラゴスで開くワークショップにゲスト作家として何度も参加していた。2009年にデイヴ・エガーズやジャッキー・ケイとならぶ写真では、みんなまだ若い。

 2011年に合州国のサンタフェでアディーチェとワイナイナが対談したときの動画もある。これが傑作だった。

ナイロビ、2013
また、2013年11月にケニアのナイロビで開かれた文学フェスにアディーチェが参加する写真も。

 そして、2015年にはPENワールドヴォイスでは、ディレクターをつとめたアディーチェがワイナイナとハグする写真など、このブログでも何度も登場した作家だった。

2015.PENワールドヴォイス
彼のピリ辛のエッセイ、HOW TO WRITE ABOUT AFRICA は雑誌GRANTAに掲載されて、ダントツのアクセス数を数えた文章だった。2013年の秋に、それを日本語に訳して雑誌に掲載しようと、ワイナイナと直接メールでやりとりしたのは、ちょうどナイロビでKWANI TRUST のフェスの真っ最中だった。忙しいのに、時間を見つけてアップテンポなメールをくれたことを思い出す。結局、エージェント経由でなんとか話がまとまったのはかなり時間がたってからで、くだんのエッセイの日本語訳は「神奈川大学評論 77号」(2014春号)に掲載された。

 心からの追悼の意を込めて、写真を何枚かアップしておく。

2019/05/19

中島京子著『夢見る帝国図書館』を読み終える

 数日前から読みはじめた中島京子著『夢見る帝国図書館』(文藝春秋刊)を読了。安定した日本語の流れに身をまかせながら、このあと話はどうなるんだろ? どう展開するの? と心躍らせながらも、まるで心あたたまる家族再会の食事会のような満足感とともにページを閉じた。

 日本初の国立図書館の歴史をベースにして物語は展開するのだけれど、頭陀袋のようなスカートをはいた喜和子さんという女性と作家の「わたし」が上野で偶然出会うところから物語は始まる。上野の森に初めてできた図書館の歴史と、戦後の上野ですごした幼少期の喜和子さんの記憶が絡まり、謎めいた人物たちの戦中、戦後の足跡がそこここに絡まって...... 九州の宮崎にも話は飛んで......

 いや面白かった。さまざまな場面で、あ、このことを「いま」書いてくれたのは嬉しいなあと思ったり、突然、太字で立ち上がってくる歴史的な事実に瞠目したり、なるほどと納得したり。いやいや、未読の人のためには、これ以上は書かないことにしよう。でも、とにかく充実した読書時間が体験できることは太鼓判を押します! 

 個人的には、土地の名前がとにかくなつかしい。26歳から33歳までわたしは上野の池之端というところに住んでいたのだった。そこは、ちいさな3人の子どもたちがこの世にやってくるのを出迎えた思い出の土地でもあった。根津、谷中、言問通り、弥生坂、千駄木、湯島、不忍の池、寛永寺、上野動物園、などなど、あのころは「ベビーカー」ではなくて「バギー」と呼んでいた乳母車に子供を乗せて、あっちこっちを歩いたものだった。動物園通りを自転車で走って、モノレールの架線をくぐって、上野松坂屋まで買い物にいったものだった。

 当時は、国会図書館の上野分室はとても厳しい雰囲気の建物で、仄暗く、厳粛な趣に包まれていて、とても、子連れで入れるような場所ではなかったのが残念だけれど。いまは国際子ども図書館になっているんだね。
 今度いってみようかな。

 とにかくこの本、しみじみと面白く、じわりと励まされた。こういう本がいま、この社会に投げ込まれることのありがたさを思う。Merci beaucoup, Nakajima Kyoko san!

2019/05/17

The Death of Jesus 英語版が出るみたい

J・M・クッツェーの「イエスの三部作」最終巻、The Death of Jesus は英語版がちゃんと出るみたいです。どこから出るか? カバーをよおく見てください。。。😊


このカバー写真を見て版元がわかる人は、もう立派なクッツェーの追っかけ! 太鼓判!

2019/05/12

オルセー美術館のカタログ

4月24日にfacebook にアップしたポストをこちらにもペーストしておく。備忘のために。
***
届いたのだ。

「ジェリコとマティスから現代まで」の黒いモデル。

パリのオルセー美術館でやっている展覧会「Le Modèle Noir」のカタログが。分厚いけれど、それほど重くはない。全384ページで、ざっくりとしたマット紙に印刷されている。いや、こうしてまとまって見るとすごいな。
ジョセフィン・ベイカーの写真もある、ある。

 いっしょにとどいた小さな赤い本は「Votre paix sera la mort de ma nation」というヘンドリック・ヴィットボーイの日記のフランス語訳。
 序文をJ・M・クッツェーが書いているのだ。

2019/05/06

J・M・クッツェーのレジスタンス──「すばる 6月号」

すばる 6月号」(5月7日発売)に「カテドラ・クッツェー」のラウンドテーブルについて書きました。 2018年4月末にブエノスアイレスで行われた長い、長いラウンドテーブルのなかのクッツェーの発言についてです。

  北と南のパラダイム
     ──J・M・クッツェーのレジスタンス
  
 J・M・クッツェーが「南の文学」を提唱して、南部アフリカとオーストラリアと南アメリカを「北を介さずに」つなごうとする試みについて、具体的な例をあげながら論じていくようすを伝えます。ちょっと衝撃的な内容です。これを日本語話者であるわれわれはどう受け止めるか、英語を中心に世界がまわっていくヘゲモニーに対して、日本語話者はどんな位置にあるのか、じっくり考えさせられます。

   動画はここ!

*一部引用*


 全講座を通して、惜しみなく、献身的かつプロフェッショナルな仕事ぶりを発揮したアナ・カズミ・スタールへの謝辞のあと、クッツェーはあらためて、講座の達成目標とは「北を介さずに」直接、南の文学者や学生が相互に交流することだったと述べた。視野に置いたのは、たがいに距離的、言語的に離れてはいるが、背後でひとつの大きな歴史から影響を受け、土地との関係も共通する文学。つまり広い南アメリカのなかでもアルゼンチン文学や、それほど広くはないが注目にあたいする南部アフリカとオーストラリア文学の実践者たちの相互交流である。翌月スペインのマドリッド、ビルバオ、グラナダの三都市で行われた『モラルの話』のプロモーション・イベントでも、これはくりかえし語られることになった。

「北の仲介なしで」とはどういうことか、なぜそれが重要だと考えるのか。クッツェーはシンプルなストーリーを用いてそれを説明する。話はメディアをめぐるものだが、アフリカの架空の国をとりあえずアシャンテと呼び、そこを舞台にした出来事に絡めて文学にもこれはいえるとラディカルに疑問を投じていく。物語はこうだ。

──ある朝、アシャンテの首都に住む人びとは、通りを轟々と進む戦車の音で起こされる。。。。。。。

2019/05/04

『嘘』──イタリア語版『モラルの話』

J・M・クッツェーのMoral Tales 、5月28日にはイタリア語版が出るようです。タイトルが『Bugie』つまり『嘘』です。

 Lies はエリザベス・コステロの息子ジョンが妻のノーマにあてて書いた手紙の章でした。イタリアの出版社エイナウディは、この非常に短い短篇のタイトルを本のタイトルにしたわけです。

 Bugie e altri racconti morali
   ──嘘とその他のモラルの話

 フランス語版が『ガラスの食肉処理場』で、オランダ語版が『猫』で、イタリア語版が『嘘』で、さてさて、ドイツ語版はどうなるのか? 気になる、気になる。

2019/05/02

ドレスは揺れても、髪が揺れない

「水牛」にひっさしぶりに書きました。タイトルは

 難破船とヴァルタン(星人?)

シルヴィです。深夜に「アイドルを探せ」という曲を聞いたら、急に思い出したのです。なにを? ふふふ、ぜひ、「水牛」をみてね!




2019/05/01

「ミセス 6月号」に4冊紹介しました

 雑誌「ミセス 6月号」が「こんなとき、こんな本」という特集を組んでいます。「私が勧める、とっておきの本」です。わたしも「複数のアフリカを知りたくなったら」と題して、アフリカ関連の4冊の本を推薦しました。写真の右上です。



 日本が80個すっぽり入ってしまう大きな大陸、それをたったひとつの呼び名で語る時代は終わりました。「アフリカ」と呼んでエキゾチックなベールをかける時代も終わりです。広大な土地にそれぞれの歴史をもった、さまざまな人が住んでいる土地に共通するのは、ヨーロッパ諸国による暴力的な植民地化の歴史です。複数の言語と多様な文化の絡まる、広大な大陸と奥深い世界へ誘う4冊です。

1)トレバー・ノア『生まれたことが犯罪!?』斎藤慎子訳(英治出版)
2)ノヴァイオレット・ブラワヨ『あたらしい名前』谷崎由依訳(早川書房)
3)ヴェロニク・タジョ『アヤンダ』村田はるせ訳(風濤社)
4)田中真知『たまたまザイール またコンゴ』(偕成社)

 アパルトヘイト時代の南アフリカで生まれ渡米して一躍有名キャスターになったトレバー・ノアの自伝『生まれたことが犯罪!?』、ジンバブウェのノヴァイオレット・ブラワヨの、子供の目から描かれた衝撃的な小説『あたらしい名前』、コートジヴォワールからはヴェロニク・タジョのパワフルな絵本『アヤンダ』、そして舟でコンゴ河を下る日本人男性、田中真知さんの冒険話です。

 ほかにも、面白いテーマがずらりならんでいます。「庭に出たくなる本」(梨木香歩)、「今すぐ鮨屋に走りたくなる本」(小泉武夫)、「新しい言語を学ぶ人に勧めたい本」(ヤマザキマリ)、「人を信じられなくなった時に読みたい本」(堀江敏幸)、それぞれ面白いツッコミで本を選んでいるそうそうたる方々、に混ぜてもらって光栄です。

 そして真下に「知識ゼロの人でも絶対面白いアメリカ文学」(都甲幸治)というのがあって、衝撃的!